絵本一冊と「真田太平記」 | 今日の風に勇気をもらって

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ささやかな日常にもたくさんの幸せが隠されている。

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紫陽花の季節ですね。今年は遅い梅雨入り。

これから続々と梅雨入り宣言が各地で発表されるようですね。

本格的な雨の季節がやってきます。

 

こんな詩はいかがでしょうか。

   

   

   雨は一粒一粒ものがたる         山村暮鳥

 

   一日はとつぷりくれて
   いまはよるである
   晩餐ののちをながながと足を伸ばしてねころんでゐる
   ながながと足を伸ばしてねころんでゐる自分に
   雨は一粒一粒ものがたる
   人間のかなしいことを
   生けるもののくるしみを
   そして燕のきたことを
   いつのまにかもうすやすやと眠つてゐる子ども
   妻はその子どものきものを縫ひながら
   だんだん雨が強くなるので
   播いた種子が土から飛びだしはすまいかと
   うすぐらい電燈の下で
   自分と一しよに心配してゐる

 

             「風は草木にささやいた」より

 

どんな時も隣に誰かがいる幸せ。

雨の一粒に隠れているそれぞれの人生。

雨の音を聴きながら、詩人は悲しみも喜びもみな等しくあることを

秘かに思っています。心の中でそっと。

 

 

さて。「真田太平記」も10巻を読み終え、あと残り2冊となりました。

大阪夏の陣がまもなく始まり、ここまで読み進めてきました。

返却日に遅れることもなく、また、そこへ行けば、必ず図書館にはちゃんと並んでいて、

毎回楽しみにしながら、一番上の棚から抜き取ることも最後になりました。

 

そして、もう一冊。次回小学校での読み聞かせの「てつぞうはね」という絵本も

一緒に借りてきました。

「てつぞうはね」。帰ってから、いつもそうするように声に出して読んでみました。

ストーリーを知らずに読んでいくのですが、「てつぞうはね…」と飼い猫のことを

「わたし」が教えてくれるのです。

「てつぞうはね」と何度も繰り返し、あるページまできたとき、

突然…本当にその感情は突然、現れて、心を悲しみでいっぱいにしました。

その先を読む私の声は無防備にも涙が溢れて、一番困ったのは読んでいた私自身でした。

誰かに読んでいたわけでもなく、あろうことか…と、ひとりで勝手にびっくり。(°0°)汗

…なんやねん…(×_×)初めて出会ったのに、短い数ページの間に「わたし」が教えてくれる

てつぞうは読み手の中にいつの間にか住み着いてしまったのでした。

けれど、それから。てつぞうのいた場所には子猫がやってきました。

子猫はてつぞうがしてきたことと同じ…。

こうしていつもどこでも「希望」は生まれていくのですね。

 

 

機会あれば、ぜひ手に取って頂きたいほど、素敵な絵本に出会いました。

小学校で「読み聞かせ」をするようになってから、いろいろな絵本を知るきっかけになり、

子供たちのためにという想いは違う方へと繋がっていきました。

 

「真田太平記」もあと2冊。ストーリーの行方はわかっていても

どこかで生きていてと読書の旅は自分勝手に歴史を変えてしまいたくなります。

滝川三九郎が気になる私は、本の中で小さくドキドキしてしまいます。