近年の日本や先進諸国の社会全体が追い求めてきたことで、
今も大まかな流れではそうだと思う。
しかし、
技術や経済の発展を追い求めるあまり、
ないがしろになっている何かがある。
それどころか、
本来、技術や経済の発展を通して求めていたはずのことが、
犠牲になっているようなことがある気がする。
技術や経済の発展で追い求めたのは何か❓
暮らしの便利さや豊かさ、健康などかと。
そしてそれらが得られることで、
幸せを感じられると考えるからではないか。
だけど、
発展の道に偏りすぎると、
本来の目的である豊かさや健やかさ、幸せなどが
損なわれるようなことが往々にしてあると思う。
中学か高校生の頃だったか?
今はもう発展を追い求める時代から転換するべきではないか
というような主旨の文を国語の授業で読んだ。
個人的な感覚としては、
あれから発展は止まることなく進んで、
便利さや物質的な豊かさを享受することはもちろん沢山あるけれど、
何か人間の持っている本質的な本能的な部分が置いてけぼりになっているような感覚があったり。
政府の動きを見たり、街の景色などを見る時ふと、
これらは何のための発展なんだ?と思うような事態が映し出されてきたり。
日々の暮らしもそうだ。
せかせかと何かに追われて生きる。
ロボット掃除機、食器洗い機、乾燥機などの家電、
冷凍食品、レトルト食品も便利でありがたいものだけど、
なんていうか、
そもそも、
それらを使わないと、
精神的にも物理的にも時間的にもやっていけないような暮らしってヤバくないか❓
忙しい会社員、家事育児に追われるママを助けるのは、衣食住を時短で解決するようなアイテム。
それは事実なんだけど、
多分忙しいのは変わらなくて。
もちろん、それで心の余裕、豊かさ、幸せを感じることができれば良いけれど。
それだけで余裕や豊かさ、幸せを感じることはできないかもしれない。
コロナによる自粛生活で、
自分の内側と向き合える時間が増えた。
外野に意識・感覚を消耗せず、
内側の世界を探求する。
日々の暮らしの中での、やりたいと思いつつできないでいたことをやれたり。
家の中のことを丁寧にやるとか、
これまで買っていたものを作ってみるとか、
電車で行ってた場所に歩いたり自転車で行ってみるとか。
そんなことが楽しい
忘れていた余裕、豊かさ、幸せだと思う。
発展を全然否定はしないし、むしろ感謝できるけれど、
手段が目的にならないよう。
バランス取って、
肩肘張らず体幹を意識して、
本当の自分が望む目的志向で