この記事は、「仁丹町名表示板を探して広島県福山市の鞆へ(1)」の続きとなります。3枚の仁丹町名表示板を見つけたところまででした。
町並みを楽しみながら京都で培った仁丹町名表示板探しのテクニック(?)を生かし、キョロキョロウロウロ歩いていきます。
町がひっそりしているからでしょうか、余計にここだけ時間が止まってしまったかのように思えます。
吸い込まれそうな魅力ある細い路地があちこちにありました。
ここなんかもグッときますねえ・・・。
歩いているだけでも楽しくなってきます(次の看板がなかなか見つからないけど・・・)。
と思ったら、ネコちゃんと出逢ったあの最初の港(鞆港)に戻ってきていました。
見るとバス停がありました。
少しするとバスがやってきて乗客を降ろし広場のようになっているのでここでバスが折り返して行きました。
おや、土日祝には観光用にボンネットバスが運行されているようですね。
きっとこの鞆の町景色に合うことでしょうねえ。チャンスがあれば乗ってみたいですね。
今度は港周辺を散策してみます。
この階段状の船着場は「雁木(がんぎ)」と言われているもので、岸壁と違って潮の満ち干による水面の上下に左右されずに昇降や荷役が出来るようになっています。浮き桟橋がない時代に考案されたと思われますが、現役で今もしっかり使われていますね。鞆の浦にある雁木は全国でも屈指のスケールを誇るようです。
足元を見ると個人名が記された舟繋石がたくさんありました。
昔から瀬戸内海での海上交通上の重要なポイントとして重要な役割を担っていた鞆の浦。江戸時代にそれは全盛期を迎えたわけですが、明治以降に近代化していく日本の物流の流れが鉄道や自動車に取って代わりそのルートからこの地は外れてしまいます。幸い、戦禍も免れたようで、未だに懐かしさを覚える景色がたくさん残されていますね。
この路地も良かった。
すると突然、現れましたよ、我らが仁丹町名表示板。4枚目ですね。
場所は太田家住宅です。
元は福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元「中村家」の屋敷で、明治時代に太田家の所有となったそうです。国の重要文化財指定を受けています。お金を払えば中を見学することができるようです(わたしはパス)。
「鞆町鞆 太田家住宅前 西町」
お向かいには特産品である「保命酒」の看板が。年季が入っていますね。
鞆の浦と言われるエリアの地図を載せておきます。
前にも書きましたが狭い範囲なので歩きでも十分対応できますね。
まだまだ続きますよ。
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