2014.1.4

浜松に来たので、浜松城に行ってみました(すごい安直)。

ところが…

これがまたわかりにくい!

近くまで来たのに場所が特定できず、ずいぶん迷ってしまいました。

おかしいな、けっこう広い公園のはずなのに。


浜松1

そして、やっと辿り着いた石垣…。


浜松2

浜松城はかつて家康がいた城で、出世城と呼ばれています。

しかし、ここにいたとき、家康は信玄にこっぴどくやられて命からがらに逃げ出したんですよね。

果たしてその場所を幸運の城と言っていいのか…でも、ぎりぎりで助かったから、やっぱり幸運の象徴?

どちらかといえば悪運と言ったほうがいいような気がしますが。


浜松3

そして、あちこち工事中。

城に似合わない工事用のしきいが至る所に。通行に不便でした(苦笑)。


浜松4

そんな、行く道でも公園内でもさんざん迷わされた末に、浜松城に到達しました。

まあ、迷っていたところも城の一部だったところなんですが、天守閣まで遠かった…。


浜松5

で、これが浜松城。

小さな城です。

掛川城のほうが城城していたような…。


浜松6

浜松7

天守閣から周囲を見回してみました。

都市化していていて、城下町だった頃の面影は伺えませんね。


浜松8

地下にあった井戸です。

籠城の際には水は超重要ですから、周りを囲まれても確保できるように城の地下に作っておいたのだとか。

この浜松城だけでなく、他の城にもあるようです。

…地下井戸なんて、すごく冷たそうです…。

怪談の舞台にはぴったりですね…。

貞子貞子。


浜松9

中を見た後で見上げた浜松城(の天守閣)。

掛川城に比べると、小さな城といった感じです。

やっぱり自分としては掛川城のほうが好みですね。


さて、浜松といえば、城の他にも楽器で有名です。

午後はその博物館に行きます。

2014.1.3

菊川駅からバスを乗り継ぎ、かなりの時間をかけて御前崎に辿り着きました。

静岡は東海道から外れると、一気に交通の便が悪くなります。ここはその代表のようなところ。


御前崎1

上から見た御前崎。

海が綺麗です。

静岡はどこも海が綺麗でした。

これも県民性(?)でしょうか?

(単に冬の海は夏より綺麗なだけかも)


御前崎2

遙かなる御前崎への道。

分かれ道で「御前崎/御前埼灯台」のうち、御前崎を選んだのです。

そして、実は遙かではなかったのは後に知ることです…。


御前崎3

30分以上歩きました。

まだ眼下に見えるだけで到着していません。


御前崎4


御前崎5

御前崎6

そして、御前崎。

物凄く滑らかな砂浜です。

ここ御前崎は強風地帯として有名なのですが(テレビのニュースなどで出ますね)、その影響でしょうか?


そして、戻る途中(もちろん、帰りも30分以上1時間ほどかかりました)、灯台にも行ってみようかと分かれ道のもう一方を行ったところ…

10分で着きました。

しかも、灯台の下に降りれば、そこでも御前崎を堪能できました。

そ、そんな…。

往復2時間以上の苦労は……。


御前崎7

そんな御前崎灯台付近の民芸店。

浜の名物、貝殻で作った商品がたくさん並んでいます。

商品商品した物ではなく、昔の浜辺に並んでいそうな、なぜか実体験したことのない自分にも郷愁を起こさせる、良店でした。


御前崎8

そして、御前埼灯台。

もう灯台ブログにしたほうがいいってほどに灯台紹介してますね(笑)。


御前崎9

この灯台は上ることができました。当然上がります(笑)。

もちろん、元々は観光用ではないので、実用最小限の階段しかありません。

上りと下りがすれ違うのが大変でした。


御前崎10

そして、灯台の上からの光景。

素晴らしくよかったです。ここまで上った甲斐があった…。


御前崎11

御前崎に沈む夕日。

というにはまだ早い時間ですが。

やはり輝く海はいいですね。


御前崎12

向こうまでずっと御前崎が続きます。

その地形に添うように道路も。


御前崎13

東西から降りて海浜公園へ。

静岡県最南端の碑。

神奈川県最南端にもありましたね。

やっぱり掲げたいものなんでしょうか?


