さよなら日光線107系0番台 | マターリ日光線ヽ(´ー`)ノ

マターリ日光線ヽ(´ー`)ノ

JR日光線・東武日光線・鬼怒川線とその近辺の画像とか。
動画も公開してます。
http://www.youtube.com/user/mataaari25

107系の試乗券
手作り感溢れる日光線107系(0番台)の電車試乗券です。

乗車日:昭和63年(1988年)5月29日

JR東日本東京圏運行本部 宇都宮地区

試乗会での運行区間は不明なのですが、
話によると、
一般に広くは配布されず、あまり告知の無い試乗会だったそうで。

107系0番台が製造されたのは1988年の5月から10月の間とな。
N1・N2編成の2編成が完成して間も無くに試乗会が行われた、という事になりますね。

人口グラフのピークである団塊の世代ジュニアが高校生を迎え、
全国各地では通勤・通学需要が逼迫していた1980年代後半。
2ドア・デッキ付きの165系を置き換え活躍し始めます。



1985年頃の日光線・下野大沢駅にて離合する115系と165系。
そして2013年1月の下野大沢駅です…こんなに景色が変わっていたとは(;´∀`)

下野大沢駅もかつては2面3線、
南側は鬱蒼とした木々に包まれ…今現在の面影が殆ど無かったりするのですね。


現在も高崎地区や新潟、長野方面で活躍を続ける115系は、
宇都宮駅の広い構内にあった宇都宮運転所に配置されたのが最初だったそうです。

私自身、何となく記憶があるのは1985年以降なのですが、
宇都宮駅で東北本線の115系は、
湘南色と横須賀色の115系が混在していた時期があった様な記憶があります。

1970年代から続く通勤・通学需要の増加もピークを迎えようとしていた1980年代後半。
東北本線(宇都宮線)では115系の増備で需要に応え続け、
さらに次世代の近郊型車両となる211系も投入される一方で、
相次ぐ急行列車の廃止によって余剰となっていた165系が日光線で活躍し始めます。
…が急行型の車両では混雑に拍車が(;´∀`)

そこで、JR東日本として初めてとなる新形式の107系の登場、という訳です。

・2両1編成による柔軟な運用
・3ドア・ロングシートによる混雑の緩和
・機器の流用によるコストダウン&早期投入とJR各工場の車体製造技術の向上

国鉄からの膨大な債務を抱え地方路線に新車を投入する余裕は無し。
しかしながら、民営化によるサービス向上をうたっている以上、混雑緩和は急務。
そんな矛盾を何とかしようと生まれたのが107系でした。

…車内のツギハギ感がなかなか面白くw

製造から25年あまり活躍し、
2013年3月16日のダイヤ改正により引退した日光線の107系0番台。


そして小山車両センターに留置され最後まで残っていた4編成が、
6月28日(金)にEF64の牽引により中央線経由で回送され長らく活躍してきた地を離れました。


ちょっと長い前置き?になりましたが…(;´∀`)
最後の編成が栃木より去る、との事でしたので見送りに行ってきました。



小山車両センター(宮ヤマ)に10時半頃到着すると…あれ?107系が居ない(;´∀`)
端っこには埼京線で活躍していた205系(ハエ27編成)が。
湘南色をまとった205系600番台と肩を並べる姿は、何とも不思議な感じです。



検収庫側に来てみると…居た!すでにEF64-1030がライトを点け連結済みの様子です。
傍らには205系600番台湘南色…たぶんY7編成やら、スマート電池くんが。
この地点に撮影に訪れる方もチラホラと。

しばらく様子を眺めた後、ワシクリに車で移動です。



宇都宮線[古河]-[栗橋]間を走る107系の配給列車です。
編成はN7+N6+N5+N3、
中央線の断面積の小さいトンネルに対応するため、パンタグラフは外された状態です。

ワシクリに移動する予定だったのですが、
渋滞やら電話応対やらで間に合わず…急遽、利根川橋梁手前のカーブにて。
…ビニールハウスが(;´∀`)
でも、見送れただけマシだった…かな。

この後、新宿まで出て「特急かいじ」にて追っかけをしようかと思いましがた、
仕事で疲れ気味だったので断念でした。

今回の長野までの配給は中央線経由、という事もあり、
ブログ・Twitter等での撮影報告も多かったので、
皆様の画像・動画を拝見させて頂きました。

とうとう去ってしまいましたね…107系0番台。
沿線民以外には馴染みのない車両なのかもですが…ホントお疲れ様でした。


おまけで、同日に兄弟車の走る両毛線にて。
見送ったあとに、ちょっと寂しくなりあのモーター音を聞きたくなってしまって…ですね(;´∀`)