山の写真(255): 岳人から敬愛された、鹿島のおばば(その3)「登高記念」 | 信州:大町・安曇野便り

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昭和五年十二月、きく能さんは人の勧めによって岳人たちに「登高記念」を書いてもらうことにしました。

地元の和紙“宮本紙”を五十枚ぐらいを、こよりで綴った手づくりの帳面です。

 

第一頁は「昭和五年十二月十八日 快晴を迎え鹿島槍ヶ岳に登頂 堀田彌一」とあります。

立教大学山岳部の堀田氏は後年、ヒマラヤ・ナンダコット遠征隊長を務めた方。

二頁目には、冬山単独行で有名な、あの加藤文太郎氏の「昭和六年三月十一日鹿島槍へ登る」とあるります。

 

 

 

悲しい出来事もありました。

昭和十八年九月十二日:立教大学の齋藤篤氏

「又やってきました。後二十日余りで入隊です。六年間の数々の思い出の地、自然の美とそれに結びついた人々の美しい生活がある鹿島の里を再び訪れる日は何時の日ぞ・・・・・」

 

同年十二月二十四日:薄井雄次氏

「山にもお別れです。何日の日にか又鹿島の里に来られるだろう----小父さん小母さん達者で」と書き残しました。

 

戦地に赴いた彼らは、再び“おばば”の家に来ることはありませんでした。

 

 

 

 

戦中の、昭和十九年十二月六日から二十一年四月二日まで空白。

 

 

 

 

 

(「茅ヶ崎ゆかりの人物館」のポスターより借用 )

昭和二十二年三月には、後にマナスル登頂隊長になった槇有恒氏が、地元大町の百瀬慎太郎と鹿島を訪れています。

有恒:1894(明治27年)2.5 - 1989(平成元年)5.2.登山家。日本山岳会設立者・会長・名誉会員を歴任し、日本隊のマナスル初登頂を成功させた。近代アルピニズムの開拓者、従四位、文化功労者、仙台市名誉市民。

 

 

 

 

そして昭和四十二年八月、学生時代スキーで“おばば”の家に泊まった、あの今西錦司氏が「信濃木崎夏期大学講座」に講師として来た折に“おばば”の家を訪問。

 

四十年ぶりに鹿島を訪ね、思い出の美女にお眼にかかることができました。ほんとうにうれしうございます」と記しています。

 

※今西 錦司(1902.1.6 - 1992.6.15),生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)。Wikiより引用

 

 

 

 

 

                                  

五十年間の「登高記念」は八十六冊。

登山者は八千人を越え、昭和初期の鹿島槍ヶ岳登攀史に登場する岳人たちの名が数多く残されています。

それらは「大町市立山岳博物館」に寄贈され、その一部は常時展示されています。

 

 

“おばば”は後年、この「登高記念」帳を開いては、

「この人は大学教授になった、この人は会社の社長さん・・・・」と懐かしんでいました。

 

ところが「登高記念」の、とある頁はわざと飛ばします。

その頁には遭難して帰らなかった若者たちの名前が記されているからでした。

 「ここは、いつ見てもつらいだいね。かわいそうで・・・・・。この家を出かけたときの元気な顔が、今でも残っているだね。(昭和)三十年に学習院の学生さん四人がとうとう帰らなかったが、その時は四人とも入山する前に日誌に記名していった。それからは、入山するときは絶対書かせない。下山したときに書いてもらうことにしたんね」

 

“おばば”は、自分が子供の頃から眺めてきた鹿島槍で幾多の若者が命を落とすのを黙って見ているわけにはいかず、かといって自分の力ではどうすることも出来ませんでしたが、心から無事で下山してくることを願っていたでしょう。

 

 

 

 

厳冬期の登山が圧倒的だった鹿島槍での遭難者は大変な数に上りました。

中でも昭和三十年十二月二十五日、学習院輔仁会山部の「鹿島槍天狗尾根及び東尾根登攀、その後、遠見尾根の第二次合宿へ転戦する」と力強い筆跡を残して山に向った七人中四人が雪崩で落命。

 

この遭難以降、無事に下山してからでなければ「登高記念」帳に筆を入れさせませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 またある時は、

「遭難した学生の婚約者が、遭難した同じ頃になると毎年うちへやって来て、泣きながら私に当時の話をせがむだね。一生結婚しないというので、死んだ人は帰らない、つらいだろうがいい人がいたら早くお嫁にいきなさい、と私ももらい泣きしながら力づけたこともあったいね」

 

                               (続く)

 

 

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