1995年1月に起こった阪神大震災では97年12月までの推定で延べ187万人のボランティアが活動したという。この中に私は入っていない。そしてついこの間岩手でボランティアに2日間参加するまで経験がなかった。そういう人間が「広島から東北へ」と呼びかけても全く説得力を持たないのは、自覚している。ただこれまでの経緯をもう一度書いてみたいと思う。

 3月11日に震災が起こり、津波が人や町をのみ込む凄まじいとしか形容のしようがない映像が遠く離れた広島でも流れる。ところが私の場合あまりにも映像が凄すぎて事の重大さを上手く想像できなかった。この時点でボランティアのボの字も思い浮かんでいない。それだけではなく、水さえないのはわかったが、物資はとても送れないだろと思い、結局行動に移せなかった。これは後から、人づてに聞いたのであるが、地震の一報を聞くや否や、2トントラックに詰めるだけのものを詰めて、宮城へと支援物資を届けた人が広島にいる(直接の知り合いではない)。彼は昼夜走り続け、制止する警察官などを振り切って、13日早朝に現地に入ったという。全く持って頭が下がる。

 徐々に事の重大さがわかってくると、さすがにせめて募金をしなければという気になった。問題はいくら寄付をするかということである。私の場合、募金=小銭という感覚であるが、今回はそれではまずいだろう。メディアでは大口の寄付が話題になっていて,1千万、1億、10億という金額が喧伝されるがこういう大金は全く参考にならない。
 そんな時、近所のコンビニ行くと,募金箱にたくさん千円札が入っていた。それを見た私は「やっぱり札だよな」ということになり、募金=小銭は卒業(?)した。ところがその日の夜他県でOLをしている娘から℡があって「今日会社で募金箱が回ってきたら1万円札しか入ってなかったので、私も2万円を入れた」と言われてしまった。こうして千円札も卒業し、1万円札に突入(?)する。そうすると、近所の募金箱に入れるのは抵抗がある。「やっぱり銀行振り込みかなあ」と思っていたところへ一つの情報が入ってくる。義援金にの代表的な振込先である日本赤十字社は公平な分配方法が決まるまで、お金をプールしておくという(周知のようにこのルールはその後変更された)。
 そうなるとすぐにお金を渡してくれるところへ寄付したいと思うようになった。そんなときツイッターを眺めているとジャーナリストの日垣隆氏が「最低100万円を持って被災地を回り、静かに置いてこい」とつぶやいていた。彼は続ける。
「100万円は一つの目安。これより少なくてもよい。ただお金は直接自分で届けるのが基本」。
 金額もさることながら、「直接自分で届ける」に強く反応した。そして銀行に走り、東北への切符を手配して、広島を後にしたのは既に書いた。そしてお金を上手く渡せなかったことも書いたし、余ったお金で、ボランティア隊を結成し、今度は団体で岩手へ目指していることも書いた。
 これまで一度もボランティアを経験したことがなく、その気もなかった私が、曲がりなりにも活動しようと思い立つきっかけを作ってくれたのが日垣隆氏だ。まあ、我ながら単純すぎるような気もするが。
 
 ところで日垣氏とは浅からぬ因縁がある(彼は感じてないでしょうけど)。
 私は広島のある勉強会に参加していて4人でも細々と活動していたのだが、「何かイベント企画を!」ということになった。今年の1月である。相談した結果ジャーナリストの日垣隆氏を広島に呼び、講演会を開催しようということになった。恐る恐るオファーを出すと(正確に言うと他のメンバーに出してもらうと)幸い快諾してもらった。それが2月である。テーマは彼の著作「こう考えれば、うまくいく」(文藝春秋社)をたたき台にして地方都市で真に自立して生き延びる方法を講演してもらう予定であった。ところが3月11日の震災だ。テーマはそのままながら、震災や原発問題に重きを置いてもらうことにした。
 日垣氏は現場で考える主義だ。今回の震災でもいち早く現地入りし、精力的に東北各地を回った。それだけではない。この日を前後して、チュニジア、リビア入りし、一連の革命の実情を目で確かめている。それだけでない。その後原発問題が浮上すると、チェルノブイリへと入り、改めて原発事故の総括をしている。その過激なまでの現場主義と行動力には全く頭が下がる。
 そんな日垣隆氏の講演会が広島である。行かない手はない(自爆)。以下に日程等を記載する。

