世界の名車&日本の名車 HONDA CB750four | kenbouのブログ

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HONDA Dream CB750

(リード)
ホンダ初の大型モーターサイクルとしてアメリカ市場に投入されたCB450が、充分な魅力を持ちながら、販売面では決定打とはなり得なかった理由は、欧米人とホンダの考えるビッグ・バイク像に少なからず隔たりがあったためといわれている。そこで、ホンダは徹底したマーケット・リサーチによって、アメリカ市場が求める大型モーターサイクル像を分析することから、第2弾の計画をスタートさせた。そして、アメリカ・ホンダの現地スタッフの強い要望をいれて、次期大型モデルはレーサータイプが良いという結論に達したのである。

(本文)
 ホンダは当時、世界GPで5種目完全制覇という偉業を達成したばかりで、GPレーサーのイメージを追求した大型ロードスポーツこそ市場へのインパクトが強いだろうとアメリカ・サイドは確信していた。排気量は当時、主流になりつつあった750㏄。さらに、GPレースで圧倒的なパワーを背景に世界の頂点を極めた実績をストレートに表現するため、シリンダーのレイアウトはインライン4に決定されたのだった。 
 この提案に対して、ホンダの本社サイドもまったく異議はなかった。というのも、750㏄のインライン4エンジンは、既に朝霞研究所において先行開発されていたのである。最終的なGOサインを得た開発スタッフは、ほどなく4キャブレター、4本マフラーというレーシーなイメージの4気筒エンジンの試作にとりかかった。
 そして、それと並行するように、車体関係の開発も急ピッチで進められていった。そして、1968年10月の東京モーターショーに於いて、750㏄並列4気筒エンジンをダブルクレードル・フレームに搭載した大型モーターサイクル『ドリームCB750フォア』は公開されたのである。
 未曾有のモーターサイクルが出現したという衝撃的なニュースは、またたく間に世界中をかけ巡った。GPレーサーを彷彿させるマルチシリンダー・エンジンを誇示したホンダの大型モーターサイクルは、空前の迫力をもってみる者を圧倒したのである。CB750は、テスト段階からモンスターぶりを発揮した。まず、既成のタイヤではCB750のパワーを受け止められないためトレッド面の剥離が多発。そのため、タイヤメーカーは急遽、大パワーに耐えうる専用タイヤを開発することになった。
 また、国産メーカーのチェーンは750㏄のパワーに対応できず、テストはチェーン切れのため度々中断されたといわれている。それほどまでに、750㏄インライン4のパワーは強烈だったわけだ。しかしその後、公表されたスペックをみると、CB750の最大出力は67ps/8,000rpmと意外と控え目であった(それでも文句なく世界一だったが) 。
 もっとも、試作段階は、もっとパワーが出ていたともいわれているのだが、むしろ、このエピソードから窺い知れるのは、CB450の経験が生かされたのか、CB750ではピークパワー重視型から中速域重視型へと、セットアップの方向へ変化していることである。このような出力特性の変更こそが、CB450に唯一欠けていたといわれる“大排気量のゆとり”に対するホンダの回答だったのかもしれない。そうした事実を裏付けるように、CB 750の並列4気筒エンジンは、レイアウトの斬新さとは裏腹に常識的なプレーンベアリングをはじめて採用するなど手堅いまとまりをみせていた。
 1969年4月、CB750はまず、アメリカで発売された。当然のごとく、海外でも驚きの目をもって迎えられたCB750は、専門誌のロードテストでも驚異的なパフォーマンスを発揮し、高い評価を得た。いわゆる“ナナハン”ブームは、こうしてアメリカ市場を震源に、世界各地に広まっていったわけである。アメリカ大陸のハイウェイを、CB750は、SS1/4マイル12.6秒、最高速度200㎞/hという圧倒的なスピードで駆け抜けたのだ。また、量産車としてははじめて採用されたディスク・ブレーキも、動力性能に見合ったストッピングパワーを発揮した。
 車重218㎏とけっして軽量とはいえなかったCB750だったが、そのライディング感覚は軽快とさえ評価されたのである。もちろん、ホンダの製品に相応しく、CB750は高品質に裏付けられた絶大な信頼性も備えていた。発売を開始するやいなや、アメリカのホンダ系ディーラーには待ち兼ねたマニアからの注文が殺到したという。バックオーダーの数は日毎に増え続けた。その数は、ホンダの予想を遙かに上回った。当初、ホンダでは、CB750の需要がこれほどまで多いとは考えていなかった。
 そのため、量産の立ち上がりではクランクケースなどの主要パーツは、生産性を無視した砂型が用いられていた。ところが、年間6,000台程度を目論んでいたホンダの計算は見事に外れてしまい、ひと月の間に2,000台を超える注文がディーラーに舞い込んだのである。そのため、ホンダは急遽、金型をおこして、ダイキャストのクランクケースで量産体制を整えなければならなかった。国内での発売が遅れた理由は、こうした事情もあったのだ。
 待つこと4か月、同年8月になって、CB750はやっと国内販売を開始することになった。そしてCB750は我が国においても、社会現象とまでいわれた“ナナハン”ブームを巻き起こすことになったのである。1969年に発売され、世界中に衝撃を与えた初期型のCB750は、ホンダのロードスポーツの例にならってK0と呼ばれた。その後、SOHCヘッドのCB750シリーズは、10年という長期に渡ってホンダのフラッグシップとして君臨し続けたのだ。

