Nikablog -46ページ目

ドキドキ ...

最近、内容が


ハードになりつつあるのですが


・・・・・


・・・・・


ちょっぴり、脱線してみます!!


関東ローカル放送の 『 しぇいけんBABY!』


というTVドラマで佐々木希さんと


共演してたのをYouTubeで観たぐらいで、


後は、元・JJモデルという経歴ぐらいしか知りませんでしたが


(最近、在阪企業のCMでよく見かけますが。)


今日、大阪・千里中央にイベントで


杉本有美さんという女優さんが歌手デビューでやって来るので


大阪市出身ということもあり


(情報が正しければ、電車で10~15分圏内のご近所さん?)


純粋に、『 どんなコかな? 』 って言う気持ちで行ってきたよ!!


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↑ ↑ ↑


勢いでCDをさらに2枚買ってしまったけど


急用でPM4時からのイベントには参加出来なかった(笑)


でも、ミーハーでもいいけど、


めっちゃ可愛かった!!!


グラビアにも出てるので


もっとボリュームがあるコと思ったけど、


細くて、目が印象的で、


しゃべり方もしっかりしてて


・・・・・


・・・・・


(笑)



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いつもは緊張して、あんまり言えなかったのに


握手してもらった時、



また大阪に来て下さいって言えたよ!!


(見とれちゃった。 )


っつーか、好きになってもーた(笑)


アカン!!


せっかく、最近はハードなイメージを作りつつあったのに。


でも、また会いたいなっ。


・・・・・


・・・・・


ってなワケで、今日はいい一日でした。


明日以降に更新頑張ります。


早いけど、おやすみなさい。

その前に ...

手の怪我も無事に治ったので


ぜひとも、お礼に行きたいと思ってましたが


兵庫県神戸市中央区の阪神/阪急・高速神戸駅


から出てすぐのところに楠木正成公を


御祭神とする湊川神社があるのを知り、


早速ですが、朝から神戸まで行って来ました。



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ここ、湊川神社は地元では


『 楠公(なんこう)さん 』 と呼ばれ


延元元年5月25日、この地で


足利尊氏軍勢と戦い(湊川の戦い)殉節し、


死後、その墓は長く荒廃していたが


元禄五年に地元の人々の熱意を受け


徳川光圀公が半年をかけて


『 嗚呼忠臣楠子之墓 』 の石碑を建立した。


その後、幕末から維新にかけて大楠公(楠木正成)を


お祀りしたいという運動が盛んになり、


明治元年に明治天皇はそれを受けて


神社を創建するよう命じられ、明治五年5月に創建されました。



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『 本殿 』
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天気も良く、運も良かったのか?


挙式を行われる一行に


遭遇することが出来ました。


↓ ↓ ↓


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『 菊水天満神社 』(本殿右側)
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『 楠木正成公戦没地 』(本殿左側)
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『 湊川の戦い 』(延元元年5月25日)


九州より東上してくる足利尊氏軍勢を迎え撃つため


後醍醐天皇の命を受け、楠木正成は湊川へ出撃。


(諸説はありますが)海陸両方から攻め上がる足利の大軍勢、


これに対し楠木軍は腹心の部下わずか700騎で決死隊を編成し


湊川を背に会下山(えげやま)に陣を張り


3時間16回に渡る死闘を繰り広げるが、兵力差は歴然、


ついに楠木軍も73騎となり、最早これまでと


湊川北方まで落ちのび、弟・正季(まさすえ)とともに自害。


足利尊氏側にとっては、


室町幕府への道を開いた重要な一戦でもありました。



『 楠本稲荷神社 』
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『 宝物殿 』(表門入って左側)
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【拝観料】 大人     300円

       大/高校生 200円
       中/小学生 100円


【拝観時間】AM9:30~PM16:30


【休館日】 毎週木曜日


大楠公ゆかりの品々が奉納されており、


この日も大楠公着用の鎧や兜、


横山大観筆の 『 大楠公像 』などが展示されてました。



『 楠木正成公墓碑 』(表門右側)
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『 徳川光圀公像 』
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・・・・・


・・・・・


何だか、清々しい気持ちになれました。


ちなみに、ここでも寅の土鈴を購入しました。


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これで、9つ目ゲット!!


(ここのは、紅白で二対でした。)


・・・・・


・・・・・


すみません、


柳生街道編は明日以降に。


では。

おはよー!!

爆睡してました(笑)


・・・・・


・・・・・


んなワケで、今朝は快調です!!