・日垣隆講演会
日時  6月25日(土)13時~
場所  広島県立総合体育館(グリンアリーナ)地下1階大会議室 広島市中区基町4-1 公式HP
テーマ「作家・ジャーナリスト 日垣隆氏に聞く。何が起きるか分からない今……「こう考えれば、うまくいく。 
 
※チュニジア・リビア・チェルノブイリ報告や東日本の復興・原発問題などに重きを置いて講演してもう予定です。質疑応答のコーナーも設けています。

詳細は
こちら  
チケット代:4500円 

◎申し込み方法 下記アドレス宛にて件名を「6月25日イベント申し込み」としてメールにてお申し込み下さい。その際、①氏名 ②性別 ③メールアドレス ④申し込み枚数を銘記下さい。複数枚申し込まれる場合はお名前等は代表者で結構です。折り返し振込先をお知らせします。  
メールアドレス:credohiroshima@gmail.com










 昨日のブログで被災者の方が受け取ることの出来る金額が自治体によって異なると書いた。まだすべてを理解しているわけではないが、調べてみると少しわかったこともあるので、訂正を兼ねて記事にしたい。

 今回の支給は「被災者生活再建支援法」「災害弔慰金の支給等に関する法律」に基づいている。前者は阪神大震災を教訓として作られた法律だという。
 私は法律家ではないので、条文を読んでもわからないことも多いが今回の震災で全壊した家屋について最高100万円が支給されるのは「被災者生活再建支援法」に基づいている。そして新たに住宅を購入・建築した場合、最高200万円の追加支援があるのもこの法律に基づくものだ。この法律に基づいて支給される金額には自治体による差異はないようだ。
 問題は「
災害弔慰金の支給等に関する法律」の方だ。
 この法律の条文に目を通すと、第三条1項に「
市町村(特別区を含む。以下同じ。)は条例の定めるところにより、政令で定める災害(以下この章及び次章において単に「災害」という。)により死亡した住民の遺族に対し、災害弔慰金の支給を行うことができる」とあり、さらに3項に「災害弔慰金の額は、死亡者一人当たり五百万円を超えない範囲内で死亡者のその世帯における生計維持の状況等を勘案して政令で定める額以内とする」とある。つまり釜石市で遺族に最高500万円が支給されるのはこの法律に基づいている。そして釜石市で弔慰金が支給されるのは「条例の定め」があったことを意味するだろう。一方で山田町では50万円でなっているのは、そのように条例が定められているのかもしれない。(未確認)
 ところでこの災害弔慰金は二分の一を国が負担し、四分の一を都道府県が負担するが、まずは市町村が立て替え払いをし二三ヶ月後に市町村に交付される仕組みであるという(典拠はWikipedia「災害弔慰金の支給に関する法律」)。
 つまりこの法律に基づき弔慰金を市町村が支給するには多額の立て替え費用が必要ということになる。財政規模の小さい自治体にとってこの立て替え費用は大きな負担のはずで、そのために満額が支給ができないのかもしれない。山田町も立て替え費用の算段がつかないため、「50万円」となっているのだろうか。
 そもそも山田町の「50万円」はこの法律に基づく支給でないのではないか。というのは、釜石市市役所のホームページを見ると、前述の法律に基づき支給される弔慰金とは別に災害義援金交付についての説明あり、日本赤十字社などからの義援金に基づき交付される旨が銘記されている。以下に転載する。

義援金の名称り災事実
交付金額
(1)死亡または行方不明見舞金
死亡または行方不明 対象者1人当たり55万円(国35万円、県15万円、市5万円)
(2)住宅損壊等見舞金
①居住している住宅が全壊または全焼1戸あたり50万円(国35万円、県15万円)
②居住している住宅が半壊または半焼1戸あたり25万円(国18万円、県7万円)
(釜石市災害対策本部情報 「災害支援金の交付申請」)

