居住地域は先週梅雨明けし、週末金曜日に終業式、夏休みに入りました。
これからしばらく、車窓から通学風景が見られないので少し寂しい気もします。
1学期最後の通学風景から、晴れの日でも傘を使用する子どもたちが性別、学年問わず年々増えていること、また雨用の傘から日傘に変わってきていることに気づかされます。いつも見かける通学班は全員が日傘を使用していて、まるで梅雨本番の雨の日のようでした。
毎日のように熱中症警戒アラートが発表される時代、陽射しの強さなどを鑑みれば賢明な対応で、傘は雨の日より寧ろ夏の晴れの日の必須アイテムかもしれません。
私たちの頃は夏休みにどれくらい真っ黒に日焼けしたかを競うコンテストが全国各地で開催されるなど、日焼けした肌は健康的というイメージが強く「日焼けは子どもの勲章」でしたが今は真逆ですね。
また、今は傘だけでなく、かつてのスタンダードだった黒や赤のランドセル、黄色の帽子のほうがマイノリティ、水泳用の水着も自由で、多くの子どもたちがラッシュガードを着用しているなど、昔では考えられないほど変わってきました。
変わったと言えば、先日報道でも見ましたが、最近は水を飲むのが苦手・飲めない子どもたちが増えてきている、特に水道水やウオータークーラーの水が飲めないそうです。
味がない、まずそう、家でも水を飲む習慣がない、菌を含んでいないか心配など、理由は色々あるようです。家庭での水飲み習慣の変化や熱中症対策でスポーツドリンクを常用、またコロナ禍でのウオータークーラー使用禁止、他の人との共用の制限など、生活様式の変化の影響も大きいように思います。
小中学校だけでなく幼稚園や保育園でも、マイボトルは持参しないで水道水やお茶が飲めない、他人との共用も無理、学校や園でスポーツドリンクや冷やしたミネラルウウォーターを与えてほしいなどを保護者から要求されるケースもあるとか。
一昔前には、役所や公共交通機関、医療機関や学校などは応対が悪いと批判され、その改善のためにサービス業を見習った接遇の研修を積極的に実施すべきという風潮がありました。
確かに横柄な対応だと感じることはありましたが、あくまでも応対の仕方や運営の方法であって、業態自体をサービス業化することを望んではなかったはず。
しかし、中には業態自体のサービス業化をという考えもあり、費用対効果を優先してサービス業化を進めた機関もあったと思いますが、その結果は?
例えば医療機関や教育機関などは、要求型のモンスターを産む、あるいは利益追求型になり、結果として現場がブラック化、働く人たちが疲弊していったように思います。
不要不急の119(救急車の要請)にもそんな感覚が見受けられますが、そういった機関は何を言っても言い返さない、何を言っても許される、ネットやメディアも公的機関が悪いと背中を押すので要求がエスカレート、サービス業化が進めば進むほど現場は疲弊し、そのしっぺ返しは必ず別の形で住民、消費者、学生など社会全体に、要求している自分に帰ってくるのではないでしょうか。
そうしたネット上での発言やリアルな現場での経験から実感しているのが、以前記事にも書いた「正義」の反対は「別の正義」というのは本当だなってこと、でも人は簡単には「別の正義」を認められなくて、正義の反対は「悪」だと思っていることです。
特に個の尊重、人権、自由などテーマが大きければ大きいほど、あるいは自分の考えが少数派だと思っているほど、言動に矛盾が生じてくることが多く、でも矛盾になかなか気づけない、自分が発した非難の言葉はそっくりそのまま自分に向けられている言葉だということに。
口は禍の元ってホントそうです。
何度も触れてきたように、私は○○ごときに、たかが○○、○○のくせに
他者に向けたこうした言葉は人を見下しているようでとても苦手というか嫌いです。
PTAや自治会絡みの話題になると頻繁に使われていて、法治、人権、個の尊重を声高に歌いつつ、最近ではもっと露骨に、学歴や職種、職責、あるいは育った家庭環境などを絡めて見下す、非難する発信、差別的行為をされたと非難する人が、平然と人を小馬鹿にして見下し、やられたらやり返すのが正しい、相手を精神的に追い詰めてもいいと発信をされているのもよく目にします。
自分も我が子もいじめられた経験があるので感情論としては、そういう言動に頷いている自分がいますが、人は論理的に考え感情で行動するということを身をもって痛感しているので、理詰めだけで周りが納得して、次に進めばそれでもいいですが、かえって相手が膠着して逆効果になることが往々にして起こるので、言葉の伝え方は大事だと痛感しています。
以前、聞き手の粗相は言い手の粗相とコメントしたらトンポリって言われたことがあります。
ただ、議論しているだけならそうかもしれませんが、したいのは議論じゃなくて現場の改善ですから、何でもトンポリで片付けるのは全くの逆効果だと私は思ってしまいます。
聞き手の粗相は言い手の粗相
胆に銘じておきたいと思った終業式の朝でした。