山の写真(254): 岳人から敬愛された、鹿島のおばば(その2)「鹿島山荘」 | 信州:大町・安曇野便り

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 「鹿島山荘」は岳人たちにとって、無くてはならない存在になりました。

 ご夫婦は商売など抜きで、心から岳人たちと接しました。

 

 

 

 

 

 

 夫の治喜衛さんも農作業や山仕事に精を出すかたわら、訪れる登山者の世話をしました。

治喜衛さんは若い頃から後立山連峰や黒部峡谷周辺で猟をしていて、登山が盛んになると山案内や遭難救助で活躍するようになったそうです。

 

 一方きく能さんは、もちろん山に登ったことは一度もありませんでしたが、岳人たちが山から下りてきて「鹿島山荘」の囲炉裏にあたりながら、あそこはこうだった、ここはこうだったと語るのを聞きながら、山の詳しい様子を覚え始めました。

 

 

 

 

 

 

「おらはなあ、あんな高い山へは登ったこたあねえけんど、下から見上げて山の様子は手にとるようにわかるだよ。それに山から下った人の話で雪の深さも想像がつくだ]

 

「重い荷物を背負ってのう。大変なことだ。好きでなけりゃできねえ道楽だ」

 

「だがなあ、命あって明日もあるだよ。無理するでねえぞい。 天気を見ながら、あぶねえと思ったらすぐにも引き返えすだよ。いいかー」

 

 

 

 

 

 

 自分は登らなくても、この天気だと山はこんな状態だ。今年はあの箇所に異常に雪が付いているといった情報を、次に来る登山者たちに伝えました。

冬の鹿島槍のナマの重要な情報を“おばば”は伝え続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真は「北アルプス開拓誌」中村周一郎 から借用)

 

 子供のなかったきく能さんは、若き岳人たちを自分の子供のように思っていました。

 

「いいか忘れるでねえぞ。山は里道と違うでなあ。あぶねえとこがいっぱいある。

 気をつけて行くだよう。無事で帰ってこいよう」

と手を振って見送るきく能さんの姿は慈母のように見えました。

 

 誰言うとなく鹿島のおばばという尊称が広まって、その名は山男たちのあこがれの女傑とまで慕われるようになりました。

 

 「山で死んじゃいけねえよ、荷物は捨てても体だけは必ず帰ってくるんだよ・・・」

ともんぺ姿で祈りながら何人もの若者を見送り、また無事下山してくる若者たちをわが子のように迎えました。

                                       

                                                                (続く)

 

 

 

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山の写真(255):岳人から敬愛された“鹿島のおばば”(その3)「登高記念」 に続く

 

 

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