世論って何だろう | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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来月投票を控える都知事選はじめ、先日、閉会した国会で成立した改正政治資金規正法や毎月発表される内閣支持率など、新聞各社などマスメディアが世論調査を行っています。

方法としては、インタビューや電話による、最近ではSNSやネットを活用し、世間の様々な人の中から無作為に抽出したサンプルを分析して意見を測定しています。

世論というのは世間一般の感情あるいは国民の感情から出た意見のことを指していますが、最近では、ネット上で話題を集め、一見まとまった意見や言説にように見えるコメントなどを「ネット世論」と呼んでいて、「バズる」、「炎上する」と呼ぶ現象を、時折メディアでも「こんな意見で盛り上がっている」と、過剰に反応して評価していることが多くなったように感じます。

都知事選に立候補している元安芸高田市長の石丸氏はyoutubeやSNSを駆使し、歯に衣着せぬ物言いですっきりする、分かりやすいと若者世代から絶大な支持を受けているような印象を受けますが、実際にはどうなんでしょう?

私は東京都も安芸高田市についても全くの無知なので印象でしかありませんが、とてもディベート向きな人で、不採算事業を問答無用で廃止して財政悪化を食い止めたが、それに代わる新たな施策としては具体的に何もしていない、廃止だけして辞任したように感じました。都知事選での公約についても、それをどうやって実行するのかの具体性が全く伝わってこないんですが、現状に閉塞感のある人は強い言葉に期待をするかもしれませんね。

先のメディアなどの世論調査の結果とネット上での結果とでは乖離していることもしばしばで、ネット世論は、本当に社会の多数の人々の声を反映した意見なんだろうかという疑問の声も上がっています。
その理由としてネット上では積極的に発信したい人が意見を述べているから、少数派の意見でも多数派に見える現象が起きやすいからとの指摘もあります。

以前にも少し触れましたが、日本では普段からネットを利用している人の中でも積極的に発信するアカウント数は人口の1%に満たないそうです。
SNSで飛び交っているのはそうした何らかの意図を持った人たちの意見で、99%以上の発信しない人たちの意見はわからないので、平均的な意見を代表しているとは言いにくいのではないかとの指摘です。

ただネット上の大半の人たちは、一人ひとりの投稿頻度は低くても、強い言葉や過激な言葉ではなく、自分が感じたことを、自分の言葉でSNSなどにアップされていて、その総数は全体の半分以上になっているのもこれまた紛れもない事実なんですよね。

また、#Me Too、#保育園落ちた、日本死ね、#検察庁法改正案に抗議しますなど、レアですがネット上の反響に対し、政府が国民感情に配慮して、その対応への動きが加速した例もありますが、残念ながら全世界に発信しているツールであっても現状では、大半が似たような考えを持つ人々の間で共有・拡散されているに留まり、なかなか社会全体に広がるまでには至りません。

理由の一つとして、便利な機能、フォロー機能のように同じような情報が目に入りやすく、AI機能によって利用者の検索・閲覧履歴から自分好みの情報が優先される特性が備わっているからと言われています。また、異なる意見が届きにくくなるフィルターバブル状態に陥る、あるいは見たくない情報を見なくても済むミュートやブロック機能もあって自分とは異なる価値観の情報を排除できるという特徴があります。

そうしてしまうとネット上の居心地がよくなりますが、もはや議論の場ではなく、自分たちにとって耳障りの良い言葉だけが行きかう、単に身内盛り上がりしているだけになってしまうし、さらに同じような人たちだけで共有しているバブル内では、それが反響し合って、無意識に自分たちの意見が世論そのものだと錯覚したり、さらに意見が過激化する、エコーチェンバー現象が起きる可能性を秘めていると警告を鳴らす人もいらっしゃいます。

加えて「自分がこうしたい」という気持ちなのか「社会がこうなってほしい」という気持ちなのか曖昧のまま、ごく一部の人たちが繰り返す過激な表現がネット世論とされ、仮に社会一般の世論と乖離した偏ったものになったとしても、現代のデジタル社会からみれば、それが社会一般の世論を凌駕して、あたかも国民の意見として捉えられてしまったりすることさえあります。

実は世論調査も同様で、客観的に世の中の意見を測定するもの、科学的に行われているものとして信頼を得てきたはずですが、例えば選択肢を〇か×の二択にし、一種の誘導的な質問をいれ中庸の選択肢を作らない、作為的にある方向の結論に導くためのデータを取り出す道具として使われているという側面も否定できません。

二択だと、ある一部は×といった考えを持っていても詳細を聞かなければわからず、総体として〇を付ければ、結果としてすべて〇と受け止められてしまうのはどうなんでしょう?