 上記から山田町で支給される「50万円」は日本赤十字社などからの義援金に基づき交付されている可能性が高い。そうだとすると、何らかの理由で山田町では「災害弔慰金の支給等に関する法律」が機能していない可能性がある。その理由が立替金が捻出できないということであれば、やはりここは国・政府の力に頼らざるを得ないだろう。
 それにも関わらず昨日テレビ番組を見ていたら、自民党の町村氏は「たとえ1ヶ月くらい国の機能が止まっても、選挙を!」と主張していた。民主党政権の情けなさは目を覆いたくなるが、自民党も現状を認識しているとは思えない。
 兎にも角にも被災者支援のための財源確保が急がれるという事だろう。

※連日のお断りで恐縮ですが本記事の内容に誤りがある場合はご一報頂けると有り難いです。




 以前のブログに書いたが、釜石市では「生活支援の申請手続き」のお手伝いをした。そこで釜石市では被災者は申請により下記の金額が支給されたり、貸し付けられたりすることを知った。
1遺族には見舞金として250万円~500万円支給
2家屋の全壊・大規模半壊には37万円~300万円支給
3災害援護資金として150万円~350万円貸し付け(3年~5年間据え置き)
 家族や家をなくし、思い出さえなくした被災者にとってはお金では埋められないことはたくさんあるだろう。と同時に阪神大震災の時、被災者が受け取った金額は平均40万円程度と聞いていたので、十分とは決して言えないけれど、比較的大きな金額を受け取ることができると知り、少しだけ安堵した。だから「釜石では、お金もまだまだ足りないが、一番足りないのはお手伝いをする人だ!」と思い今回ボランティア隊の派遣を企画したのである。そして上記の金額をどの自治体の被災者も受け取ることが出来ると思い込んでいた。
 ところが山田町役場災害対策本部の5月23日付公表資料に目を通して愕然とした。山田町では受け取ることができる金額は以下の通りである。
1死亡または行方不明者見舞金 対象一人当たり 50万円
2住宅損壊等見舞金       25万円~50万円
3被災者生活再建支援金     50万円~300万円
 それぞれの人口は釜石市が39600人、山田町が18625人。釜石市は新日鉄もあるので、両者の財政規模は見かけ以上に大きいのかもしれない。また交通事故死などで、対象者の収入などによって支払われる金額に多寡があると聞いたことはある。しかし今回は同じ震災で受けた被害について受け取ることの金額が違う、特に弔慰金の額が異なるのは多くの人に疑問があるのではないか。私もその一人である。それだけではない。例えば山田町では3「被災者生活再建支援金」として受け取ることの出来る300万円の要件として1自宅が全壊し、2新たに住宅を建設・購入する場合なのである。この点でも両者の違いは大きい。
 しかし誤解の無いように書けばこれは当然ながら釜石市への批判ではない。被災地全部について調べたわけではないがせめて釜石市で受け取ることの出来る金額に合わせられないだろうか。こういう違いがあることを管首相はご存じなのだろうか。
 兎にも角にも、6月11日から釜石市に入る予定であるができれば山田町にも寄ってお手伝いをしたいと思っている。

※釜石市と山田町の金額についてはホームページで確認しました。実際に申請する場合は受け取る金額に違いはないのかもしれません。また今後追加の支援金があるかもしれませんが、全く知らなかったことなので、書きました。無知をさらけだしているかもしれません。記述に誤りがある場合、ご一報頂けると有り難いです。
 震災以後、朝日新聞の「いま伝えたい 被災者の声」という新コーナーに、なるべく目を通すようにしている。掲載の段階で取捨選択があり、記事は口述筆記の体裁をとっているので、内容・ニュアンスに相違があるかもしれないが被災者が何を考え・何を望んでいるか知る上で貴重な情報源となっている。
 既読の方も多いかもしれないが、あえてここ数日の記事をいくつか紹介してみる。