御前崎14

そして、ここも御前崎。

さっきの場所と繋がっています。

あそこまで苦労して行った意味は……。


御前崎15

磯遊びしたくなるような海岸が広がっていました。

藻(海苔?)がびっしり着いていて滑りやすそうでしたが、それでも磯の先端まで行ってみました。


御前崎16

磯の先端から見た御前崎の海と午後の太陽。

ステキです。


そして、バス停まで10分ほど、バスで2~3時間かけて静岡のほうに戻り(菊川から来たのとは別のルート)、今回最後の目的地である浜松で一泊しました。


2014.1.4は浜松を訪ねます。

2014.1.3

掛川城。

マイナーですが、なかなかいい城でした。


浜松1

浜松2

浜松3

オレはようやく登りはじめたばかりだからな。このはてしなく遠い掛川城をよ…。

丘の上に石垣に城、典型的かつ基本的な城構成です。

城公園を歩いて行くと、なんだか本当に登城している気分になります。


浜松4

城内。

これは籠城戦の際に城の中の石や熱湯を落とす場所です。

こういうのが直に見れるところは珍しいのではないでしょうか?


浜松5
掛川6

天守閣から見た掛川の街。

時代と共に移り変っていったのでしょうが、各所に点在する森は昔からの佇まいを保っているのでしょうか?

掛川は都市ではありますが、昔から変化が少なかったのか、区画などにかつての面影が残っているような気がします。


掛川7

掛川8

ここは二の丸御殿と呼ばれる場所(だったと思います)。

天守閣は公式な式典や重要案件の発表に使われるだけで、実際の政務は主に本陣と呼ばれる屋敷や二の丸、三の丸の役所で行われていたとか。

天守閣は城の象徴であると同時に最終防衛線ではありましたが、普段の生活や政務を行うには不便だったのですね、やっぱり。

攻めにくければ攻めにくいほどいい戦の時と、登城しやすければ登城しやすいほど便利な平時の時では、城の役割はまったく逆になりますからね。


掛川9

天守閣のジオラマ。

やはりオーソドックスな城の形です。

掛川城は有名な城ではありませんが(それとも城マニアの間では有名なのかもしれませんが)、わかりやすく「これぞ城!」って感じで気に入りました。

小田原城の敵を迷わせるための複雑怪奇な構成なんかも、それはそれで城って感じでよかったんですけれどね。


掛川10

今も残っている陣太鼓。

現存するものは貴重だとか。まあ、それはそうですよね。

それにしてもでかかったです。写真ではあまり伝わらないのが残念!


掛川11

これが掛川城の復元モデル。

ここまでが掛川城です。

よく城のプラモとかだと、天守閣だけ作って城って感じになってしまいますが、この敷地や各建物、そして堀や塀や内側の藪や林まで含めて城です。

当時の国の中枢が集中していたわけですから、一戸の建物というより現代の霞ヶ関のような行政庁舎群といったほうがいいですね。

昔もここに泊まり込んで仕事とかしていた人も居たのでしょうか……?


この後は、遙か彼方の地、御前崎に旅立ちます。

2014.1.2

金谷駅から牧之原の茶畑に上ります。

ちょっとルートがわかりにくくて困りました。


牧之原1

この旧東海道の石畳から上るのが正解でした。


牧之原2

入口にある石畳茶屋。

ここも今日は休みです。


牧之原3

やたらと幟の立ったお堂を通り過ぎて、まだ上ります。かなり距離がありました。


牧之原4

写真映りが悪いですが、周囲はこんな感じ。

背の高い森の中の道です。


牧之原5

そして、森を抜けるとそこは茶畑だった。

石畳の道を登り切るまではまったくそんな気配は無くて不安だったのですが、登り切って台地に入ると、月並みな言葉ですが一気に視界が開けました。

さっきまで森だったのが嘘のような広々とした茶畑大地です。


牧之原6

この道、我が旅、果てしなく続く。

風車があちこちに建っているのは、ここでも畑の上空の広い空間を活かして風力利用(発電とは限らない)しているのでしょう。

同じ茶畑のせいか、狭山に似ています。


牧之原7

牧之原8

牧之原9


360度、どこを見回してもしても茶畑が続いています。

この大地は本当に茶畑しか無い、という印象。

この茶畑は明治初期、江戸幕府が潰れたことで大量の浪人(武士自体が無くなるので単なる失業者)が出ることを危惧した勝海舟が、幕府の浪人を中心に開拓したものです。

運もあったのでしょうが、いくら広くとも本来農作物の育成には不向きなこの土地に茶を選んだチョイス、そして、争乱よりも平穏を望んだがために生活基盤の安定を保証した勝海舟は、やはり凄腕の「政治家」だったのではないかと。

