世界の名車&日本の名車 HONDA CB450 | kenbouのブログ

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HONDA Dream CB450

(リード)
スーパーカブC100の爆発的な大ヒットに続き、次いで投入したCB72/77でも好評を博したホンダは、アメリカ市場でのシェアを着実に伸ばしていった。しかし、大型モーターサイクルの分野となると依然、イギリスやドイツといった欧州勢が強大な勢力を誇り、ホンダをはじめとする日本のメーカーは、小排気量クラスを独占するにとどまっていた。日本製は小排気量クラス、欧州製は大排気量クラスといった図式が、アメリカ市場では成立していたわけである。こうした状況を打破すべく、ホンダは初の大排気量モーターサイクルの開発に着手することになった。

(本文)
 当時、世界最速といわれていたのは「トライアンフ・ボンネビル」であった。そこで、当面のターゲットをこの英国製ビッグ・ツインに絞って、“コンドル”と呼ばれたホンダの次期ロードスポーツ計画はスタートした。このコンドル計画は、ホンダにとって未知の分野への挑戦だった。有名な500㏄の4気筒GPレーサーRC180のデビューは数年後のこと。ホンダは、まったくの白紙から大型モーターサイクルを開発することになったのである。
 英国製ビッグ・ツインを凌駕するにはどんなエンジンが必要なのか。コンドル計画のスタッフは日夜模索を繰り返すことになった。こうした過程では、CB77をフルスケールの350㏄までボアアップする案も真剣に検討された時期もあったという。しかし、いかに名車とはいえ、既成モデルの改良案にはおのずと限界があった。いかにGPで鍛え上げたホンダの技術をしても、わずか350㏄では650㏄相手に勝負になるはずがない。ライバルを越えるとはいわないまでも、同等の排気量のエンジンをつくれば性能的には問題ないはずなのだが、世界GPで技術力を証明していたホンダのエンジニアには自負もあった。ホンダのテクノロジーをもってすれば、なにも650㏄の排気量は必要ないというわけである。
 また、いきなり大型モーターサイクルを量産するとなると多少の不安もあったといわれる。紆余曲折を経て、ホンダ初の大型ロードスポーツ『ドリームCB450』が公表されたのは、1965年4月のことであった。国内のマニアには“鯨タンク”、海外では“キャメルタンク”と呼ばれることになる量感あふれるタンクを持ったCB450は、CB72とも共通するホンダの流儀でつくられていた。
 強力なパワーに対処してフレームはセミ・ダブルクレードル・タイプとなり、いかにも重厚なビッグ・ツインといった風情のCB450は、自らを“オートバイの王様”と名乗り、“初心者にはおすすめできません”という宣伝コピーでマニアの好奇心を煽った。しかし、この煽情的な宣伝文句とは別の意味で、たしかにCB450は、初心者には難しいロードスポーツだったかもしれない。というのも、大パワーに対処して採用されたはずのセミ・ダブルクレードルのフレームが、それでもまだ、ビッグ・ツインのパワーに負けていたのである。
 CB450のテスト段階で、はじめてウォブルを体験して肝を冷やしたという社内のテストライダーは、けっして少なくないと聞く。換言すれば、こうしたトラブルは、ひとえにエンジンの大パワーに起因していた。注目されたニュー大排気量エンジンは、量産車としては初のDOHCヘッドを持つホンダらしい画期的なビッグ・ツインだった。70㎜×57.8㎜というショート・ストロークの並列2気筒エンジン(444㏄) は、最高出力43ps/8,500rpmを絞りだしていた。これは、リッター当たり、およそ100馬力というハイパワーで、当時としては異例の高性能であった。
 また、SS4/1マイルを13秒9で駆け抜け、トップスピードは180㎞/hに達するという動力性能は、目標としたトライアンフ・ボンネビルに勝とも劣らぬものであった。このDOHCエンジンは量産を前提として設計されたため、ホンダが得意としたレーサーのエンジンとは、まったく異なった構造になっていた。バルブ系には4輪のブラバム・ホンダF2の大躍進の原動力になったといわれるトーションバー・スプリングが採用されていた。また、エキセントリック・シャフトを持つロッカーアームを介してバルブを駆動するメカニズムなどは、メンテナンス性の向上を目指したもので、当時としては世界に類をみないハイテクノロジーであった。CB450の初期型はK0と呼ばれ、1968年には最高出力が45psにアップされ、ミッションが4段から5段に変更されたK1に発展した。鯨タンクにかわって涙型タンクが採用されたK1では、ホイールベースが25㎜延長されて、直進時のスタビリティーが向上していた。
 CB450はその後、エクステリアの意匠を大幅に変更したエクスポート、ナナハンのフロントフォークまわりをそっくり移植したセニアと、年を追ってマイナーチェンジを繰り返し、最終的には懐古趣味的なブリティシュ・スタイルのCB500Tへと発展したのを最後に、カタログから姿を消していった。また、CB450の場合もクランクシャフトの位相によってタイプⅠとタイプⅡのエンジンがあった。が、K1からは、すべてのエンジンがタイプⅠに統一されている。 ホンダ初の大型ロードスポーツ、CB450のDOHCツインは、200㏄のハンディキャップをはねのけて欧州製650㏄を超えるパワーを絞り出していたのだ。

