羽生結弦というカタルシス。 | Festina lente!〜悠々として急げ〜   

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日々の希望は、フィギュアスケーター羽生結弦さんの存在。さまざまなこと。さまざまな幸せについて。

はじめまして。

 

Twitterでもいろいろ発信することはできるけれど

どうしても、言葉を削り取る作業がメインで

コピーライトのようになってしまう。

誤解を生む怖さもあるけれど、補足説明をするのは野暮。

そんなジレンマから、ブログを始めることにしました。

もちろん彼についてのその時々の思いを記していくために。

見切り発車なので、スタイルはまるっきり自分流。

さて何を書こうと、今も書きながら考えている次第。

いろいろ不安があるタイミングで、ちょっと硬い話で失礼。

 

 

さて、タイトルに戻る。

 

羽生結弦という存在は、

どうしてこんなに人を惹きつけるのだろう、と考えてみる。

年齢、性別、国籍すら無関係に、人々は熱狂的に彼に酔う。

スケートの技術、人柄、容貌、立ち居振る舞い、考え方・・・

惹かれるポイントはいくつでも挙げられる。

 

でも、最近気付いた。

 

羽生結弦という存在は「カタルシス」なのだ、と。

 

天賦の才を持ち、それでも努力を惜しますに頂点に駆け上がり、

日本を愛し、故郷のため、フィギュアの未来のために心を尽くす。

さまざまなアクシデントに遭う度、さらに進化した姿で乗り越える。

若きミスターパーフェクト。

 

彼の人生には、人としてこうありたい、

こうしたいという理想が詰まっているように見える。

努力して、報われて、傷ついて、癒されて、愛して、愛されて。

 

 

現実社会では、思い通りにならないことだらけ。

マイナスの感情にとらわれることもある。

自己嫌悪に陥ることもある。

 

私たちは、そんなささくれだらけの人生から逃避し、

羽生結弦という生き方をなぞる。

 

そうそう、本当はこうしたかったんだ。

こんな人間でいたかったんだ。

傷ついてもまた立ち上がる姿を見ると

一緒に頑張れるーー。

 

こうして私たちは、羽生結弦に

カタルシス(浄化)を感じている。

 

 

彼にとっても思い通りの人生なのか、

それとも、もがき苦しんでいるのか、

私たちが知ることはできない。

ただ覚えておきたいのは、

「努力は報われるとは限らない」と言った彼の思い。

その辛さは常につきまとっているだろう。

そう、いまこの瞬間も。

 

だからこそ

勝手な理想像を押し付けるような愚は犯さない。

幻滅も驚きもしない。

 

 

「羽生結弦」が存在する。

 

 

ただその幸せを噛み締めるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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