世界の名車&日本の名車 HONDA CR110 | kenbouのブログ

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HONDA CR110カブレーシング

(リード)
あの有名な“TTレース出場宣言”を受けて、ホンダ・ワークスチームが海外遠征を開始したのは、1959年のことだった。以来、翌年からは、RCの名を冠したホンダの工場レーサーが、世界各地で開催されるGPレース転戦することになった。そして1961年、それまでヨーロッパ選手権として行われてきた50㏄クラスのレースが世界選手権(GP)に昇格することが決定されると、ホンダはいち早く同クラスへの参加を表明した。

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 そして、同年秋に開催されたモーターショーには、はやくも「RC110」と命名された50㏄のGPレーサーが展示されてマニアの視線を釘付けにした。真っ赤なロングタンクを纏った50㏄クラスの小さなGPレーサー「RC110」は見紛うことなくホンダ・ワークスの末娘であった。年が明けると、RC110はGPレース出場のために、勇躍と海外へと旅立っていった。
 そして、その戦績が届く頃になると、巷にはモーターショーに展示された小さなGPレーサーが市販されるらしい、という噂が、実しやかに流れ始めた。こうした噂が現実となったのは、1962年5月のことだった。ところが、実際に発売されたものは、GPレーサーとは似てもにつかないスタイルの50㏄ストリートスクランブラーであった。
 しかし、このCR110と名付けられたモデルは、よくよく観ると、先のモーターショーに展示されたGPレーサーに保安部品を付けただけといった成り立ちだったのである。CR110の市販は衝撃的なニュースであった。 門外不出のGPレーサーが、その掟を破ったのだから無理もない。さらに、何台かのCR110がレーサー仕様に改造されて、九州の雁ノ巣を皮切りに、各地のレースに姿を現したときのショックは筆舌に尽くし難いものがあった。
結局、このストリート仕様のCR110は、49台がマニアの手に渡ることになった。当時の価格は17万円と、一般的な50㏄クラスの3倍はした。が、CR110を購入できたマニアは幸運だったといえるだろう。後に初期型と呼ばれたこのモデルは、5速ミッションが特徴で、最高出力は7.5馬力と発表されていた。また、当時のホンダの例にもれず、CR110にも多くのレース用Y部品が用意されていた。多くのマニアは、保安部品を取り外し、6リットルのロングタンクとバックスキンの美しいシングルシート、そしてバックステップを取り付けた。 さらに、エンジン・パーツを組み込めば、CR110はトップクラスの50㏄ロードレーサーに変身した。いや、多くのマニアは、この姿こそCR110に相応しいと考えていたのである。
 その後、CR110には8速ミッションが搭載されて中期型に発展した。この中期型では、はじめからY部品を組み込んだようなロードレーシング仕様が登場した。初期型の多くが、やはりY部品を組み込んでいたことを考えると、レーサー仕様の発売は、当然の成り行きともいえた。しかし、中期型ではまだスクランブラー仕様も何台か用意され、マニアはどちらの仕様も選択できたといわれている。
 実際、レーサー仕様のCR110にも、クランクケースには街乗り用のステップを取り付けるためのスタッドボルトが残されていた。この中期型CR110は、メーカーの資料によると、両仕様合わせて83台が生産されたといわれている。ともあれ、8速ミッションによって、狭いパワーバンドが有効に使えるようになって、CR110の競争力には、いっそう磨きがかかることになった。
 国内のレースでは、トーハツのランペットをはじめとする2サイクル・レーサーとのバトルが、さらに激しさを増していくことになったのである。また、この8速仕様は国内ばかりではなく、海外のマニアにも供給され、ホンダゆかりのマン島TTレースをはじめ、各国のレースでも華々しい活躍をしたことでも知られている。CR110は市販レーサーだった。それゆえに、限られた生産期間中にも、たゆまない進歩の跡が見て取れた。後期型と呼ばれる仕様では、エンジン本体にも改良が及ぶことになったのである。レーサー仕様として116台が生産されたこの最終仕様は、換言すれば、それまでの仕様の弱点に対処した、CR110の完成モデルということができる。
 まず目につくクランクケース上部の膨らみは、中期型までみられたシフトタッチの不確実さに対処して改良したミッション構造をクリアするためにできた形状で、この改良はRC系GPレーサーからのフィードバックだった。また、シリンダーも別物となり、ボア・ストロークは、40×39㎜から40.4×39㎜に変更され、排気量は48.984㏄から49.068578㏄へとリミットぎりぎりまで拡大された。このような仕様の変更によって、CR110のDOHC単気筒エンジンは、初期型5速仕様の7.5ps/12,000rpmから8.5ps/13,000rpmへとパワーアップされていた。
 わずか40φほどの燃焼室いっぱいに配置された4つのバルブは、ギア・トレーンによって10,000回転を優に超えても正確に作動して、CR110は異次元の4サイクル・サウンズを撒き散らした。また、加わる応力に合わせて微妙にパイプ径が異なるダイヤモンド・フレームは、極限まで贅肉を削ぎ落されて、繊細な美術品にも譬えられた。まさにCR110は、栄光のRC系GPレーサーの血統を色濃く受け継いだ、異色の市販レーサーであった。今日、多くのCR110が現存し、貴重なコレクターズ・アイケムとなって行った。CR110は、時代を超越して輝きを放つ小さな宝石なのである。

