前回の記事の続きです。
ビリーフチェンジのセッションをうけて、私が感じたこと。
セッション会場に到着したとたんに、身体中が震え出した私。
ええーい、もう行ってしまえーい!
と、なかばムリヤリ飛び込みました。
がんちゃん先生とのお話が始まっても、なかなか震えは止まらず………
先生もそれには気づいておられました。
色んなお話をさせていただく中で、
いつのまにか、
気がついたときには、震えは止まっていました。
とにかく私は変わりたくて、必死でお話していたように思います。
その後のセッションで、私が驚いたこと、気づいたことは、
とても大きかったです。
私の成長ビリーフに深く関わっていたのは母でした。
私は私の人生ではなく、母の人生を歩いていたことに、この時、初めて知りました。
とても驚きましたが、
『そうか!だからだったのか!』と納得もできました。
だから、私は、あんなに自由にこだわっていたんだ、と……
私が成長しては、母が悲しむのです。
母が寂しがるから、私は、無意識のうちに『なにも出来ない私』を選択してしまっていたのです。
私の身体を縛り付けていたのは母ではなく、私。
幼い私が、それを選択してしまっていた。
そう、
無意識のうちに……
成長したら愛されなくなる、と思い込んでしまっていた。
だから、いつも縛られているような気がして、いつも自分の状態に苦しさを感じていた。
学生時代はそんな葛藤が抑えられなくなり、夜の徘徊や悪行三昧で自由を求めたんだ。
そして、母の無意識から、
「ずっとそばにいてほしい……」
そんな感情が聞こえてきました。
でも…………
でもね、お母さん、
その感情は、私のものじゃない。
人になんと言われても、
私はもう、なにも出来ないのは嫌だ。
お母さんの人生は、お母さんのもの。
私の人生は、私のものだよ。
私は、成長したい。
私は、
私の人生を歩きたい。
夢があるから。
たとえ、誰に認められなくても、
私は、私が満足するまで、私の人生を歩いてみたい。
ちゃんと出来なくても、
私は生きている価値があるし、
愛される価値があるから……
だからお母さん、
さようなら。
私は、
成長するね。
…………そう言って、
私は、私の中の母と、さよならをしました。
そのとき、
まるで、大きなコブがポロっととれたような、
背中に背負っていた重たい荷物をおろしたような、
スッキリとした解放感で包まれました。
今まではどうしても踏み出せなかった、一歩が、
これからは、踏み出せるような気がします。
人から見たら、小さな一歩かもしれないけれど、
私にとっては、自信に繋がる、とても大きな、意味のある一歩………
もちろん、自分に伴う自己責任は果たしていきながら……
まだまだ私が知らない世界が、きっとたくさんある。
私の可能性も広がるかもしれない。
そう思えることが、本当に嬉しい。
やっと、
私の人生の時計に『針』が付きました。
ここからはじまる、第二の人生。
この日が私の誕生日!