2016年の世界選手権を振り返って。
今回は、何度かの海外観戦で感じていたことが
クリアになった大会でもあった。
それは、フィギュアスケートに対する距離感の違い。
ここボストンは、言わずと知れた、MLBのレッドソックスのホームタウン。
さらに会場となったTDガーデンは、NBAのセルティックス、
アイスホッケーのブルーインズ、
ラクロスのボストン・ブレイザーズの本拠地でもある。
スポーツ観戦が日常生活に溶け込んでいる街なのだ。
NO SPORTS, NO LIFE.
まさに、そんな印象の人生のベテランたちが
フィギュアスケートの試合を楽しんでいた。
驚いたのは、選手の技、スコアを記録する人たちが多かったこと。
手持ち無沙汰だからではなく、わからなくなると
前後の人に尋ねてまで、書き込んでいた。
それが、あちこちで行われていたのである。
さらに、その多くは老夫婦。
演技が終われば、興奮気味に感想を言い合う。
知り合いでもない周りの人たちと交流するさまは、
まさに、「フィギュアを楽しんでいる」。
いい演技(これだけはノーミスが優先だったようだ)には
ためらわずにスタンディングオベーション。
いちいち荷物を置いて、ヨイショ、と立ち上がる様子に、
疲れないかなあ、と余計な心配をしながらも
一緒に歓声をあげるのは本当に楽しかった。
パワフルに、ストレートに正の感情を外に出すことの快感を知った。
会場が一体となって、おしみなく選手への称賛を表す、
それに応える選手の笑顔。
なんという幸福なひととき!!
そこには、特定の選手だから、という意図は感じられない。
スポーツとしてのフィギュアスケートを愛し、
素晴らしい演技、それを見せてくれた選手への
まっすぐな感謝と称賛なのだ。
だから。
ゆづのSEIMEIでは、SPのような完全なスタオベは起こらなかった。
演技前、
地元選手より、誰より、すごい歓声を受けたゆづ。
そこには世界最高の演技への期待があった。
演技後、
その拍手はとても温かく、大きかったことはしっかりと覚えている。
もちろん、立ち上がって感謝や慰労を表した人々も、
少なくはなかったけれど。
翌日の新聞。
オッズを覆してフェルナンデスが優勝した、という見出しが躍っていた。
羽生がドアを開き、彼がタイトルを獲った、と。
それだけ、下馬評は圧倒的にゆづの優勢だった。
それは誰も否定しないだろう。
そして、2016年のチャンピオンが決まった。
ハビエルの表情に見入りながら思う。
この一面に、見得を切るSEIMEIが載ったら
さぞかし美しかっただろうな。
中面に、ゆづの転倒写真があった。
こんな写真1枚が、私の心を締め付ける。
さよなら、ボストン。
まっすぐで力強い人々、美しい街並、
そして、ゆづの渾身の演技。
思い出すたびに、胸の奥がチクリとする記憶。
いつか、
最上の笑顔に上書きするその日まで。