超強攻策と大幅な妥協を使い分けて「負けてやった」江戸城開場のエピソードや、最期の言葉が「これでおしまい」というエピソードなど、個人的には好きな人物です。

おそらく、理にも情にも寄らず、バランスよく判断した上で、それでもちょうど釣り合ってしまった場合、「理」を取るのが勝海舟で、「情」を取るのが榎本武揚なのではないかと。

ひいき目も入りますが、勝利することに盲信した後の政府軍より、事ここに及んでは自分たちが負けた方が多くの人に利があると判断し、その上で後の混乱を避けるために自分のできることをやってのけた勝海舟のほうが立派に思えます。しかも、やったのは地味ですが長期間かかる大仕事の、新たな生活基盤の構築ですから。それで名産品まで作っちゃうんだからたいしたものです。

…もっとも、本人、とっても悔しかったのだろうと思いますけれどね(笑)。人を食ったような言動の裏にどんな心情を持っていたのか、もはや想像するしかありません。


牧之原10

少し下がったところには、自分が抜けてきたのと同じような森があります。

ここが森に囲まれた台地だと実感させてくれます。

模式図にすると、台形的な土地の側面を森がぐるっと囲んでいて、上は茶畑が被さるように載っているという形になるのでしょう。

上の台地は茶畑を開拓する際に森を伐採したのでしょうか? それとも元々風が強いとかで森になりにくい地形だったのでしょうか? どちらもありそうです。


牧之原11

歩き続けた牧之原台地のお茶畑の中に、お茶の博物館がありました。

これはその博物館内にあった茶室です。昔の茶室を再現したものだとか。


牧之原12

こういう襖などの開放できる仕切りが多い部屋は和室の特徴ですね。部屋が多く感じられることで実際よりも広い建物に感じられます。一部屋一部屋を狭くすることで全体としては広く奥深く思わせるという、生活の知恵ですね。


牧之原13

庭園もあります。

周りにあるコンクリートの壁との対比がシュールです。


牧之原14

池の真ん中に島というのは、この手の庭園の基本ですね(本当はよく分かっていませんが)。

天竺や極楽などを表現するのが日本庭園なので、ここで昔の人は「素晴らしい。これは○○記に出てきた××の章の光景ですな」とか言えれば教養人ぽく見られたのでしょうか?


牧之原16

真ん中の島には渡って歩くこともできます。真ん中の樹がらぶりぃ(笑)。

こうやってみると、『島』に必要な要素を最小限揃えた、一コママンガに出てきそうな島です。


牧之原17

こっちは外堀とその上を渡る丸木橋。

ここも昔の再現なのでしょうが、生け垣で区切られたすぐ隣は道路なので、やっぱりシュールです。

なお、この先に行っても外に通じる勝手口のような場所があるだけで、引き返さざるを得ませんでした(笑)。


牧之原15

中でお茶をごちそうになりました。

抹茶は苦い、というのはよくネタにされますが、そんなに…というか全然苦くなかったです。

お客さん用なためか、そもそも苦いというのがオーバーな表現なのか。

あ、お茶菓子もおいしかったです。


牧之原18

博物館内にあった開拓時代の牧之原台地のジオラマ。

本当に茶畑の中に小屋があるだけの光景です。これこそ「名所」と言っていいのでは無いでしょうか? 生活にはとても不便そうですが。


牧之原19

博物館の最後には自分でお茶を挽ける実体験コーナーがありました。

昔話に時々登場する石臼ですが、その仕組みや実際の使用方法については知らない人も多いのではないのでしょうか?

