ワルツはみんな同じじゃない!:レントラー風ワルツ〈アルプスの羊飼い娘〉考 | 台東区入谷・浅草・三ノ輪のピアノ教室《高島ピアノ塾》とバレエピアニスト高島登美枝のブログ

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歴史と文化の地・台東区(浅草 入谷 上野)の《高島ピアノ塾》。
主宰者は早稲田大学出身の異色のピアニスト。
伴奏業の傍ら、東京藝大大学院で博士学位を取得。
20代から「音楽による経済的自立と社会貢献」を実践し
逆境から夢を叶えた音楽起業家人生のストーリー。

浅草 台東区のピアノ教室

《高島ピアノ塾》主宰、
バレエピアニスト・歌曲伴奏者の

高島登美枝です。
本日もご来訪ありがとうございます。

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今日は話の口開けに、

演奏会のご案内を

掲載させていただきます。

全曲、高島が伴奏いたします。

東京の桜も開花している時季ということで、
「花」をテーマにした声楽曲の数々を

お楽しみいただきます。

 

■AHP#72「花の音楽会」
公演日時: 2018年3月27日(火) 19:00開演 
公演会場: すみだトリフォニー小ホール 
チケット : 3500円(全席自由)
ご予約はこちらから↓
    http://www.studio-cannone.com/AHP/form/form03.html

 

 

この演奏会に登場する曲の中に、

ロッシーニ《音楽の夜会》の中の1曲、

〈アルプスの羊飼いの娘〉があります。

 

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ところでロッシーニって

声楽の方以外にとって

どの程度有名なんでしょうか?

 

このおじさまです。

若い頃は美青年でモテたという話ですが…

姓はロッシーニ、

名はジョアッキーノ。
(最近の研究では

「ジョアキーノ」が本当だそうですが、

世間ではまだ「ジョアッキーノ」表記が主流です)

 

試験に出る音楽史笑では

《セビリアの理髪師》や

《ウィリアム・テル》などの

オペラ作品の作曲家として知られています。
 

《テル》は序曲だけがやたらと有名で、

学校の音楽鑑賞の題材になったり、

映画でもよく取り上げられています。

フィギュアファンとしては

トリノ五輪で、

スイス代表ステファン・ランビエールの

圧巻のショートプログラムが思い出されます。

2分56秒から注目↓

 

 

 

オペラ作曲の次にメジャーな

ロッシーニの功績は「美食家」。

若い頃から美味しいもの好きだった彼は

後半生、料理メニューの開発や

高級レストラン経営にいそしみます。

おかげで、今でもフランス料理には、

「ロッシーニ風」と名の付くメニューが

ときどき登場します。

 

彼はオペラ作曲家として
イタリアで成功を収めた後、
1823年にパリにやってきて、

1836年まで滞在し、

(滞在というより引っ越しやん)

1855年に再度パリに戻っています。

レストラン経営に乗り出したのは

パリ時代以降でしたから、

「ロッシーニ風」と呼ばれる料理は

フランス料理なんですね。

 

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1829年、37歳で《テル》を書き、

それをオペラ座の舞台で大成功させた後、

(↑当時の作曲家の花道キラキラです)

ロッシーニはオペラ作曲から

手を引きます。

 

1829年。

実は時代の境目です。
 

翌1830年に七月革命が起こり、

フランスの政治権力の中枢を握る階層は、
王政復古により返り咲いていた

それまでの旧貴族層から、

資本家や銀行家などの

富裕市民層へと移行します。

いわゆる「ブルジョワ」(大ブルジョワ)です。

 

旧貴族らの多くは

パリを去り、領地へ隠遁します。

 

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権力層が移行したことで、

パリ社交界の雰囲気も一変します。

 

もともと市民階級であるブルジョワ層は、

貴族層、

つまり領地からの不労所得で

生活している人々ほどには

時間のゆとりもなく(仕事してますから)、

教養レベルでちょっと劣るわけです。

だから、ギリシャ神話や

ローマ時代の詩など、

古典教養の前知識が必要な芸術作品は

なんとなく敬遠されます。

 

ここにおりしも

ヨーロッパじゅうをうねりに巻き込んだ

ロマン主義芸術の波が重なり、
(つまり古典への反発ですね)

七月王政期のパリでは、

美術に、演劇に、文学に、

ロマン主義が大輪の花を咲かせます。

 

音楽・舞台芸術も例外ではありません。

ベルリオーズの《幻想交響曲》は、

まさに1830年。

ショパンがパリにやって来たのが1831年。

 

それまで国営だったオペラ座が

七月王政を機に民営化され、

その最初の大ヒット作となった

マイヤベーアのオペラ

《悪魔ロベール》※が1831年。

 

※この作品は、

グランド・オペラとして名高いだけでなく、

バレエにおいてもエポック・メイキングな

作品となりました(詳しくはこちら↓)。

「19世紀の劇場照明:《悪魔ロベール》の〈修道院の場〉」

https://ameblo.jp/nikiyabayaderka/entry-12336949112.html

 

ロッシーニがオペラ作曲をやめるという

生き方の方向転換をしたのは、

まさにこんな時代。

時代自体も曲がり角だったんですね。

 

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《音楽の夜会》は全12曲からなる

サロン風の歌曲集。

 

出版は1835年ですが、
ロッシーニは

約5年かけて作曲していますので、

まさにこの時代の変わり目の時期の、

社交界の嗜好が反映されている

作品群といえましょう。

 

原詩はイタリア語で

作者はピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)、

日本ではマイナーですが、

近年研究が進んでいる詩人です。

 

この歌曲集は歌い手さんに人気で、

私は駆け出しの頃から

よく伴奏を弾いていますが、

今回、同じ時代のロマンティック・バレエを

修論のテーマに選んだことで、

少し見方が変わりました。

 

