人生には善し悪しに関わらず時として<思いがけない>ことが突然割り込んでくることがある。そして<思いがけない>ことは、その<思いがけなさ>の度合いに応じて、ある人の魂を揺さぶたっり、その運命を変えたりする。大げさに言えば、昨日までの自分とは、違う人間になるのだ。って、やっぱり大げさかな。
ここ数年の事柄で言えば私にとっての<思いがけなさ度>ナンバーワンは何と言っても<弘の手紙>だ。<弘>は、たくさんの「こと」・「もの」を私にもたらした。それら新たにやってきた「こと」「もの」のほとんどは、全く知らなかったか、考えてもみなかったことばかりだ。既に鬼籍に入って居る人も生きている人もいた。そこで魂を揺さぶれつつ、「こと」「もの」や「人」について調べたり考えたりする。するとまた知らなかったことや考え直さなければならない「こと」「もの」「人」に出くわし、さらに魂が揺さぶられることになる。このブログを書き進めているとその繰り返しであった。
前回のブログで紹介した「ふぐちゃん」のメッセージも<魂が揺さぶられた>ものの一つだ。<弘>の帰国を調べる中で、「留用」という歴史的事実を知った。満鉄は昭和20年9月末に解散したが、鉄道が運転を止めたわけではない。そこで社員の多くは、彼の地に留まり、そのまま「留用」され鉄道の運営に従事した(させられた)。私が調べた範囲では、満鉄社員の「留用」は昭和23年までということになっている。事実満鉄最後の総裁である山崎元幹は満鉄社員留用者の帰国の目途をつけ、昭和22年10月に帰国している。(弘の帰国は昭和22年3月)
ところが<ふぐちゃん>一家は昭和28年まで中国に留まっている。まずはこの事実に驚かされる。さらにお父様が東京での就職を断念しなければ事情を知り、その驚きはさらに増すことになる。そこでその時代の様子を少し調べてみるとレッドパージが吹き荒れた後の日本について知ることになり、あれこれと考え込むことになる。レッドパージついては表面をなぞっただけでも知らない事ばかりだ。その関連で、朝鮮戦争について調べる。そうすると「え~~そうだったのか」と池上彰ばりに叫んでしまう。と同時に、<思いがけないこと>に亡くなった父の事を考えたりする。7年前に亡くなり、昭和八年生れの父は、朝鮮戦争が起こった年に大学に入学した。レッドパージが吹き荒れ、朝鮮戦争が起こる中で、多感な時期であったろう父は何を考えていたのだろうか。
そして再び、「ふぐちゃん」のメッセージに思いを馳せる。昭和28年に帰国した「ふぐちゃん」一家。その頃の事を「ふぐちゃん」は「家族の生活で必死でしたよ」と記す。すると再び、この頃の父の事を想像してみる。その材料として、形見となった学生時代のノーを取り出す。表紙はくすみ、万年筆で書かれた「経済学原論」の文字はよく目を凝らさないと見えない。中身は授業ノートだから、経済学の用語が並び、父の個人的な感想なり、思いは一言も記されていない。私にとってはもっとも苦手な分野の内容だし、専門家以外には無味乾燥な内容に思える。しかしこのノートはどんな品より父の匂いがするものだ。表紙を捲るとそこには確かに父が現れる。万年筆でビッシリと書かれたその文字は、決して達筆でないが、父らしい字だ。筆圧が強くやや神経質にもみえる。と同時にアドレナリンが溢れているというか、鼻息の荒い文字でもある。兎にも角にもその行間に父が蘇る。
昭和30年春父は大学を卒業する。朝鮮戦争後の不況で父は就職に苦労したらしい。造り酒屋の一人息子ということも禍したのだろう。研究者になることを夢見たようだが、それを断念するまでにどんな葛藤があったのだろうかと今更ながらに考えてしまう。生前の父に対しては、ちょっと複雑な思いがあるが、殊、進路に関しては、自由にさせてくれたなあと改めて気づくのであった。
<ふぐちゃん>たちが<生活に必死で>あった頃、父は<必死に>授業を受けていた。父は経済的には比較的恵まれていたから、こういう比較は不謹慎かもしれない。しかしいずれにしても時代そのものが<必死だった>と想像するのだが、如何であろうか。
このように<弘>は<弘>自身が<思いがけない>だけでなく、様々な<思いがけない><もの>・<こと>をもたらす。それは史実であったり、事実であったりする。思い出を蘇らせる事もあるし、考え直す契機になることもある。既に鬼籍に入った人が蘇ったり、もちろん生きている人を結びつけたりもする。そして<弘>がもたらした<思いがけない>ものの中でもk氏から頂いたメッセージは特に印象的だ。前回のブログでその紹介を予告したが今回の紙面は尽きてしまった。少し詳しく書きたいので次号ということで、許して貰おう・・・・