ちなみに上に開いている穴からお茶っ葉を入れて、回すことで細かく潰して粉にするという使い方です。あまり早く回転させると風で粉が飛ばされてしまうので、ゆっくりと一定のスペースで回すことが重要です。

挽いたお茶の粉は持って帰れます。自分はちょっと使いどころ(飲みどころ)に困りました。


牧之原20

博物館が終わる頃には日もとっぷり暮れてしまいました。

この後、どこまでも続くお茶畑を通り、暗い森を抜けて駅へ…はっきり言って怖かったです(笑)。

お茶畑に沈む夕日は絶景とまではいえなくとも心奪われる光景ではあったんですけれどね。


この日は掛川で一泊しました。

明日の三が日は掛川城と、御前崎に行く予定です。

2014.1.2

島田駅からバスで島田宿にやってきました。


島田10

島田宿というのは、東海道の難所である大井川を渡る、もしくは渡るために待機することにより形成された、江戸時代当時の役所と民間施設(要するに宿屋)の集合集落です。


島田1

昔の情景が残っている、正確に言えば昔の再現と今の住宅が混在している一帯です。

こういうパターンが静岡には多いのですが、特性でしょうか?


島田2

当時の宿の再現。

けっこう大きな建物です。

これが十軒ほど立ち並んでいます。


島田3

二番宿。

プランターと植木鉢が並んでいます。現代と江戸時代の融合です。

管理の方針とかどうなっているんでしょう?


島田4

そば屋は今も営業中です。

今日は休みですが、大晦日は絶賛営業していたようです。「年越しそばあります」の暖簾が出ていました。


島田5

店には小さな水車が。

実用してるかどうかは不明ですが、稼働はしていました。要するに回っていたということですが。


島田7

川会所。

細かい説明は省きますが、いわゆる川越役所です。

ここも今日は休みなので遠くから眺めるだけでした。


島田8

外からだとこんな感じ。

この時代からすでに圧倒的なお役所臭を感じます(笑)。すごいお役所です。


島田9

七番宿跡。

なぜかここだけ建物ではなく跡地のままです。

うしろの森は昔からあるのでしょうか? いかにも江戸時代っぽい植生ではありますが。

というほど、当時の植物に詳しいわけではなかったりしますが。

歴史や人物、あるいは風俗については知っていても、案外その背景世界については抜けていたりしますね。


島田11

島田12

せっかくだから大井川に出ました。

昔は交通の難所だった(人為的な意味でも)大井川ですが、今ではダムができてすっかり往年の勢いはありません。

治水で被害が出なくなったのはいいことですが、失ったものは本当に無いのでしょうか?

無ければいいんですが、気がついてないだけかも。

時には立ち止まってみることも大切かもしれません。当時は解決できなかった問題も、今では別の解決法があることだってあるんですから。


さて、静岡といえばお茶。

1月2日の後半は、お茶の産地である牧之原に行ってみようと思います。

2014.1.2

大井川沿いの島田にやってきました。

島田宿に行くのが目的ですが、その前に名所として紹介されていた蓬莱橋に行きました。


大井川1

駅からすぐという感じで紹介されていたんですが、かなり遠かったです。


大井川2

蓬莱橋。

世界最長の木造橋だそうです。

たしかに果てが見えないほど長いです。


大井川3

歩き始めます。この長い蓬莱橋を…。


大井川4

これが下を流れる大井川。

前に行った寸又峡の下を流れていた川でもあります。

水量が減ってしまって被害と迫力が減ってしまった大井川。

治水は大事ですが、そのために失ったものも大きいですね(単に景観の問題だけでなく)。

現代の技術でも本当にどうにも出来ないのでしょうか?


大井川5

河川敷と中州。

川によっては逞しく植生が育っていることもありますが、ここは荒涼とした印象を受けます。


大井川6

大井川7

橋の大きさに比べてちょろちょろ流れているという印象です。

これが荒涼という雰囲気に拍車をかけています。


大井川8

向こう側が見えてきました。

それにしても大量の砂埃が舞っています。まるで西部劇の世界です。


大井川9

渡った先から見た大井川。

こちらの牧之原側には何もありませんでした。

車も渡れないから本当に名所だけの橋になっているのでしょうか?