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当時のサロン楽器の花形はピアノで、

ショパンやリストのような

卓越した演奏技量を備えたピアニストが

サロンのスターとして、

丁重にもてなされた時代でした。

 

彼らはサロンで自作を演奏するばかりでなく、

パラフレーズものもよく演奏しました。

要するに、

オペラやバレエのヒット曲の

アレンジ演奏です。

リストはそれらを記譜して残していますね。

 

また、ピアノを習うことが

ブルジョワ階級の子女のたしなみとなったので、

当時の初~中級者対象のピース楽譜として、

オペラやバレエの曲の抜萃や

それで舞踏会ができるように

メドレーになった曲集が

たくさん残っています。

 

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《音楽の夜会》は

ピアノ曲ではなく歌曲集ですが、

やはりこうしたサロンの嗜好とは

無縁ではいられなかったのか、

バレエでのヒット作を連想させる曲調の作品が

幾つか含まれています。

その一つが〈アルプスの羊飼いの娘〉です。

 

1832年、

当時、人気絶頂だったバレリーナ、

マリー・タリオーニは、

《ナタリーあるいはスイスの乳搾りの娘》を

オペラ座の舞台で演じます。
 

同じ原作は既に1823年に

ポルト・サン=マルタン座で舞台化され

ヒットしていましたが、

(最初の舞台化は1815年だがヒットしなかった)

オペラ座&マリー・タリオーニのために

リメイクされました。
 

ナタリー役のマリー・タリオーニ↓

BnF所蔵
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5759130b

 

今ほど簡単に旅行できる時代ではありませんし、

テレビもなかったわけですから、

当時のオペラ座の舞台作品では、

外国を舞台にしたものが好まれました。

 

観客としては、

小説で読んだり、絵画で見た外国風景を

三次元空間で見てみたかったわけです。

 

同じ理由で、

歴史ものやファンタジーものも、
好まれました。

つまり、当時のパリの社交界にとって、

「今、ここ」ではない作品が

人気だったのですね。

 

《ナタリー》もそういう理由で

スイスが舞台。

いかにもスイスの娘さんという

乳搾りがお仕事の村娘が主役の

軽い恋愛物語です。

 

〈アルプスの羊飼い娘〉には

"Tirolese" (チロル風)という

「ことばがき」がついていますし、

作曲&出版時期から考えて、

ロッシーニが

このバレエを意識したことは

間違いないでしょう。

 

スイスはドイツ文化の影響が濃いので、

この曲の

曲想はドイツ風のワルツ、

つまりレントラーの雰囲気のワルツになっています。

 

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ここでちょっと一言。

 

19世紀を席巻した舞曲、ワルツ。

その起源については、

それだけで一冊研究書がかけるくらいですが、

ドイツの民族舞踊であるレントラーから

影響を受けているであろうと言わています。

 

レントラーは、

ワルツより1拍目のアクセントが強く、

八分音符刻みの音型が多用されるので、

三拍子と言っても、

スクエアな感じのまさる曲調です。

結果的にテンポもおそめ。

 

19世紀前半のワルツ、

つまり初期のワルツには、

レントラー色の強いものも多くみられます。

 

特に舞台作品などで

ドイツ色を出すために、

このタイプの曲が

わざと用いられています。

私の修論のテーマ《ジゼル》で

最も有名なワルツも、

まさにこのタイプ。

《ジゼル》はドイツの葡萄作りの村が

舞台でしたから。

 

時代が下るにしたがって、
テンポの速いワルツや

遅くても拍の刻みが見えにくい

フレーズが大きくレガートなタイプのワルツが

増加していきます。

 

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ロッシーニは、当然、

同時代の社交界の嗜好、つまり

劇場でのヒット作の雰囲気を

サロンでも味わいたいという要望を

理解していて、

自身の歌曲にも反映させたと思われます。

 

この〈アルプスの羊飼い娘〉は

レッジェーロ・ソプラノが歌うことが多く、

しかも「サロン風歌曲」だということは

よく知られているため、

軽妙に演奏される例をよく見受けます。

私もかつてはそう思っていました。

 

しかし、サロンはサロンでも

19世紀後半のサロンではなく

七月王政期のサロンですし、

ワルツと言っても初期、

それもドイツ文化圏を意識した曲ですから、

軽さが過ぎると、

作曲者の意図した様式感から

逸脱するんじゃないかな…

とあらためて思った次第。

 

七月王政期の社交界の人々にとって、

外国のイメージの音楽は、

いまの旅行番組と同じ。

 

旅行番組でも、

観光客向けの風物より

現地の人々の雰囲気が伝わるものが

好まれるように、

この曲もレントラー風の香りを残した演奏…

つまりちょっと田舎風のほうが、

ロッシーニの狙いだったような気がするのですが。

 

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私としては
七月王政期について

院で研究したことで、

歌とピアノとバレエの世界が

ぜ~んぶつながって、
見方が変わったんですよね。
だから、自分としては

レントラー風のスタイルで弾きたいと

希望しています。

 

しかし、バッハだって現代ピアノで弾くときは、
ピリオド演奏と一線を画するわけですから、

洒脱に軽~く歌うというのも「あり」です。

 

どう歌うか決めるのは歌手の仕事。

伴奏者は提案するだけ汗

歌手が決めたスタイルに合わせて、

伴奏のスタイルも変えなければなりません。

 

さて、今回の演奏会では

どういうスタイルになることやら。

ぜひご来場いただいて、

直接お確かめくださいドキドキ

 

《高島ピアノ塾》
高島登美枝

東京メトロ日比谷線 入谷駅 徒歩4分

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