土浦から水戸を回って南下し、鹿島神宮までやってきました。
ものすごく時間がかかりました。
ここが鹿島神宮駅。
ついたときにはすっかり夕方です。
いきなり鹿島神宮を目指す案内標示塔です。
鹿島神宮駅というだけあって、鹿島神宮絶賛押しです。
あと、塚原卜伝生誕の地とかで(ぜんぜん知りませんでした)、こちらも絶賛キャンペーン中でした。
塚原卜伝像。
マンションの正面にあるのがシュールです。
拡大すると、背景との対象がより際立ってシュールです(笑)。
駅から上がった鹿島神宮に続く道。
森化しているのが鹿島神宮です。
鹿島神宮の入り口です。
ここからでは全貌どころか楼門さえ見れません。
しばらく歩くと、楼門が見えてきました。
あそこからが、いわば本当の入り口です。
それからもけっこう歩いて、やっと楼門到着。
でかいです。
純粋にでかいです。
でも、ただでかいだけでなく、どっしりとした構えです。
建造物には詳しくないのですが、けっこうな名築なんではないでしょうか?
本殿(拝殿?)正面。
実はここまで本当に人と出会いませんでした。
8月下旬で時期はやや外れているし、時刻も夕暮れという時刻ですが、それでも少なすぎます。
神社自体が広いので、よけいに閑散とした印象を受けます。というか、「無」とさえ思えます。
ただの偶然の可能性もありますが、もしかしたら原発事故の影響かもしれません。
拝殿でお参りした後は、その裏に回って要石と御手洗池を目指します。
広い道の両脇には鬱蒼とした森。
これぞ神域というのかもしれませんが、自分には正直、孤独感というか無人の寂寥さが増したように思えました。
(勘違い無いように書いておきますが、本当にまったく人がいないわけではありません。数人とはすれ違ったり行き違ったりしました)
裏参道(勝手に命名)の入り口にあった石灯篭にはこんな注意書きが。
震災の影響が如実に出ています。
奥殿の様子。
ここから要石と御手洗池のルートに分かれます。
まずは、要石を。
要石への参道の途中にあった石碑。
擬人化された要石が巨大なまずを押さえつける構図が描かれていました……。
石碑は中間地点で、その後も森が続きます。
昔は、こんな森のほうが多くて、人間の生活領域のほうが限られていたのでしょう。
それが今では鎮守の森として区切られた地域に残っているだけだったり、都市に分断されながら自然保護区としてかろうじて存在していたり……。
豊かな文明の代償…というと交換したみたいで語弊があると思いますが(純粋に等価交換されてきたとは思えない…時には失った自然以上の恩恵を得たことも、時にはまったく無意味な開発になってしまったこともあったと思われるため)、いつの頃からか人間とそれを取り巻く自然という環境が主客逆転して入れ替わってしまった事実に、ちょっと慄然とします。
そして、やっとこさ要石のある場所にたどり着きました。
鹿島神宮の入り口から考えると、相当長い道のりでした。
ここが要石が祭られている場所。
真新しい石鳥居がコンクリ製でとても丈夫そうです(笑)。
そして、これがその要石。
地上に出ている部分は小さいものの、地中深くまで延びており、しかも深くなればなるほど巨大化していき、伝説では大地の底にいて地震を起こす大なまずを抑えていると「言われていました」。
その巨大さは本当であり、水戸光圀が掘らせたところ、一週間かかっても底が見えなかったとか(水戸黄門さん、やっぱりアグレッシブなひとです)。
……しかし、大震災は起こってしまいました。神無月でもない3月に。
もちろん、伝説は伝説だと大半の人間は割り切っていたと思いますが……。
それでも大見得を切って威風堂々と大旗を掲げたところ、あっさり覆されてしまったような居たたまれなさを感じます。
神聖に崇めていたものが急に価値が無くなり、まったく変わっていないはずなのにみすぼらしく感じてしまうような、あの感覚が。
要石を参った頃には、とっぷりと日が暮れてしまいました。
書くのを忘れていましたが、セミの声がすごいです。
8月末のせいか、時間が経つにつれ、ミンミンゼミからツクツクボウシ、ヒグラシと優勢なセミの声が移り変わっていき、あのなんともいえない夏の終わりのノスタルジーを感じさせてくれます。
子どもの頃の夏休みの記憶と結びつき、夏の終わり・8月の終わりに郷愁的なものを感じ、たまらない叙情を覚えるのは日本人特有の感覚なんでしょうか?
先ほどの奥殿まで引き返してきて、反対側に向かいます。
こちらも獣道とはいいませんが、夕暮れの中で歩く森は自分が思っている以上に視界が悪く、先行きがわかりません。
御手洗池に到着しました。
みたらし、と読み、みたらし団子の発祥の地になったとか。
これが御手洗池です。視界悪いですが。
なんと、四方すべてをコンクリで固められていて、まるで人造池のようです。もちろん、形も真四角です。おそらく、池底は元のままで水が湧き出しているのでしょうが。
神聖味というか有り難味というかに欠けている気がします。水は澄んでいるのでしょうが、ちょっとこの状況にびっくりです。
ちょっと面白かったのが、この支え木。
巨木と化した池の周囲の樹木の枝が、池に垂れ下がったり突っ込んだりするのを防ぐために支えになっています。
みだりに切ったりしないのは、やはりここが神社だからでしょうか?
古くからある神宮なので、垂れ下がる枝ぶりも尋常ではないスケールになっています。当然、それを支える支え木も立派なものです。
頑丈でどっしりとした、これだけで十分奉納物になるんじゃないかと思えるほどに大した物でした。変に装飾もついていない、実用一辺倒なところも良いですね。
……って、自分、なにただの支え木を賞賛しているんでしょう(笑)。
池から生えて、池の上を覆った枝の落下を防ぐ支え木には、こんな足長のものもあります。
みんな鳥居の形をしているのはやっぱり神社だから? それとも偶然?
こちらは特に太い支え木です。
奥まで行って、そこから御手洗池を撮ってみました。最初に撮った場所とは池を挟んで反対側になります。
暗いところから明るいところのほうに向けてのほうが、写真映りがいいですね。
支え木が池から生えているのが分かるでしょうか?
あと、池淵がコックリ固めになっているのも(笑)。
この後、池の奥で湧き水を飲み、そばの茶店で一休みしてから帰りました。
昔は神宮の門前町といえば、一種の観光地と歓楽街を兼ねて賑やかだったと訊きますが、今の鹿島新宮の町は、鹿島本町に対するベッドタウンの住宅街と落ち着いた神宮の町という趣を発しており、静かなものでした。
ここに一泊してから、明日は再び北上し、茨城北部の日立や常陸を目指します。