自転車は通行可みたいでしたが。


また、帰るのに大苦労をして、駅に戻ったのは12時過ぎになりました。

今日の後半は島田宿に行きます。

2014.1.2

今日は静岡から足を伸ばして焼津に行ってみました。


焼津1

焼津といえば漁港で魚市場なんですが、正月2日なので誰もいません。無人です。


焼津5

無人の魚市場。

けっこうレアな光景なんじゃないでしょうか?

広々としているような、ここで大量の魚が水揚げされると考えると案外狭いような、不思議な感覚です。

そして、普段、人で賑わっているであろうはずの場所に、人っ子一人いないとなると、なんだか異世界に迷い込んだ気分です。ミラーワールドです。


焼津2

焼津港。

旧港と新港に分かれるくらい大きな港です。

正月から(正月だから?)ここにも釣りをしている人が。


焼津3

車が1台だけのんびりと走っていました。

漁港関係者でしょうか? それとも自分と同じようにこの広々とした港空間を楽しみに来たのでしょうか?


焼津4

釣り客と真っ青な海。

(おそらく)普段と違う表情の焼津の海。

漁港関係者でもこういう光景はあまり見ないのではないでしょうか?(と言いつつ、けっこう漁閑期とかあって、よく見ていたりするかも)


焼津6

焼津港にあった神社。

たしか宗像神社です。航海の安全を祈るための。


焼津は無人港という珍しい光景を見ることが出来ました。こういうのが旬ではないところを旅行をしている醍醐味だと思います。

なので、今日はこの後は島田に出て大井川あたりを散策してみようと思います。

2014.1.1

元日の最後に登呂遺跡に来ました。

…日本平に行って、久能山にいって、三保の松原に行って、清水の次郎長の生家にいって、登呂遺跡へ。

元旦だけでずいぶん色々なところに行きました。

驚くべきは静岡のポテンシャルでしょう。本当に色々なところがあります。さすがサイレント・ヒル。


登呂1

登呂遺跡博物館は休みでしたが、その前に設置された復元公園を歩くことは出来ました。


登呂2

高床式倉庫。

歴史の教科書の最初のほうで習うやつです。

ネズミ返しが付いているとか、うん。たらかんたら。

これは綺麗な建物になっていますが、当時実際に使用されていたものはもっと年季が入った実用の垢が付いたものだったのでしょう。


登呂3

弥生ハウスの復元模型の横には、遺構の跡が再現されていました。

竪に穴が開いているから、竪穴式です。

丸いです。けっこう、丸いです。


登呂4

住居の復元はこんな感じ。竪穴式な住居です。

やはり小綺麗なせいで造られたものっぽい雰囲気を醸し出しています。

そのせいか、かなり豪華な印象を受けます。ちょっと住みたい(笑)。中には立ち入り禁止でしたが。

実際の弥生時代の生活は現代からすれば、過酷に過ぎるものだったのでしょうが。

…弥生風の居酒屋とか喫茶店とか、あったら面白そうですが。それともイロモノとして一時流行っても、すぐに廃れてしまうのでしょうか?


登呂5

稲作の復元もしていました。

ちゃんと栽培しているみたいです。できた稲は博物館で食用に回すのでしょうか? 

学術施設ですから、きっと近くの学校と共同で体験学習の舞台とかにしていそうです(想像)。


登呂6

遠景より。

公園ですから、普通に近所の遊び場になっているようです。

そのためか、元日の夕方でもけっこう人出がありました。

弥生時代(の再現)の中で現代の子どもが普通の公園のように遊んでいるというのは、なれない人間には不思議な光景ですが、日常の風景として溶け込んでいる近所の人にとっては当たり前のことなのでしょう。


写真には撮っていませんが、竪穴式住居と竪穴式住居の間の用水路を脇を通ったりすると、なんだか奇妙な感覚(単なるノスタルジーとは違う)に包まれたりして、なかなかに見応えがあるところでした。


さて、元旦はこれでお終い。

明日2日は焼津のほうに繰り出してみようかと思います。

2014.1.1

三保の松原の帰り道、清水区に寄ってみました。


清水1

次郎長の宿。

清水の次郎長って、知っていますか?

