正論に価値はあるのか? | PTAはPTA

PTAはPTA

私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

にほんブログ村 教育ブログ PTA活動へ
にほんブログ村

 

一時期、TV番組で流行った「ハイ、論破」という言葉、地上波では耳にすることが少なくなった気がしますが、youtubeなどネット上ではひろゆき氏が論破王として人気を博しているように正論が結構の割合で語られている印象があります。

正論をぶつけ、相手をぐうの音も出ない状態にする。

これは関係のない他人でも、いや関係ない他人だからこそ見ているとスカッとするのかもしれません。TV番組のタイトルも「スカッとジャパン」ですからね。

実は仕事などで物事を体系的に捉え、筋道を立てて考える論理的思考、いわゆるロジカルさはとても重要とされていて、ロジカルに説明すると相手は内容を理解しやすくなる、両者の認識のズレも少なくなって解決策を導き出しやすくなるため、ロジカルさは悪いことではなく、ビジネスパーソンにとっては必要不可欠な要素だといわれています。

確かにそうですよね。しかし、その一方で最近はセクハラやパワハラと同じようにロジハラ、ロジカルハラスメントが問題視されてきています。

正論モンスター、ロジカルモンスターなんて言葉を身近でも耳にします。

ロジカルハラスメントは、正論を突きつけて相手を心理的に追い詰めることを言い、受け手側が精神的にダメージを負うだけではく、能力が発揮できなくて、結果的に組織として損失を被るという大きなデメリットがあります。

誰しも気づいていると思いますが、日々の暮らしの中で正論をぶつけられたとき、言われたことを理解はしても納得している人は残念ながら自分含めて極めて少ない気がします。

また、人は大なり小なり他者より優位に立ちたい、自分が正しいと証明したいと思っているという特徴があると言われていて、かくいう私も若い頃は結構尖っていて「間違っていることは間違っていると言えばいい」と自分の周囲に対して自分の「正論なるもの」をぶつけていたことも多々ありました。

しかし、正論を言うだけでは、ロジカルに話をするだけでは、相手は納得していない場合が多く、そこから得られたのは「オレは言うべきは言ってやった」という今思えば幼稚な自己満足だけではなかったかと

相手を論破することで、相手が自分の思うとおりに行動してくれるならそれもいいかもしれませんが、実際の反応は真逆のほうが圧倒的に多いはず。

大抵の人は正論をぶつけられると、それも正論であればあるほど怒ってしまうんじゃないか、大人になればなるほど表面には出さなくても論破された側は怒ってしまったり、不貞腐れたりして聞いても貰えなくなってしまう。場合によっては敵対心を持たれてしまって結果として自分が得るものはほとんどなく、せっかく積み上げてきた実績や信頼も消えたり、失われたりしました。

自分が言われる側になって考えれてみると

「あなたは間違っている」「お前はバカだ」などと言われ人前で恥をかかされたのに

「なるほど、自分が間違っていた、教えてくれてありがとう」とは到底思えませんよね。

「バカなんだから、言うことを聞いておけばいい」なんて言われたら反対に「お前の言うことだけは絶対に聞かない」と思ってしまいませんか?

なかには、真剣によかれと思って正論を突きつけてたり、相手を追い詰めるくらい正論を振りかざす、ロジカルに話すことが相手のためだと信じ込んでいる人もいると思います。

相手と二度と関わり合いを持つつもりがなければ論破して追い詰めてもいいかもしれませんが、実社会の中で、日々の暮らしの中で自分の周囲にそれを実践するとどうなるでしょう?

論破して、それがいい結果につながることはとても少ないと経験上思います。
それどころか、自分の周囲から人が離れていってしまう可能性のほうが大きいと思います。

また最近、ネットやSNSのやり取りでとても気になることがあります。
それはデジタル通信の特徴といえるかもしれないトーンポリシング批判の誤用です。

意見の異なる人の発言に対して
暴言や罵声はやめたほうがいいのでは
冷静な言葉の方が相手に届くと思う


と発言されると「トーンポリシングだ!」と非難して対話を拒否されているケースをよく目にしますが、そもそもトーンポリシングは対話の拒否を批判する概念のはずなのに自分が対話を拒否してしまう。

リアルでの一対一のやりとりであれば、そうした批判・非難は有効かもしれませんが、ネット上、SNSの世界では、その場の雰囲気の中で批判が増幅し、それが強化され集団攻撃を発生させてしまっているのをよく目にします。

もちろん怒りなどの感情は否定されてはいけないと思うし、怒りがあるからこそ抑圧から解放するためのパワーの源になっていると思います。

でも相手に対して怒れば、相手も怒り返してくるのもある意味当然で、お互いにそれを「トーンポリシングだ!」と非難し合うというのは実に不毛だなって感じてしまいます。

そもそも正論を振りかざして、論破して相手をやっつけることが発言の目的だったのでしょうか?
相手より賢いと思われることが目的だったでしょうか?

そうではなくて、自分の思う方向に限りなく近く、前に進んでいくことが目的のはず。

人は、今の状況に応じた感情を持つもの。
仕事が忙しい時は焦る気持ちになりますし、人間関係がうまくいってなければ何日も悩むし、家族に不慮の事故があれば不安を抱えているでしょう。

こうした相手のメンツを立てることや感情面への配慮を忘れないことがコミュニケーションには欠かせなくて、それができていて初めて突っ込んだ話し合いが可能になり、結果本来の目的の達成に近づいていくように思います。

そう考えると、実社会では正論に、正論を振りかざすことにそれほど価値が見いだせないでいる私です。

 

 

にほんブログ村 教育ブログ PTA活動へ
にほんブログ村