昨日は、家に帰ってから


靴擦れの治療をしたおかげで


足の痛みもそれほどなく、


そんなに疲労感がありません。


・・・・・


・・・・・


ちょっぴり、痛いお話ですが


(TVか何かで観たけど)


靴擦れの治療方法としては


水疱(水ぶくれ)の出来た箇所は


そのまま、水疱を破ってしまうと


細菌などの二次感染をおこす可能性があるので、


消毒した針などで刺して内溶液を取り出し


市販の消毒液で消毒し、


ばんそうこうを張ったほうが治りが早いですし


痛みもかなり緩和されるかと思います。


では。

ただいまー!!

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今晩は!!


実は、今朝は朝5時起きで


近鉄電車に乗り、奈良に向い


奈良駅からバスで再び、柳生の里へ行ってました。


(AM9:10頃到着。)


でっ、ここから、


柳生~大柳生~忍辱山(にんにくせん)へと向い、


さらに、そこから、


柳生街道を歩いて奈良市内まで戻る道程で


だいたい、22km前後のコースでした。


ここで、ひとつの選択。


一眼レフカメラを持参してきたのですが


今回は長い距離を歩くのと


急な下りコースが多いというのを聞いてたので


・・・・・


・・・・・。



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↑ ↑ ↑


右手を見ると思い出します。


決して、山を舐めてはいけないと!!


(でも、怪我の後はずいぶんとキレイになりました。)


・・・・・


・・・・・


そんな訳で、今回はオール写メによる画像です。


一眼レフはただの重しになりましたが


いいトレーニングになりました!!!


でも、今日は歩いた、歩いた。


とにかく、日が暮れてしまうまでに


ある程度の距離を進まないといけなかったので


6時間30分ぐらい歩きっぱなし・・・。


ホント、昔の人は丈夫だったんだな!!


・・・って、つくづく、思います。


ほとんど裸足に近いようなワラジで


今ほど整備されてない細い山道を


何日もかけて歩いて行くのですから。


恵まれすぎてる、自分の環境に反省。


でも、でも、負けず嫌いだから


足が痛くて、靴擦れしてても


元気いっぱいに歩いてきました!!


・・・・・


・・・・・


では、しばしお休み。


(明日以降にUPします。)


またね。

ただ、ひたすらに⑧ ...

こんばんは。


では、再び、昨日の続きです!!



“ 一刀石 ” を後にして、


次に向かいましたのは・・・?



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『 柳生陣屋跡 』


延享4(1747)年の火災により全焼し


建物の遺構は残っておらず、


現在は史跡公園として利用されています。



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この頃から帰りのバスの


時間が気になりだしたのですが


・・・・・


・・・・・。



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『 柳生八坂神社 』


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田んぼの畦道を歩きながら


柳生家老屋敷へと向かいます


・・・・・


・・・・・



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『 柳生家老屋敷 』


柳生藩の家老・小山田主鈴の旧邸。


奈良県下ではほとんど唯一の武家屋敷の遺構だそうです。


ここから下は、一眼レフカメラで撮影したものです。


(写メだと邸内は充分な明るさが確保出来ないかも?)


↓ ↓ ↓


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・・・・・


・・・・・


以上、一眼レフカメラによる写真でした。


(フラッシュは使用しておりません。)



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ここで、バス停の近くにきたので


帰りのバスの時間を確認しようとすると


・・・・・


・・・・・


ご覧の通り、ほとんどバスの便がありません!!


現在、PM14:15頃。


次のバスまで1時間35分ぐらいあるかな?


それを逃がすと、最終はPM17:05やん。


例え、もと来た道を引き返しても


笠置駅も1時間に1本しかないうえに


第2土曜日はPM14:00~16:00は運休なので


午後5時ぐらいまで列車がないのでした。


(この日は第2土曜日なのでした。)



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結局、迷いましたが


次のバスまで待つことにして


その間、近くへ探索にでかけました。


・・・・・


・・・・・



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『 十兵衛杉 』


柳生十兵衛三厳(やぎゅうじゅうべいみつよし)が


諸国漫遊に旅立つ時、植えていったと言われてます。


(樹齢約350年、二度の落雷により現在は枯れています。)


ここから下は、一眼レフカメラの写真です。


↓ ↓ ↓


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このあと、バス停に戻り


次のバスを待つ間、


バス停の小屋の中でお茶してましたとさ。


以上で、今回の旅も終了です。


(今回も16km前後の道程となりました。)


見ていただいて、どうも有難うございました!!


