今年の2月下旬、時々訪問させていただいている「京都仁丹樂會」さんのサイトで面白い記事を発見しました。
それは「鞆の浦に仁丹町名表示板設置される!」と題されたものでした。
ある一定の世代以上の方には懐かしい森下仁丹。そのの創始者、森下博氏の出身地である福山市 鞆。
2013年末になんと仁丹町名表示板が鞆エリアに設置されるとの情報を得ていた上でのその記事でしたのでもうびっくりです。
さらに京都仁丹樂會さんたちは8月に実際にこの鞆エリアを訪問されています。
記事を読んでいてワクワクしたのは言うまでもありません。「自分も近いうちに行こう!」と思いつつも月日は流れていきましたがようやく念願叶って、今月半ばにこの鞆エリアに行くことができました!
これはそんな鞆エリア(鞆の浦)訪問の記事です。
これから何度かに分けてアップしていきたいと思いますのでお付き合いのほどお願いいたします。
先の京都仁丹樂會さんのサイトには実は町名表示板の設置場所が細かく記されていますが、わたしは一度軽く目を通しただけでチャレンジすることに。15枚の町名表示板があるのだけは頭に刻んで、いざゆかん!
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鞆の浦は瀬戸内海国立公園にも指定されており、大変情緒あふれる素敵なところでした。
懐かしい昭和の風景が色濃く残されており、そんなに広くはないのでここは是非とも歩いてのんびりとした気持ちで散策したい場所、と言えるでしょう。観光案内所でイラストマップをもらい作戦を練りました。よく見ると
正確な地図ではないですがこれを頼りに歩いてみることにしました。
まずは鞆中学校にあったよなあ・・・ということで一発目はそれを目指します。
ですがいきなり、イラストマップに載っていません・・・!!
なぜならここは仕方がないです、文明の力を借りましょうということでスマートフォンの地図を見ると"鞆の浦"と言われるところから少し離れておりました。
そこそこの坂を上ったところ(海抜54M)、
鞆中学校正門のところにそれはありました。
鞆に来て一発目の仁丹町名表示板。感慨深いですね。
「鞆町後地 鞆中学校入口 御幸一丁目」
気を良くして鞆の中心エリアに戻っていきますと、出て来ました「桝屋清右衛門宅」(広島県福山市鞆町鞆422番地)。人気の観光スポットのようでなんでも坂本龍馬も立ち寄った場所だとか。
龍馬暗殺の半年前、いわゆる「いろは丸」事件があった際にここに滞在したとされています。
すでに幕府から命を狙われている身分だったため、身を潜めていたことでしょう。
ふと横に目をやると・・・・あれ?
見つけました。2枚目です。
「鞆町鞆 桝屋清右衛門宅前 石井町」
大型の台風19号が去った後でもあったのと平日に訪れたため、町全体がひっそりとしておりました。
そんななかてくてくと歩いていますと出逢った一匹のネコちゃん。呼ぶとすたすたとこちらにやって来てくれました。あまりに可愛いのでしばらく仁丹町名表示板探しを忘れ戯れてしまいましたよ。
先日の尾道もそうでしたが、ネコがこんな感じで接してくれるのはきっとここが平和な場所なんでしょうね。
さらに歩いて行くと港に出てきました。鞆港です。
台風の影響で雲行きがおどろおどろしいですね。
遠くに鞆の浦のシンボル、常夜燈が見えますね。
鞆に来たと感じる瞬間でしょうか。
そこから常夜燈へは向かわずに少し内陸に向かいました。
ジブリの宮崎駿監督がプロデュースしたといういろは丸事件談判跡(旧魚屋萬蔵宅)です。
いまは御船宿「いろは」として営業中です。
坂本龍馬の「いろは丸」が紀州藩「明光丸」と衝突して沈没した事件の補償をめぐってここで談判が行われた場所です。
そこで3枚目と対面です。
「鞆町鞆 旧魚屋萬蔵宅前 道越町」
これは鞆の津の商家。市指定重要文化財で鞆の典型的な町屋ということです。主屋は江戸時代末期の建築。
入館無料なのですが残念ながら平日は閉館という・・・。
そして町のいたるところに、このポスターが。
明治2年にこの鞆町で生まれた森下博氏の功績をたたえ、鞆の浦に彼が残した足跡を辿る展覧会となっているようですが時間の都合上、見学を泣く泣く見送りました。
まだまだ鞆の浦仁丹町名表示板散策は続きます。
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