 石巻市 高橋タマ子さん(73)
「震災直後から避難所の図書館で暮らしています。本が自由に楽しめるから、他の避難所より恵まれているほうだろうねえ。日本の歴史ものを中心に、もう20冊読破しました。今は卑弥呼の話を読んでいます。仮設住宅を希望していますが、抽選に全然当たりません。本をあと何冊読まなきゃなんないのかしらね。避難所の周辺のヘドロがすごい臭いで、体を壊しそう。早く普通の生活に戻って、温泉旅行でも行って山菜をたべたいもんだねえ」=同市の市図書館 (5月23日付)


 避難所が足りないということは、よく耳にしていた。映像で目にする避難所は学校の体育館である場合が多いので他施設の避難所の実態に思いが至らなかった。遅ればせながらこの記事により図書館までも避難所となっていると知る。多くの公共施設が本来の機能を発揮できないでいることを改めて知ることで、まだ復興は途端にも付いていないことを痛感するのである。それにしても「本をあと何冊読まなきゃなんないのかしらね」というつぶやきをどんな風に受け止めれば良いのだろう。また「臭い」というのは、映像から全く体感できない要素で、嗅覚の欠如は想像力の欠如に繋がりやすいことを肝に銘じなければならない。
 高橋さんが母と同じ年齢であるので、余計に言葉が身に沁みた。温泉旅行に招待したいと思うのは不遜だろうか。あっその前に母を温泉にですね・・・・。

大槌町大槌 八幡亜希子さん(26)
 「肉や果物など新鮮な食べ物がなかなか食べられず、子ども服も支援物資では着られるサイズがなかなか見つからず困っています。歯科助手をしていましたが、それもできなくなりました」=釜石市上中島町4丁目のコンビニエンスストア(5月20日付


 一般に避難所への物資は一応足りているということになっている。避難所によって「量」の差は大きいし、「質」という面ではどこも十分とは言えない。調理方法・器具などが制限されるいるから仕方のない面はあるが、2ヶ月以上経過した現在でも食事の中心は缶詰やインスタント食品であるという。
 政府は8月までに避難所をすべて解消する方針らしいが、識者によると、補正予算の骨格が固まっていないなど、実現はかなり難しいらしい。そうであるならばあと数ヶ月は避難所生活が続くことになるから、「新鮮な食べ物」というのは、健康面からも精神衛生上からも目の前にある大きな課題の一つであると思う。
 またこれはこれは一度書いたが、衣類は「新品またはそれに準ずるモノ」が基本だ。それに加えて、上記の記事から、サイズという発想も加えなければならないだろう。後述するが、避難所では洗濯が制限されているのでこれからの季節、下着類などは余るということは考えなくてもよいのかもしれない。

大槌町大町 道又直衛さん(61)
「母のキン、弟の康志が行方不明で、遺体安置所を回りましたが見つかりませんでした。避難所には洗濯機が2台ありますが、水も足りず、場合によっては洗濯するのに釜石市まで行かなければなりません。とにかく避難所にもっと洗濯機を置いてもらい、せめてすぐ服を洗濯できるようにして欲しいです。」=同町城山体育館

 
  私がボランティアとして活動した山田北小学校も避難所になっており、体育館前に確か2台の洗濯機が置いてあった。その時点で山田北小学校は100名を超える被災者の方がいらっしゃったから、2台ではずいぶん不都合であっただろう。その時点で山田町もまだ給水は完全ではなく、至る所で漏水が起こっていた。現在では通水箇所は拡がったが、漏水が頻発している状況は変わらないらしい。(山田町役場ホームページ5月23日公表資料)。この記事を読んでまず山田町での風景が思い出された。
 洗濯一つとっても非常に不自由で、そのことが被災者の方の気持ちを中々前向きにさせない大きな要素になっているのだ。インフラが完全に復旧していない以上、このような問題はどの被災地でもあるのだろう。
 二人の肉親が行方不明の中で、道又さんの洗濯に対する気苦労だけでもせめて解決することはできないだろうか。