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KREIDLER Van Veen

 1960年代、クライドラー社は、50ccのモペットを主力としたメーカーだった。こうしたペダル付きのエンジン手軽さを最初に喜んだのはヨーロッパではなく、むしろアメリカの女性だった。買い物やレジャーで手軽に活用できる利便性を大いに活用し始めていたのだった。FIMが、モペットのブームに目を向け始めたのは、ヨーロッパでも大いに流行の兆しが見え始めた頃だった。
 FIMは、ヨーロッパにおいて50ccのモペットによる世界選手権の開催を決定し1961年にレースをスタートさせている。クライドラー社は、そこで最も有力なメーカーだった。その最右翼と成るトモス社もまたMCファンならご存知の事と思う。
 クライドラー社は、空冷2サイクルの水平配置のパワーユニットに世界初の12速のミッションを用いレースに挑んだ。12速とは言っても副変速機をもつではなく、4速ギアに対しスプロケットを3枚(2個のオーバードライブギア)持つ簡素な機構である。『フローレット』と名付けられたモデルは、8hp/12,000rpmの出力で最高速度120km/hを超える性能を発揮し選手権を手中にしたのである。
 フローレットは、翌年にはダブルロータリーバルブ機構に転換され、メインギアも6速(スプロケットを2枚装備した12速も用意されている)とし、10hp/11,000rpmで140km/hへと性能を向上させていた。しかしながら、急速に著しい成長を遂げていたSUZUKIの前に選手権の連覇ははかなく消え去ってしまった。
 フローレットが、より本格的なレースモデルとして鋼管構造のフレームを採用したのは1964年に成ってからの事。しかし、この年に優勝できたのはスペインGPのみとなりHONDAが加わった日本車に対抗できる術は無かった。
 1968年、人々の目からフローレットが消え去って久しく、クライドラー社のオランダにおける輸入代理店の『バンビーン社』は、イギリスのエルビトンにおいて行われた世界最高記録の場において自社で開発したクライドラーを出場させていた。15.5hp/14,500rpmの高出力を有し170km/hの最高速度をマークするクライドラー・バンビーンは、この大会で3個の世界記録を樹立。翌年の1969年には世界選手権にも復帰。開幕以来3連勝を成し遂げる。だが、デルビ車に僅か1点差で世界選手権を奪われることとなってしまった。このクライドラー・バンビーンの低く構えた挑戦的で個性的なフォルムは未だに目を奪われるのだが…。