少し間が空きましたが、この記事は、「仁丹町名表示板を探して広島県福山市の鞆へ(2)」の続きとなります。
さきの記事の最後に出てきた太田家住宅です。
18世紀中から19世紀初旬頃に建てられた貴重な建造物となっていて国の重要文化財指定を受けています。
設置された説明板を見ますと維新の夜明けも近い1863年(文久3年)8月18日、幕末の政変によって都落ちした三条実美ら尊王攘夷派の公卿7人が8月23日に鞆に立ち寄った際にひとときの憩いを得たのが、この太田家住宅(旧保命酒屋)だったようですね。さらに翌年も船で長州から京都に向かう際にもここに寄り道しています。よほど「美酒によるおもてなし」が気に入ったのでしょうか。
ここから南に向かうと鞆の浦のシンボル「常夜燈」がある広場に行くようです。
では向かいましょうと歩を進めると・・・。
お。正面に何か見えますね。
「鞆町鞆 常夜燈広場前 西町」です。
近くにはいい具合にヤレた看板がありました。
今までは割とひっそりでしたが、この常夜燈のエリアだけは少し活気がありました。
1859年建造。港の常夜燈としては日本一の大きさを誇ります。
江戸期の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場跡、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは、全国でも鞆港だけ。
常夜燈のところには蔵を利用した「いろは丸展示館」もあります。
1867年5月26日に鞆沖合で起こった海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」の衝突事件に関連する遺物などを展示している博物館のようです。入館料小学生以上、200円。
あまり時間もないので、次の看板探しに向かうとします。
常夜燈の広場を出るとこのようにやはり人気はありません。
ひっそりしていていい具合に寂れて旅情が高まります。
少し進むと保命酒の看板が掲げられた蔵に目指すものが見つかりました。
近寄って見てみましょう。
「鞆町鞆 岡本家長屋門前 江の浦町」ですね。
さらに奥に進むと、
看板通りの岡本亀太郎本店さんがどーんとありました。保命酒屋さんですね。
現在4軒残っている保命酒製造業者のひとつになっています。
この建物は福山市指定の文化財扱いとのことです。
かつて福山城郭内に所在した建物で,門の両側に番所を有していたようですが現在は左側のみ。明治初期に廃城に伴い民間に払い下げらる際ちょうど火災で家屋を失っていた岡本家に移築、お店を復興したようです。一部改造はありますが17世紀初期建造の福山城郭内の遺構としては貴重なものとのこと。なんと看板のかかっている柱は福山城長屋門の門注そのままだそうですよ。
細い路地を歩いているといろんな風景に出会いますね。
洋風な建物もありました。
まだまだ鞆バージョンの仁丹町名表示板探しは続きます。
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