CB450 1965y
 量産車初のシステム・・と言われるDOHCもしくはTwin-Cam等と呼ばれるパワーユニットは、シリンダーの頭頂部にある吸・排気系のバルブ駆動システムの二本のカムの敬称を示したもので、高回転時における動弁機構の慣性を減少させ、安定した回転運動をもたらし、高回転時の燃焼効率をより確実に行えるように開発されたものだった。それは、当時のグランプリ・レースを象徴するが如く、モーターサイクル・ファンを魅了するに十分すぎる程のインパクトをも持っていた。市販車としてのDOHC採用は、レース使用を念頭に置いて開発されたCR110/CR93/CR72がともに1962年に発売されており、一部の車両が純正の保安部品を装着して公道走行を可能としたモデルとして仕上げられたこともあり、CB450が決してセンセーショナルにデビューしたという訳ではなかった。
 しかし、CR系に用いられたギア・トレーンとは異なり、チェーン駆動による量産を考慮した造りとは言え、高性能モデルを身近なものとしてくれたホンダの姿勢は大いなる評価に値するものと思われる。直立したシリンダーは、伝統的な英国車を思わせるオーソドックスなセミダブルクレードルのフレームに、威風堂々とした様相で丁重に納められている。現在のモーターサイクルに与えられた前傾シリンダーを見慣れた若者には、新鮮なスタイリングに映るかも知れない。見た目にも軽快なフロントは、急加速時には軽々とリフトアップ。アイドリング時の一際穏やかな印象とは裏腹な高回転型の出力特性を示してくれる。この当時を代表するモーターサイクルであるダブワン(カワサキ650W1)のビッグツインを同様に想像すると、CBではハッキリと裏切られることとなる。
 セル付とはいえ、風格なりにキックを使用してもその違いは歴然としていて、コンプレッションを全く感じさせない程の軽さであるし、排気音もビッグツインを想像させるにはほど遠いものである。しかし、そこがホンダの真骨頂とばかり、殻を打ち破った技術革新を行っている。複雑化したと思わせたバルブ駆動のメカニズムは、トーションバースプリングを採用して解消。各部の調整を容易なものとしている点も注目に値する。ホンダS800/S600にも採用していたCVキャブ(Constant Va cuum Carburetor)をツインで採用。構造自体がシンプルであることと、全回転域でスムーズな混合気の導入を図れることで、意外にもフラットなトルク特性を生み出してくれる。レッドゾーンは、9,500rpmで、各ギアでのスピードは1速・70km/h、2速・100km/h、3速・130km/h、4速・160km/hオーバーの実力を見せつける。が、一般走行で多用する3,000から3,500rpm辺りで最大値の80から90パーセントのトルクを発生させていることからも、このモデルの扱い易さが伺える。
 シングルやツインには当たり前と思えていたバイブレーションもほとんど気にならない。トップギア100km/hで5,500rpmの高速道路は快適そのものだ。タコメーターとスピードメーターを一体化させたコンビネーションメーターは大型で見やすく、人工サファイアの軸受けを使用した針の動きも不安定な動きがなく、エンジン回転の動きを忠実にレスポンスさせてくれる。高性能でありながら量産モデルとしてのオーソドックスな味わいを示してくれたCB450は、やがてCB750four(1969y.8)のデビューで、名車の片鱗を伺わせながら第一線の華やかなステージを降りていった。
 クジラ・タンクと呼ばれたK0の特徴あるスタイリングから、1968年には4速を5速に換えティアドロップ・タンクに転換したK1。そして、1970年にはシートをアレンジしただけのK1。1972年には、フロントにディスク・ブレーキを装着したCB450セニア、ドラムブレーキのままのEXPOを併売するも、時のスーパースポーツのブームに置き去りにされるかのように変革をビンテージスタイルへと仕向けられていった。ビッグ・ツインに革命をもたらすはずだった高性能エンジンは、一途になることなく伝統的なスタイリングで個性の主張を閉ざしてしまったのだ。