・・・・・


・・・・・



(おまけ)


ちなみに柳生家墓所内には、


上泉伊勢守秀綱の供養塔があります。


↓ ↓ ↓


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秀綱は剣聖と謳われ、多くの流派の祖とされ、


様々な伝承が各流派に伝わっているそうです。


(では、おしまい。)

ただ、ひたすらに⑦ ...

こんばんは。


お待たせしました!!


では、昨日の続き。。。



(標識にありましたが)


次に辿り着いたのは “ 天乃石立神社 ” です。


鳥居をくぐり、参道を進みますと見えてくるのが?



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上の写真は一眼レフカメラで撮影。



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・・・・・


巨石が折り重なるように存在する


渓谷に目を奪われますが、


さらに、その先に目を向けますと!?



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薄暗いので


さすがに携帯電話の写メでは


条件的に厳しいのですが


ここ、 “ 天乃石立神社 ” の


4つの巨石からなる御神体であります。


年代ははっきりしませんが


古代人の巨石信仰の名残であり、


伝承によりますと、日本神話の


天岩戸の伝説に由来しており


手力雄命(タヂカラオノミコト)が


天岩戸を引き開けた時、その扉が


力余ってこの地まで飛来してきたそうです。


下の写真は一眼レフカメラによるものです(5枚)。



↓ ↓ ↓


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・・・・・


・・・・・


ちなみに、この地は


柳生家の修練の場でもあったそうです。



・・・・・


・・・・・



そして、さらに奥に進みますと



見えてくるのが “ 一刀石 ”。



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実は、この巨石の存在を知る


きっかけになったのが


何年か前の朝日新聞の記事でした。


・・・・・


・・・・・


戦国時代、当時畿内一と言われていた


柳生宗厳(むねよし)のもとに


関東剣客・上泉伊勢守秀綱が手合せにきたので


どのような者かと見ると60才ぐらいの老人!!


それが『 素手でいい 』と言うので


柳生宗厳は木剣でおもむろに飛び込み、


『 勝った 』と思った瞬間、


老剣士の姿は消え、宗厳の手の木剣も消えており


振り返ると、老剣士が木剣を手に


涼しい顔をして立っていたのである。


・・・・・


悔しさいっぱいで柳生の里に戻った


柳生宗厳は毎夜毎夜、ひたすら剣を振る。


数ヵ月後、ある夜、いつものように


山奥で剣の修行をしていると、天狗が出現し


眼前をあざ笑うかのように飛び回るが


宗厳が飛び上がって天狗に狙い定めて、


上段から一気に断ち切ると!!!!!!!


・・・・・


翌朝、村人たちを引き連れて


昨夜の場所へ訪れるが、天狗の姿は無い、


代わりに真っ二つに割れた大きな岩があった。


『 確かに天狗を切ったはずなのに? 』


村人たちは賞賛するが、呆然と立ち尽くす宗厳。


・・・・・


それから、しばらくすると


再び、宗厳のもとにあの老剣士がやってきた。


村人たちは老剣士に巨石を割った話をするが


『 宗厳は自慢したか? 』


と老剣士が村人たちに尋ねると


『 それが、それ以来、宗厳様は自信を失くされまして。 』


と村人たちが答えると


『 はははっ、それでよい。 』 と老剣士は笑う。


・・・・・


老剣士と再会した宗厳は、会うや否や老剣士に


『 弟子にして下さい。

剣は形あるものは切れますが心までは切れませぬ。


かつて、上泉様と立ち会いました時、


既に私の心は切られておりました。 』


と宗厳は深く頭を垂れるのであった。


『 よくぞ、悟った、あれは “ 無刀取り ” と言う。


宗厳、お前はそれを究めよ!! 』


と老剣士はいい、その後、宗厳は


上泉伊勢守秀綱の弟子となり、修行を重ね


そして、『 剣の達人は剣に頼らず 』 との極意を見いだし


宗厳は “ 柳生新陰(しんかげ)流 ”の祖となったそうな。


・・・・・


・・・・・


自分自身、この記事を読んでから


少しずつだけど、


カメラに対する考えや気持ちが変わりつつあります。


(凡人なので、なかなかうまくいきません。)


ずっとずっと、自分自身、


この場所へ行きたかったのですが


今回、訪れることが出来て・・・。


(純粋な気持ちになれました!!)


ここから下の写真は一眼レフで撮影したものです(3枚)。


↓ ↓ ↓


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自分自身は霊感とか


そのような類いのものは無いのですが


何だか物凄いエネルギーを感じました!?


