朝の車窓から新一年生を見て思う | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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入学式・始業式も終わり、車窓には一見いつもと変わらない風景が流れています。

4月の異動で勤務場所が変わり、いつもの経路から通勤距離が少し長くなったので、その分これまでよりも多く通学通勤風景に出会えます。

年度当初の緊張感からでしょうか、どの通学班も見かける場所が学校に近くなっていて、全体的に出発時間が少しだけ早くなっている気がします。
送り出す保護者の方もいつもの一日より早い始動になっているんでしょうね、お疲れ様です。

小さな背中に大きなランドセルを背負って、上級生と手をつないで登校する初々しい新1年生を見かけますが、かつての定番だった赤や黒のランドセルはなりを潜め、パステルカラーで色とりどりのランドセルが歩いていきます。

そんな小学生の見守り方法も、車窓から見ていると学校ごと、地区ごと、いや通学班ごとに違うかもって感じました。

地域で見守り隊が結成され、ベスト・帽子・旗を掲げて班ごとに付き添うところ
主要交差点に立って、声掛けや誘導をされているところ
多分保護者が班ごとに付き添うところ
低学年の保護者が付き添っているところ
同じく主要交差点に立って、声掛けをしているところ
保護者と地域の皆さんと混在して見守っているところ
子どもたちだけで登校しているところなど
毎日だったり、ゼロの日だけだったり、地域の有志、高齢者クラブ、PTA、保護者と、同じ学区内でも地区や通学班によって規模も全然違いますが、付き添うあるいは交差点に立つ保護者らしき人の男性率が年々高くなっていることに少し驚きました。
私が当番をしている頃はよく先生と間違えられていましたが、今は違和感なく普通なんですね。

 

通学時の安全確保は学校ではなく本人・保護者の責任を原則として、学校も含め地域に暮らすみんなで補完しあって守ろうという意識があるからだと思うんです。

 


私の通勤経路上で低学年の児童が一人で登校しているところに出会いますが、そのうしろ姿を心配そうに見送っている保護者の方もほぼ毎日見かけます。
学校と自宅と通学班の経路の関係もあるでしょう、どこかで通学班に合流するんでしょうね、きっと。

 

少し驚いたのはその子の横をゆっくり徐行したり、停まってすれ違うのを待っていたりすると、いつもこちらに軽く会釈をしてくれるんですよね、その仕草が自然で、素直で、可愛らしくて朝から清々しい気持ちにさせてもらえます

しなくてはならないことではありませんが、してもらうと大人の私でも嬉しいものです。

 

通学班については要・不要論、是非論含め色々なご意見があると思います。

集団で通学することで安全が確保でき安心できる面もあれば、反対に子ども同士の揉め事や横に広がってしまう危険性も考えられます。

それでも、先の低学年のお子さんにとっては一人での通学の方がリスクが高いと私は思っています。

どんな方法でも100%安全はあり得ませんので、よりリスクの低い手段を模索し続けることになるんだろうと思います。

また、手の甲が隠れるくらい大きめの制服を着て、一人では心細いのか数人で待ち合わせて、2,3年生よりも早い時間帯に中学校へ向かう新1年生もよく見かけます。

市内公立中学の制服(標準服)は昨年度からブレザータイプに統一、一新されたので、移行期の今は詰襟、ブレザー、セーラー、そしてジャージ姿と様々なスタイルが入り混じっていて、リボンかネクタイにスラックス姿の女子生徒もまあまあの頻度で見かけます。

学校生活の服装については、様々な声があり市議会でも一般質問されていて、標準服の一新により、TPOに応じた着こなしが可能、また私服については、本人や保護者の申出により、妥当性があると学校が認めれば可能との答弁がされていた記憶です。

中学はとても多感な時期、性自認や人権意識の問題だけでなく、心身の成長、家庭環境、経済的な負担やスクールカースト、いじめへの発展などが幾重にも絡んで危惧されるので、簡単に自由化には踏み切れないだろうなって私は思います。

先日通勤途中に、横断歩道を渡り終えたときに深々と90度お辞儀をしてくれたブレザーとスラックス姿の新1年生と思しき女子中学生2人組に遭遇しました。

90度のお辞儀はTVや新聞報道で見たことはありますが、実際に目の当たりにしたのは初めてでした。これまでも、ここ最近も、別の人たちも、一度も遭遇したことがなかったので小中学校の指導ではなさそうです。

報道を見たからなのか、ご家庭のしつけなのか、事実は本人のみぞ知るです。

称賛すべき行動として取り上げられることもありますが、強制だ、同調だ、最近では洗脳だと強く非難する声がネット上では多く見かけます。

実際に強制された、あるいは洗脳されたことのある人にとっては坊主憎けりゃ袈裟までかもしれませんが、世の中すべての人がそう受け止めているわけではないんですけどね。

政府とか教育全般とか、見えざる仮想巨大敵に対しての非難ならまだしも、自分が望まない行動をしている人全てに向けて、間違っている、洗脳されている、何も考えていない〇〇などと、自分の価値観だけで発している言葉を目にすると哀しくなります。

そうした行為が子どもの頃にTVで見た安保闘争や学園闘争と被ってくるのは私だけでしょうか?

若い世代は知らないことですものね。

 

 

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