CB450-K1 1968y
 初代CB450-K0に続く第2弾。最大の特徴は、厳つい顔構えのクジラタンクを廃止して、ティアドロップタンクに変更したこと。これだけでイメージは大きく変わっている。もちろん、当時はこの形がトレンドになりつつあったわけだが、現在のマニアの中には、CB45 0と言えば、K0以外は認めないとする熱烈なクジラタンク愛好家も少なくない。その他の外観面では、フロントフォークブーツの採用をはじめ、テールランプやステー、サイドカバーなどのデザイン変更、タックロール付きシートを新たに採用するなど、スポーティなムードを高めている。エンジンは圧縮比を高めて43ps→45psへとパワーアップ。さらに5速ミッションの採用やホイールベースの延長など、より高速モデルを印象づけている。CB 750の発売まで、ホンダのフラッグシップとして君臨するには十分な高性能を誇っていたモデルだった。
CB450Expo 1969y前年のマイナーチェンジでパワーアップが図られたCB450に、スタイリッシュなカラーリングを施したモデルがこのエクスポートだ。同じExpoでも250に採用された上下塗り分けのツートーンカラーではなく、CB750と共通イメージのライン入りを採用している。エンジンスペックや基本メカニズムは、従来のCB450を踏襲しているが、キャスター角を26 °→27°30′へ、トレールを80mm→104mmへと変更。加えてフロントフォーク自体の剛性アップとホイールアライメントの変更などにより、高速走行時の安定性の向上が図られているのが大きな特徴。実際、コーナリング時の切れ込みも減少して、ニュートラルなステアリング特性が得られるなど、乗り味は確実に進歩している印象を受ける。オーナーにとってさらに嬉しかったのは、ブレーキシステムがグレードアップされたこと。CB750と共通の2リーディングのドラムユニットが採用されたことで、より確かな制動力とコントロールしやすいブレーキタッチを味わうことができた。

CB450セニア1970y
 世界で唯一のDOHCエンジンを搭載してデビュー以来、既に5年を経過したにもかかわらず、この凝ったメカニズムはCB450のみに採用のままだった。ライバルたちとのアドバンテージをさらに広げるべく、この年、フロントディスクブレーキを装着したセニアが登場。ブレーキユニットをはじめ、フロントフォークやフロントタイヤまでもがCB750からそのままそっくり流用するという荒技が、いかにも当時らしく微笑ましいが、これがユーザーの購買欲を刺激したのは言うまでもない。また、CB750と同様、ワーニングランプを新設して安全対策を施すなど、走りをサポートする機能も充実。価格は、併売されていたCB 450K1/CB450Expoの2万5000円アップ。当時としてみれば少なくない金額だが、好調なセールスを記録。以後、大きな変更はなく、シート形状やテールランプのデザイン変更を受けながら、国内では’72年の5型、海外では’73年の6型まで販売された。

CB500T 1974y
 CB450の国内最終型(K5)をベースに、ボアのみを7mm拡大した498ccのDOHC2気筒エンジンを搭載。排気量が1割増にもかかわらず、最高出力が4psダウンしているのは、CB450よりも1、000rpm低い回転で最高出力を発揮する設定となるなど、トルクを太らせ、低中速域でのスムーズな走りを狙ったもの。実際に走った印象も、渋く落ち着いたフォルムにマッチした、おおらかな乗り味と場所を選ばないパワーフィールを堪能することができた。デビュー時に見られた、超高性能モデルの面影は影を潜め、バーチカルツインの新たな方向性を摸索するターニングポイントに立ったモデルとしての印象が強い。このモデル以降、DOHC採用のバーチカルツインは登場することなく、後のホークII・CB400T(1977y)から印篭を渡されるようにして、カタログから姿を消していくことに。よく見ると、サイドカバーやシート形状あたりに、ホークIIとの共通点を見てとることができる。