CB750four 1969y
 当時、国産モーターサイクルで最大の排気量を持って生まれたスーパースポーツモデルである。750ccという排気量が今でこそ当たり前のものとなった。が、この当時は騒然としたムードの中で一般に公開されたのだった。1968年「東京モーターショー」でCB750f ourを目の当たりにした人たちは、視線をそのパワーユニットに釘付けにさせられてしまった。ハーレーダビッドソンの大型モーターサイクルに慣れた人たちであっても、同様の興味を示していたに違いない。並列4気筒であることを強く印象付ける左右対称の4本出しのエキゾースト・システム。量産モデルとしては初の採用となるフロントのディスクブレーキ、他4連装の別体型キャブレターなど高性能を印象付ける装備に期待を膨らませていた。
1969年8月1日、陸運局の認定に戸惑ったCB750は、最高速度200km/hという公道上での未曾有の領域を危険視されながらも、待ちに待ったユーザーに迎えられていった。シートの末端を心持ちストッパー向きに蹴り上げられて仕立てられたK0と呼ばれるモデルは、クランクケースを砂型で鋳込んだいぶし銀の輝きを持ち、サイドカウルにエア・スクープを設けた特徴を持っていた。デビューとほとんど時を同じくして、カワサキから1ヶ月遅れで発売されたカワサキ500 SSマッハⅢとは一戦を期した重厚な趣は、大人のベテランのライダー達に受け、瞬く間に支持率を上げていった。0→400m加速は、500SSと共に12秒4のスプリント性能。最高速度も200km/hと拮抗していた。
 しかし、CB750fourは、高性能をビギナー向けにも対応する様に、よりフレキシブルな出力特性でリカバーされていた。最大トルク6.1kg-m/7,000rpmが、5,500rpm時で6.0kg-mが得られるほどワイドレンジの設定が功を奏したのだった。トップギアのまま30km/hの走行を可能にし、1,500rpm時40km/h未満のスピード域からでも加速を可能としている。あまりにも扱い易さばかりを述べていると、CB750fourの本質を見失うことともなる。が、耐久世界選手権連覇のワークスレーサーRCBのベースにもなった経緯よりもユーザーには興味深い事柄であろう。
 さて、実際にマシンの仕上がりはどうであったかだ。フロントブレーキは、時代に先立ったものではある。が、制動力という点では、高性能のドラムと大差はなかった。シッカリとした確実な操作を必要とし、握り込んでいく意識が必要である。軽いタッチで操作が完了する様な現代的なレベルではない。フレームは堅牢なダブルクレードルで、当時のプロダクション・クラスのレベルであればフルノーマルのままでサーキット走行も可能としてくれたほど。フロントまわりはシッカリとした剛性感をもたらしてくれていた。走行性能は・・というと、高速になるに連れコーナーリング時の「立ち」が強く感じられるようになる。が、ごく一般的なスピードの範囲であるなら終始ニュートラルな印象を保ち続けてくれる。
 重量級のモデルではあるのだが、コーナーリングに終始する峠においても意外なほどにスムーズ。非常にバランスに優れたモデルと言える。ミッションのシフトは、1ダウン4アップの5速。ストロークは、やや大きく思えるが、確実な操作感が伝わってくるのでミスは発生しにくい。1971年になると、スズキGT750、カワサキMachIVがデビュー。1972年には最大排気量のカワサキZ1。続いて1973年には事実上のライバルとなるカワサキZ2がラインナップされた。1975年、ヨーロピアン・タイプに変身を遂げたCB750Four-Ⅱは、フロント・リア共にディスクを採用し、華麗さを身にまとう。が、1976年発売されたヤマハXS750のDOHCや、197 7年にデビューしたスズキGS750に販売面での太刀打ちが適わなくなっていた。
 1978年、フルモデルチェンジされたCB750Kは、RCB譲りのDOHCを、どこかよそよそしい面持ちで搭載していた。新しい息吹を力強く感じるには、CB750F(1979y)の出現をまだ待たなければならなかった。

CB750K1 1970y
  K0の砂型エンジンから、K1では金型が使用された。内部の構造変更もあり互換性はない。他の変更点は、スロットルバルブのリターンスプリングの強化。アクセルワイヤーは2本出しとなり、キャブレターは強制開閉式に変更されている。スロットルスクリューは1個となり、従来のような4キャブ別個の調整は必要なくなった。クラッチ接続時におけるショックは、リアスプロケット・ダンパー・ゴムの材質見直しで減少。また、ライディングポジションの改善で、左右サイドカバーのデザインが変更となり、ガソリンタンク容量も19→17リッターへとややスリム化が図られている。シートはタックロールの入った横開きの2重ロック付きが採用される。

CB750K2 1972y/CB750K3 1973y/CB750K4 1974y
 1973年には、強力なライバルとなるカワサキ750RS-Z2もデビューする。が、耐久レースでの活躍の裏付けや基本設計に確かな自信もあり、変更は操作性の向上を図るのみに抑えている。K2→リフレクターの変更。K3→ブローバイガス還元装置の装着(輸出専用車)。K4では、オーバーラップ式のヘッドライト、ニュートラル・セイフティ・スターターの採用など、安全面での充実化が図られている。
CB750Four-Ⅱ 1977yラインナップされているCB750Four-K型とは、ディメンションがわずかに異なり、方向性の違いが与えられた。全長70mm短縮、全幅20mm縮小、軸距5mm短縮、最低地上高5mm短縮、車重5kg軽減、キャスター角29°→28°90′、トレール124mm→119mm、タイヤサイズF3. 50-19→3.25-19/R4.50-17→4.00-18へと、走行面での軽快性の向上が図られている。コムスターホイールも新たに採用され、前2/後1のトリプルディスと共に外観上の違いを際立たせている。