ときどき晴れ -6ページ目

2つの文化での心の差

NHKで放送された赤ちゃんを森にかえすという文化。

名誉のために許される殺人があるという文化。


同じ文化で
同じ人を殺すということなのに自分の中で
なぜこんなに意見が違うのか。

もちろん殺人はいけないことなので両方反対といいたい。

ただこの2つの文化を受け入れる自分の心に大きな差がある。

名誉殺人に関しては
受け入れることもしていない。


なぜ2つの文化にこんなにも差がでるのか。


すぐに答えを見つけることはできないと思っているし
『答えが出ない』という1つの答えにたどり着くかもしれないとも思っている。
ただ『答えが出ない』という答えは
いつでも出せると思うし
『答えが出ない』と答えをだしてしまったら考えるのを止めてしまうと思う。


[友人]

文化の違いと簡単な言葉ですませていいのか…2

1ヶ月くらい前
名誉殺人というものを知った。

少女が男の子と話したことにより
一族に泥が塗られたと家族会議の結果
少女は少女の実父と祖父に生き埋めにされるというものだ。

この事件らトルコでおきた。
でも名誉殺人はトルコ以外の国でもおきている。

またこの事件はトルコでおきたが
トルコ人全員がそのような考え方を持っているわけではなく
とても田舎にある村の一部の人だけの考え方だ。


家族は警察に少女は行方不明と伝えていたらしい。

名誉と考えているのに事実を隠したのは
一族に泥を塗らないようにする=名誉を守る→名誉を守るための殺人
になったのだと思う。

世界には色々な考え方がある。私はよくわからないが昔日本でもあったのではないか。(今はないと思いたい)

でも私はこの文化に賛成はできない。
元々宗教的な考え方が苦手だし(宗教を批判するつもりはないしこの名誉殺人が宗教的な考え方かは知らない)
異性と話すことも自分の視野を広げるためにはとても必要なものだと思う。
日本で過ごしてきた私にとって名誉を守るためであっても人を殺してはいけないと思う。
文化の1つで名誉を守るための殺人があると頭の中に入れてはみるが
理解することを心が拒絶する。

殺人をすることよりも異性と話したことの方が一族の不名誉になるという考え方ができない。(殺人は一生隠し不名誉にさせないつもりだったかもしれないが)

殺人をしたという泥を一族に塗った父や祖父は
名誉殺人の名の下に生き埋めにされないのかと思ってしまう。(実際は父や祖父はたたえられ不名誉にはならないと思うが)

この事件を知って日本に生まれて良かったと安易な考え方はできない。


まだこのような考え方が世界にはあり
世界で名誉殺人という名の被害にあっている人がいるからだ。

それなのに自分の平和を喜べない。
(喜べないと言っておきながら何か行動することもない私はやはり平和な日本に生まれたのを喜び
平和な日本にしがみついて生きていくのだろう)
ただこの少女が日本に生まれていたら...と思ってしまう。


[友人]

文化の違いと簡単な言葉ですませていいのか…

1ヶ月くらい前のこと

NHKで
『最近放送されたすごい番組(多分NHK以外の他局も可)』をテレビ関係者で話し合ってる番組をやっていた。
あるテレビ関係者が『すごいと思った番組』の内容はこうだ。

さらに数ヶ月前にNHKで放送された番組で
他の文化を受け入れるのを止め
何百年も前から自分たちの文化守り続けている
ジャングルで住む一族の話。

この村への取材許可は
一番最初の取材交渉から
十何年もたってからおりた。


この村では
妊娠していた女性が
赤ちゃんを産んだとき
1つ決断しなくてはいけない。

その決断とは
産まれてきた赤ちゃんが『神様』か『人間』かの決断だ。

産まれてきた赤ちゃんが『人間』だと
母親から判断された場合は
そのまま人間として成長していく。


産まれてきた赤ちゃんが『神様』だと
母親から判断された場合は
神様を森にかえすという意味で
ジャングルの木の上にある
大きなアリの巣に赤ちゃんを入れ

アリの巣ごと赤ちゃんを燃やすのだという。




私が見た番組は
すごい番組を討論する内容だったので
この村の映像は流れなかったが
テレビ関係者が見た村の番組では
この赤ちゃんのことも放送されたらしい。(どのくらい詳しい放送だったからわからない。
森にかえった赤ちゃんのことも村の人が話しただけかもしれない)


私がこの文化を知って感じたこと。

もちろん赤ちゃん(神様)を森にかえすという意味であっても
産まれてきた大切な命を殺すのは反対だ(日本の私からしたらどうしても殺人に見えてしまう)。

『神様』か『人間』かなんて母親の意志でどうにでもなってしまう。
…と考えてしまう。
愛情をもってたら
自分の子どもを手放したくない。
だから森にかえすなんて考え方には
ならないはずだ。
森にかえした母親は
お腹の子どもに愛情が足りなかったから
ではないかと考えてしまう。


でもこれも日本人である私だから…の考え方であって
現地の人にしてみれば
森にかえすことが
最大級の愛情の表現かもしれない。


森にかえした母親は神様を自分が産んだと思うかもしれない。自分を賞賛

自分の産んだ子どもは神様だったと思うかもしれない。子どもを賞賛

人を殺すという行動に大反対な私が現場にいたスタッフだったら
この文化・風習を止められただろうか...
多分無理だったと思う
…自分と葛藤している
[友人]