ここ数年の事柄で言えば私にとっての<思いがけなさ度>ナンバーワンは何と言っても<弘の手紙>だ。<弘>は、たくさんの「こと」・「もの」を私にもたらした。それら新たにやってきた「こと」「もの」のほとんどは、全く知らなかったか、考えてもみなかったことばかりだ。既に鬼籍に入って居る人も生きている人もいた。そこで魂を揺さぶれつつ、「こと」「もの」や「人」について調べたり考えたりする。するとまた知らなかったことや考え直さなければならない「こと」「もの」「人」に出くわし、さらに魂が揺さぶられることになる。このブログを書き進めているとその繰り返しであった。
前回のブログで紹介した「ふぐちゃん」のメッセージも<魂が揺さぶられた>ものの一つだ。<弘>の帰国を調べる中で、「留用」という歴史的事実を知った。満鉄は昭和20年9月末に解散したが、鉄道が運転を止めたわけではない。そこで社員の多くは、彼の地に留まり、そのまま「留用」され鉄道の運営に従事した(させられた)。私が調べた範囲では、満鉄社員の「留用」は昭和23年までということになっている。事実満鉄最後の総裁である山崎元幹は満鉄社員留用者の帰国の目途をつけ、昭和22年10月に帰国している。(弘の帰国は昭和22年3月)
ところが<ふぐちゃん>一家は昭和28年まで中国に留まっている。まずはこの事実に驚かされる。さらにお父様が東京での就職を断念しなければ事情を知り、その驚きはさらに増すことになる。そこでその時代の様子を少し調べてみるとレッドパージが吹き荒れた後の日本について知ることになり、あれこれと考え込むことになる。レッドパージついては表面をなぞっただけでも知らない事ばかりだ。その関連で、朝鮮戦争について調べる。そうすると「え~~そうだったのか」と池上彰ばりに叫んでしまう。と同時に、<思いがけないこと>に亡くなった父の事を考えたりする。7年前に亡くなり、昭和八年生れの父は、朝鮮戦争が起こった年に大学に入学した。レッドパージが吹き荒れ、朝鮮戦争が起こる中で、多感な時期であったろう父は何を考えていたのだろうか。
そして再び、「ふぐちゃん」のメッセージに思いを馳せる。昭和28年に帰国した「ふぐちゃん」一家。その頃の事を「ふぐちゃん」は「家族の生活で必死でしたよ」と記す。すると再び、この頃の父の事を想像してみる。その材料として、形見となった学生時代のノーを取り出す。表紙はくすみ、万年筆で書かれた「経済学原論」の文字はよく目を凝らさないと見えない。中身は授業ノートだから、経済学の用語が並び、父の個人的な感想なり、思いは一言も記されていない。私にとってはもっとも苦手な分野の内容だし、専門家以外には無味乾燥な内容に思える。しかしこのノートはどんな品より父の匂いがするものだ。表紙を捲るとそこには確かに父が現れる。万年筆でビッシリと書かれたその文字は、決して達筆でないが、父らしい字だ。筆圧が強くやや神経質にもみえる。と同時にアドレナリンが溢れているというか、鼻息の荒い文字でもある。兎にも角にもその行間に父が蘇る。
昭和30年春父は大学を卒業する。朝鮮戦争後の不況で父は就職に苦労したらしい。造り酒屋の一人息子ということも禍したのだろう。研究者になることを夢見たようだが、それを断念するまでにどんな葛藤があったのだろうかと今更ながらに考えてしまう。生前の父に対しては、ちょっと複雑な思いがあるが、殊、進路に関しては、自由にさせてくれたなあと改めて気づくのであった。
<ふぐちゃん>たちが<生活に必死で>あった頃、父は<必死に>授業を受けていた。父は経済的には比較的恵まれていたから、こういう比較は不謹慎かもしれない。しかしいずれにしても時代そのものが<必死だった>と想像するのだが、如何であろうか。
このように<弘>は<弘>自身が<思いがけない>だけでなく、様々な<思いがけない><もの>・<こと>をもたらす。それは史実であったり、事実であったりする。思い出を蘇らせる事もあるし、考え直す契機になることもある。既に鬼籍に入った人が蘇ったり、もちろん生きている人を結びつけたりもする。そして<弘>がもたらした<思いがけない>ものの中でもk氏から頂いたメッセージは特に印象的だ。前回のブログでその紹介を予告したが今回の紙面は尽きてしまった。少し詳しく書きたいので次号ということで、許して貰おう・・・・

