今週、午後から テレビドラマ 「最高の離婚」 が再放送になっていて、以前見逃していた所があって、録画して見ていますが、思わず笑ってしまうコミカルさ。
それと、考えさせられるセリフがいっぱいです。
夫婦って、人間関係の複雑さ、難しさを代表するものでもあるんですが、その意義は重要で、自分自身が意識していない部分に光を当てるために多様な人間関係が必要なんですね。
自我は、独自性ですが、それってあくまでも意識している範囲の自分。
意識に登らない自分も確実に存在していて、それは他人という鏡を通してしか覗けない、引き出せない、気づけない。
自我を通して、人は世界を眺め世界観を形作り、それ以外の異なるものを否定し受け入れない。(自分こそが正義)
他人の見解や助言、意見を飲み込めない。
そして自分の中にある、認めたくない部分に蓋をして、意識の奥深くに追いやってしまう。
それが、今回のドラマ、最高の離婚の あかりさん。
あかりさんが幼い頃、母親が数え切れないくらい浮気をした父親に対してとった、感情的で取り乱した姿に嫌悪感を感じ、それ以来母親を否定してきた女性。
あかりさんは、そんな母親の姿を通して、実は自分の本質で見たくない部分を刺激されて嫌悪感を抱いたんですね。
私は、母とは違う、もっと優雅で、取り乱したりしない、いつも穏やかで笑っている一段上質の女性なんだと。
でも、浮気をしていつも優しくて、ふわふわしたりょうという相手と出会い、パンドラの箱をついに開けて、見たくない自分と対面してしまった。
どちらも自分なんだということに、意識を初めて向けた。
嫉妬深い自分、愚痴っぽい未練たらしい自分、みっともない自分、
これって、よくわかる。
私も同じような経験を幼い頃にしていて、母をみっともないと嫌悪したし、
私だったら、自分から切り捨てるプライドを持つと思った。
でも、今は嫌悪感を持つということは、やっぱり自分自身の無意識に潜む魔物を引っ張り出したくないから起こる反応なんだとわかる。
これは、やはり自分のホロスコープのチャートの中にしっかりと存在しているし、
そして今も、残念ながらまだ、克服しているとは言い難い部分。
シーソーのように、今も動かしているし、
現実は、こういった自分自身の無意識からくる投影で、築かれているっていうのがよくわかる。
どっちも自分で、優しい自分もいれば、残酷な面、みっともない自分も確実に存在して、
そして心の中に善と悪、光と闇、明と暗の両面が潜んでいない人など決していない。
どっちにも転びうる種を、人は誰しも保有しているし、
ただ言えることは、認めたくない自分を闇の中から、引き出し、対面し、直視する事ができるのは、家族を含めた人間関係なんですね。
そのために人は他者と出会う。
偶然じゃない必然の出会いが存在する。(課題はそれぞれ)
人がテレビなどで、ドラマを好むのは、無意識にそれを望んでいるのかもしれませんね。
「最高の離婚」 スペシャルが今週土曜日にあるみたいで、また楽しみです。