ROYAL ENFIELD | kenbouのブログ

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ROYAL ENFIELD BULLET
(タイトルリード)
他の機種と比較すると、エンフィールドは評価が低く非難されることも多かったのではないだろうか。BULLETの軌跡を示すことによって関心を高めてくれることがあれば幸いである。

(本文)
 BULLETの名称の発生は古く1932年9月。ロイヤルエンフィールドに新たに3種(248cc、346cc、499cc)のモデルが誕生したときである。3車に共通していたのは別体式の4速ギアボックスの装備。クランクケースと一体化されたオイルコンパートメント。潤滑をドライサンプとするなどさまざまな点で革新的な技術が施されていた。
 1935年9月、戦後モデルの原型となる348cc(70×90mm)モデルGがデビュー。プッシュロッドやバルブギアを内装した直立のシリンダーが搭載されていた。戦時中は当然のことのように軍用モデルとして生産されることのほうが多かった。
 1948年、戦後になり、Charlie Rogers、George Holdsworth、Jack Plowrightのロイヤルエンフィールドのトライアル・チームは、リアサスペンションにオイル封入式のダンパーを採用。真新しい3台のモデルがColmore Cup Trailに出場するが、ここでのデビューは単なる控えめな成功で終わっている。
 しかし、この年の秋に行われたInternational Six Day Trialでは栄光のタイトルを獲得することとなった。モデルGを原型としながらも細部はすべて改良が施されており、明らかにスペシャルモデルであることが傍目にも明らかな状況であった。
 シリンダーヘッドは鋳鉄からアルミ合金に、内部はRR556の素材の軽合金連結ロッドが使用され18bhp/5750rpmの出力をもっていた。4速ギアボックスは完全なる別体式とは異なり、クランクケースのリアに直接ボルトで固定され、プライマリー・チェーンの使用が可能となっていた。スタンダード・リジッドフレームのモデルGの146ポンドに対し171ポンドと高価なマシンでもあった。
 期待を背負ってマン島T.Tレースにエントリーするも、参加5台中わずか1台が完走という無残な結果に終わってしまった。こうした結果により、BULLETはスピードレースよりもむしろトライアルの場でその真価を発揮するモデルと語られるようになってしまった。
 確かに、トライアルモデルとして成熟しつつあったBULLETではあったが、学者のように頑固な人たちにとって、リアはリジットでなければ、しっかりしたトラクションを得ることはできないという偏見も受けていた。ロイヤルエンフィールドのリアスプリングユニットでは、2インチ以上のムーブメントは得ることはできないと評価されていたのだった。
 しかし、ティーンエイジャーのJohny Brittainがハンドルを握りスタートをきれば、スプリングはおのずと素晴らしい働きを見せてくれることも事実だった。これにより、BULLETは、スクランブルばかりではなくロードスターにも活路を見出していくことになる。
 1950年中ごろになると、アームストロング製のリアダンパー・ユニットが採用されるようになる。これにより、ホイールトラベルは3インチのムーブメントを得ることができるようになった。また、ハイオクの燃料を用い、圧縮比も7.25:1とし、新たなカムの概念を得てBULLETの出力は向上していた。
 1956年、まったく新たな発想を用い、全溶接のフレームが採用される。また、クランクシャフトマウントの発電機も採用されていた。しかし、この発電機はライティングとバッテリーチャージング用に装備されたもので、イグニッション・サプライはLucas製のマグネットが個別に与えられている。
 この頃は、BULLETの346ccエンジンをちょうど倍にした692ccのバーチカル・ツインのモデルも誕生しており、人気を得ている。一方でBULLETは、インレットバルブを拡大し新たなコンビューション・チャンバーを採用していた。
エンジンは、依然として346ccの鋳鉄のシリンダーを用いていたが、新しいフレームは本国仕様となり、旧型のフレームは、傘下であるEnfield Indiaに送り出されることになった。しかし、皮肉にもEnfield IndiaでBULLETが生き残る運命となったことは、その時には誰にも予測できることではなかった。
 1963年、新たに346ccBULLETがロイヤルエンフィールドのカタログに掲載されるも大きな変革が与えられることはなかった。初期のBULLETから何も負うところがなかったのは事実だった。そして、フローティング式のビッグエンドのブッシュは英国から完璧に葬られることになった。