最近のリアル現場でも、サイレントマジョリティ(静かな大衆)よりもノイジーマイノリティ(声の大きい少数派)の影響の方が大きいことが往々にして起こっていますが、ネットのほうが露骨さ、過激さが顕著のように感じます。

私もリアルで仕事関係や任意活動関係で声の大きい人の意見が通る、そんな場面に何度か出くわしたことがありますが、ネット上では同じような考えを持つ一部の人たちが露骨に寄ってたかって追い詰め、コミュニティだけでなくネット上から追い出したケースも目にしたことがあります。

各地で改善・改革に向けて取り組まれてきた・いる方はまあまあいらっしゃると思います。その内容も目の前の小さなことから組織全体、あるいは連合体、さらにはPTAの存在意義までホントにそれぞれだと思います。

何度か触れてきたように、会員さんの意識がそれほど高くなければ、強い(ある意味強引な)リーダーならば劇的に変える、解散することはそんなに難しくないと思います。
逆に言えば、そのリーダーが替われば、また劇的に変わる、あるいは元に戻ることも十分にあり得ると思います。

逆に時間をかけて丁寧に説明を繰り返して、少しずつ変わっていく姿を実感してもらいながら理解・納得される会員さんが増えていったPTAや保護者会、PTOに移行したところはすぐに元には戻っていないようです。

先日も書きましたが、完ぺきな組織や団体なんて存在しないわけで、正論だけで推し進めても、会員さんが本当に納得していなければ元に戻ったり、混とんとすることがあるわけです。

さらにPTAは会員さんが毎年一定数入れ替わり、10年経たないうちにほぼ全員が入れ替わってしまうという特殊な団体なので、現会員さんが納得しても将来の会員さんが納得するとは限らない、その時々の会員さん次第です、校長・教頭はじめ教職員だって人事異動で替わっていかれますしね。

またネット上では、PTAの改革・改善は中から、外からという発信をよく見かけますが、
時代の流れや会員さんの意向を肌で感じたうえで、自ら変わろうと動き始めたのか、あるいは自ら変わろうとしていた時に外からの声が背中を押してくれたのか、外(外圧)だけで変えさせられたのか、正直、当事者にしか分からないと思うんですよね。

PTAはお金と労働力の確保のためであり第二の財布、搾取だという発信や差別と分断を産む団体だから不要という批判もよく目にするし、メディアも喜んで飛びついています。
すると世の学校やPTAの実態はこんなもんだ!これが世論だ!みたいな印象は受けてしまうんですよね。

全国にはそういう地域もあるだろうと察しはしますが、所属したPTAでは学校から行事などにお金も労働力も要求されたことはないので感覚的には分かりかねるし、全然深堀し多発信じゃないなあっていうのが正直な感想です。
お手伝いの募集はPTAではなく保護者にありました。

実は所属PTAでは多くの会員さんが、活動も会費の使途も会員(大人)の学びより、子どもたちに直接関わることに使ってほしいという人がとても多かったとアンケート調査から伝わってきました。
べき論はべき論として、今目の前の問題解消に向けて、できることをしたいという人が多かったことを物語っていました。

全国の成功例や好事例、モデルケース、フォーマットやマニュアルは参考になりますが、それを自身の現場にどう活かすか、カスタマイズするかが肝心。

どんな素晴らしいシステムでも動かすのも機能させるのも「人」
どんな理性的な人でも残念ながら好き嫌いがあって、なかなかそれとこれとは別だと切り分けられないのも人。
一生懸命さが伝わるとそれに応えてやろうと思う人は増えるし、理屈だけで態度が大きいと、何であんたの言うことを聞かなくちゃいけないんだということになるのはごくごく普通のことなんですよね。

それを理解できていないのは

伝える側の人でしょうか?応える側の人でしょうか?

 

 

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