自分の能力や本音と向き合うのが怖いため環境のせいにして自己防衛してしまうのが人間の性だそうで、失敗が予測されるときにその言い訳になるような外的条件を準備して自尊心を保とうとする現象をセルフハンディキャッピングと云うそうです。
初めて耳にした言葉ですが、その一例である「忙しいからできない」「やりたいけど時間がない」という表現は何度が口にした経験があります。これは誰しも一度は口にしたことがあるんじゃないかと思います。
多くの人が、仕事、家事、育児、通勤、付き合い、睡眠と毎日24時間タスクの連続で一日が終わっていく中、「もっと時間があれば○○できるのに」と思っていても実際には何も行動に移せないまま結局変わらない日々が続いているのが哀しいかな現実ではないでしょうか。
でも本当に私たちが口にしている「時間がない」「もっと時間があれば」は、物理的な時間の不足のことだけを指しているのでしょうか?
もちろん本当に時間が足りないという時もあるでしょうが、自分への言い訳として使っていることが多かったりしませんか?
ボランティア活動に参加しない・できない理由の中でも一番多く挙げられているのがこの「時間がない」だそうですが、同調査によるとボランティア活動に参加している人は時間に余裕がある(暇な)人よりも時間的に忙しい人の方が割合として圧倒的に多いという結果がでています。
AーStudioで「忙しい人には時間があるが暇な人には時間がない」と笑福亭鶴瓶さんが語ったことで鶴瓶語録として取り上げられていますが、アレクサンドル・ビネという神学者の「一番多忙な人が一番多くの時間を持つ」という言葉や「何もすることがない人はいつも誰よりも忙しがっている」というフランスの諺があるようにずいぶん昔から言われていることのようなんですね。
ビジネスで「急ぐ仕事は忙しい人に頼め、暇な人は仕事も遅い」なんて言われるのも、きっとそれらと同じ意味で、忙しい人ほど時間の使い方や物事の優先順位のつけ方に長けていて、かつ自身が社会の一員という自覚や社会貢献への意識も高く持っているということになるんじゃないか、そんな風に思えます。
だとすれば「時間がない」という言葉は、物理的な意味合いよりも「私には時間を管理する能力が足りない」という風に言い換えたほうがしっくりくるかもしれないなあって最近思うようになりました。
また、最近気になるのが、自分の抱えた怒りや不満・不安の出口を、国や政府、地方自治体や大企業などを巨大な仮想敵として設定して、自分(の努力)が報われないのはその仮想敵が悪いからだと怒り、べき論や正論をかざして非難することで発散しているように映る仕草をネットやSNS上で多く見かけることです。
論理的かつ正論を主張されているため、それ自体を否定されることは少なく、仮想敵が巨大であればあるほど賛同・同調する人も多くなるため、自分は正しいと思い、心もスッキリしてきます。スッキリするからよい事をしている気になれるし自己肯定感も満たされ自分の居場所・存在意義もできた気になれます。
日本人が大好きな物語、巨大な権力を持つ悪をやっつける正義の味方、ヒーローって感じですよね。
でもですよ、実際の現場において目的が問題を解決することなら論理的な正しさだけでなく、現実を受け入れて相手の感情や特定の状況、背景事情といった非論理的な相手の立場や感情に寄り添う姿勢(共感)を示して何か策を見つけようとするでしょうが、残念ながらネット上では主張が攻撃的で相手の言葉のわずかな矛盾点をも指摘する、正義気取りの言葉狩りのようになってしまっている人がものすごく多いように感じています。
それでは問題を解決するどころかこじれるだけだと思うし、そもそも問題を解決する気はなくて自分の正しさを証明することや相手を論破することが目的なんじゃないの?と思えて仕方ありません。
これだけ一人ひとりの生き方や働き方、価値観が多様化している現代社会ではかつてのような「これが正解だ」という唯一無二の答えがある世界ではなくなってきています。
加えてデジタル化の進歩によって通信・情報網は、いつでも自分の意見が発信でき、誰とでも簡単に交流ができ、欲しい情報も簡単に入手できるようになりました。
おかげで、リアル社会では日本の伝統的な共同体ともいえる会社でのコミュニティや居住地域の町内会や自治会、PTAなど地縁の繋がり、そんな抑圧的なムラ社会での従属という人びとの意識がどんどん薄れてきていて、敢えて組織には加入しない・参加しない人が増えてきています。
こうした地縁や社縁などの関係性が希薄になり従来型のコミュニティから離れていく人たちが増える一方で、ネット上では目的や思考の近しく同調してくれる人同士で新しいコミュニティ、ムラ社会を形成して、ウチとソトという壁を作り上げ、ソトと称する仮想敵を攻撃したり排除したりしているというのは、自分たちが忌み嫌ってきたことと同じことをしていて、とても滑稽な感じがします。