HONDA ホンダCR110 カブレーシング 1962
1961年に開催された第8 回全日本自動車ショーで、CR110 の母体となるRC110 がベールを脱いだ。'62年度から行われる50ccクラスの世界選手権レースに向けて、レーシングモデルの開発が行われていると噂されてはいた。が、一部のジャーナリスト達は、市販を前提としたニューモデルの発表があるとの憶測と期待も持っていた。しかし、そこで彼らが目にしたものは、紛れもなく純粋なレーシングモデルだった。真紅のレーシングタンクとリアにオフセットされたレーシングシートが、彼らが抱いていた期待を裏切ったのも事実だ。だが、「時計よりも精密なエンジン」と評されたパワーユニットのスペックを見るなり、彼らは否応なしにマシンへの憶測を深めていった。CR93がそうであった様に、レーシングスタイルのままで保安部品を装備したモデルの発売を描いてしまっていたのだ。それは、オートバイに興味を抱いているファンの多くも同様であった。DOHC4 バルブ、ギアトレーンのパワーユニットは、14,000回転時に9 馬力ものハイパワーを発揮。このマシンが世界選手権の檜舞台を疾走するであろうことと、自らの姿をオーバーラップさせていたに違いない。そして、高まる期待を胸にその時を待っていた。だが、実際に姿を表したのは、憶測を外したどこかスクランブラー的な雰囲気を持ち合わしたストリートバージョンだった。1962年初夏、5速ミッションとCRキャブ(φ20mm) を装備し、最高出力7.0ps/12,700rpm のデーターを持った初期モデルがデビューした。この後、キャブレターを京浜PW20( φ20mm) に交換し、中低速域の特性の向上を図った発展型も発売されている。発売された数は、不明確な部分もあるが49台。中期型以降のレーシングバージョンと合わせ249 台が製造されていたとは言え、ストリートバージョンはやはり貴重なモデルと言わざる終えない。


HONDA ホンダCR110 中期型レーシング仕様
ストリートバージョンの初期型とは異なり、クランクケース、R サイドカバー、シリンダー(7枚フィン) 、クランク、ミッション等に互換性はなく、パワーユニットに関してはシリンダーヘッドのみが使用可能となっている。5 速→8 速と明らかにサーキットユースに限定した仕様ながら、一部に8 速のストリートバージョンの製作もあったと聞く。メインフレームそのものは共通。但し、30mm程拡大されたクランクケース幅に対処する為の対策部品もあったとされることで、その事実の裏付けもされよう。更に、この8 速のユニットには、ニュートラルの接点とステーターの取り付けが可能なもの、又そうでないものもある。ノーマルパーツには、実際にライトケースにニュートラルライトの取り付かないものもある。実際にはメーカー発表のなかった8 速のストリートバージョンだが、製作は可能と言うことになる。ロードレースのみならず、スクランブラーとしても活躍したCR110 の姿も自ずと推測できる。又、CR110には、ボア・ストロークの異なるワークスモデルRC110 の存在も気になるところだ。CRの40.4mm×39mmに対し、42.5mm×35mmとより高回転型を目指している。RC110 は、その後RC111 に発展。RC110 の8,500rpmを更に上回る9,500rpmを越える高回転を可能としていた。が、2 サイクル勢に対抗する為、更なる高回転域を目指し2 気筒化へと改良が図られている。RC112(1962y)から始まる50ccの2 気筒GPレーサーは、RC115(1964y)/RC116(1965y) で最終型となるが、実に17,500rpm を越え(RC116では21,500rpm)、超高回転域の出力特性を得ている。CR110 も又、マン島TTレースや世界中のレースに参戦。プライベーターながらホンダワークスRCに続く活躍も見せている。複雑な成り立ちを持つモデルではある。が、それだけにホンダワークスの血を最も濃くして引き継いでいると言えるモデルでもある。


HONDA ホンダCR110 後期型(X3/1962y)
CR110 の最終モデル。ロードレースを専用の場とした機能優先の改良が図られている。フレームやスイングアーム、フロントフォーク等、オプションで用意されていたY 部品を使用。中期型にあった欠点を補っている。これは、シフトドラムの不作動、ミッションのタッチの印象を改める為のもので、シフトギア、スピンドルの爪を2 個→4 個に変更。パーツの形状もやや大型化して耐久度の向上も図っている。これにより、クランクケースの張り出しも大きくなり、クラッチハウジング上部の迫り出しの形状から、通称「せむし」と呼ばれる特徴を持っている。パワーユニットに関する改良も行われていて、最も完成度の高いCR110 とも言える。シリンダーをこれまでのボア・ストローク(40mm ×39mm)から改め、40.4mm×39mmとして、排気量を48.984cc →49.068578cc と限りなく50ccに近いフルサイズにボア・アップ。ピストンのオイルリングも、オイルホールのない抵抗の少ないものに変えている。出力的には、ノーマル5 速の7.5hp/12,000rpm →8.5hp/13,500rpmへと数値を高めている。ワークスレーサーRC112/RC113 のパーツさえもボルトオンできる仕様は、やはり並のモデルではない。特に、この後期型とも呼ばれているモデルには、時としてマグネシウム製のR 側ヘッドカバーが与えられていたり、クランクやカムにもCRパーツとは明らかに異なるワークス向けのパーツが納まっていたりする。ユーザーにあっては興味津々といったところであろう。しかし、ここまでサーキットユースに限定した仕様を与えていながら、尚もストリートバージョンへの拘りも捨てきれなかった節が、後期型にも残されている。キックも取り付けの可能なものとそうでないもの。クランクケース下のメインスタンド取り付け用のスタッドボルト付きもあれば、又そうでないものもある。メインフレームには、ショートタンク用のフィッティングボルト取り付け穴や、更に、初期型にあったリアフェンダー取り付け用の穴の存在するフレームも発見できる。中期型生産台数83台。後期型では116 台がデーターとして残されている。