色々尾ひれはついていますが、よーするにヤクザの親分なんですが…。


清水2

ここはその生家。

商店街の真ん中にあるので見落として通り過ぎてしまいました。

当然のように元日なので開館はしていませんでした。

…なんかこれで終わってしまいました。


まだ時間がありますので、今日の締めに登呂遺跡に行ってみることにしました。

2014.1.1

富士山と一緒に世界文化遺産になった三保の松原にやってきました。



三保3

三保の松原前の駐車場。

お土産物屋が充実しています。


三保1

やたらアピールが激しい幟がいっぱいの三保の松原のお土産物屋。

ここも静岡なので、静岡名物の安倍川餅アピールです。


三保2

せっかくなので食べてみました。

抹茶付きです。

味はまあ、あんころ餅ときなこ餅でした(笑)。


三保4

そして、三保の松原に踏み込んでいきます。


三保5

沼津の千本松原は、鬱蒼とした松林という、あれはあれで貴重な光景でしたが、こちらの松原は松が延々と続く林と言った感じで、同じ松林であってもイメージがずいぶん違います。


三保6

三保の松原徹底図解(笑)。

右側はあまり人の寄りつかない地帯です。

左側が主な観光地ですが、メインは富士山が見える海岸でしょうね。


三保7

なので、みんな海岸に行きます(笑)。

三保の松原の林の中はこんな感じ。

けっこう光が差しているのがポイントですね。


三保8

三保9

これが三保の松原の羽衣の松。

あの天女の羽衣の伝説で、天女が羽衣を掛けた松です。

ただし、三代目!

ええと、伝説に代替わりってあるんでしょうか…?


三保10

そして、自分も人混みに流されて、抗うことも出来ずに海岸に向かいます(笑)。

ここも絶好の富士山と初日の出ポイントなので、世界遺産登録効果もあって、本日元旦はさぞや人出で賑わったことでしょう。


三保11

そして、三保の松原の海岸に。

たしかに松林を後ろに控えるこの景色はなかなかのものです。


三保12

三保の松原といえば富士山。

それで文化遺産に登録されたんですから。

この方向から遙か彼方に微かに見えるはずなんですが…分かりますか?

自分はちょっとあやふやで無理でした。

…ここで凧揚げしている人もいました。世界遺産的凧揚げです(笑)。なんだか分からないけどすごい(笑)。


三保13

代わりに寄せては返す波打ち際を。

コバルトブルーの荒波だった下田とは違い、冬の海ですが穏やかな潮騒です。


三保14

林の中に戻って、茶店でしばし休憩。


三保15

黒いはんぺんのおでんは静岡B級グルメの名物です。


三保16

一休みした後、富士山が見れるかと思って、遊歩道に沿って絶景ポイントまで行ってみました。


三保17

そして、ここが絶景ポイント。

一瞬で着いたように見えますが、けっこう歩きました。

おお!富士山が見えますよ!

非常にうっすらとしていますけど、富士山が見えますよ!

写真の中央に雪の冠を被った富士山があるのが確認できるでしょうか?


三保18

ズーム。


三保19

ここまでズームすれば分かるでしょう。

冠雪しているのが富士山です。

でも、カメラでズームアップしなければ見れないほどなので、三保の松原から富士山を臨むというシチュエーションは実現できませんでした。

靄が発ちにくい冬の、しかも大気がきれいなお正月でもこうなのですから、ここから富士山が見れるのは年にどれほどあるのでしょうか?


三保20

少し離れるともう見えなくなってしまいました。

まさに幻の富士です。


三保21

三保の松原のバス停でバスを待っているのも暇なので、近くの別のバス停まで歩いて行こうとしました。

…これが間違いでした。

※写真は三保の松原に続く道の写真です。松の回廊になっています。


三保22

とりあえず神社を見つけました。


三保23

御穂神社というらしいです。御穂=三保ですね。きっと豊穣の神様なんでしょう。

有名観光地の神社にしては小規模で、家族経営のような神社でした。


三保24

ここが社殿。

なお、ここまで来てもバス停が見つからず、この神社で場所を聞いても迷ってしまい、また神社に戻ってきてしまうというヘビーローテーションを繰り返しました。

結局、三保の松原のバス停まで戻り、1時間ほど待ってからバスに乗ることが出来ました。妙に疲れました。


バスで静岡の駅に戻る途中、清水区に立ち寄りました。