(・・・気がするだけかもしれません。)



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まだ、まだ、次なる場所へ向います。


しかしながら、今宵はこれまで。


では、また、明日以降にでも・・・。

ただ、ひたすらに⑥ ...

こんばんは。


昨夜の続きです・・・。



柳生バス停留所から芳徳寺を目指します。


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柳生駐在所です。


この前を通って進みます。


↓ ↓ ↓


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『 えっ!? 』


柳生十兵衛・生誕地?


ガイドマップにも載ってなかってんけど?


・・・・・


・・・・・


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上下の写真は一眼レフカメラを使用。


(これぐらいだったら、あんまり差が出ないかも?)


↓ ↓ ↓
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芳徳寺へ行く手前に


この標識がありましたので


竹やぶの中を進んで行くのですが


進めば進むほど、


だんだん人が踏み入った気配が感じられず


落ち葉などで足をとられるぐらい


ひどく荒れた道となり


再び、道に迷ったのかと思うと・・・!?



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柳生家墓所に辿り着きます。


『 えっ、十兵衛の生誕地は? 』


屋敷跡か、生誕地の碑か


何かがあると思ってたのですが


・・・そんな素振りも感じられへんかった。


『 一体、何だったんだろう? 』


家に帰ってからもネットで調べてみましたが


柳生の里に行かれた方で


やっぱり同じように辿り着けず


疑問に持たれてた方のHPを多数見ました。


『 果たして、十兵衛の生誕地はいずこ? 』


・・・今回の最大の謎となりました。


ちなみに、Wikipediaで


“ 柳生十兵衛 ” について調べてみましたが


本名は柳生三厳(みつよし)、十兵衛は通称だそうで


幼少に片目を失明したと伝えられていますが


現存する十兵衛の肖像画は両目は開いており


信頼に足る資料・記録の中に十兵衛が


隻眼であった記述は一つも見られないそうです。



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再び、この上下の写真は一眼レフカメラによるものです。


このへんだと、若干、木々の中で暗めなので描写力の違いがでるのかな?


↓ ↓ ↓
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ちょうど真ん中に写ってるお墓が


柳生三厳(十兵衛)のものだそうです。


あんまり、お墓の写真を撮るのは


気分がいいものでないので


撮った後はお騒がせしましたと言って


立ち去りました・・・。



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柳生家墓所から進むと


今度は芳徳寺の歴代住職のお墓があります。


(こちらもお騒がせしました。。。)



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結局、裏から進む形となりましたが


こちらが柳生家の菩提寺である芳徳寺、


拝観料200円で右側にある黒い箱に


自分で入れる形式でした。



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芳徳寺をあとにして


次なる目的地を目指して・・・。


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この鳥居をくぐりますと


不思議な世界が広がるのですが


・・・・・


・・・・・


今宵も時間となりました。


(続きは明日以降。)


では、早いですが、おやすみなさい!!


ただ、ひたすらに⑤ ...

こんばんは。


では、続きです。。。



笠置山寺を出発したのが AM9:51頃、


東海自然歩道を進みます。


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・・・写真に撮り忘れましたが


この先、ゴルフ場への舗装路が出現します。


そして、さらに、『 進入禁止 』 の文字が目に入るが、


脇にはもう一つ、東海自然歩道の道があり


果たして、どの道に対する 『 進入禁止 』 なのか?


素直に見受ければ、ゴルフ場があり


ゴルフ場内への進入禁止の表示にしか見えない?


?????


ここで迷うが脇の自然歩道へしばらく進むが


今度はこちらも 『 松茸山につき入山禁止 』 の文字が。


『 えっ、自然歩道のコースやないの? 』


両親が同行してたのですが


もうしばらく進んでダメだったら引き返そう・・・。



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偵察に行くと、標識が落ちてる!?


さらに、道を観察してみると、


人の踏み入った気配が感じられず


『 これは違うでーっ!! 』


って慌てて道をバックすることにし


元の地点まで辿りつくと


“ ダメもと ” でゴルフ場への舗装路を進むと


・・・・・


・・・・・


『 何や、行けるやん。 』


ホンマ、人騒がせな表示やなー。


あれだと迷うがなっ!!!


(笠置方面から行かれる方は、ご注意を。)


では、気を取り直して


ゴルフ場の道を前進あるのみ。


(約30分のロスとなりました。)


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かさぎ橋を渡り、


↓ 下の標識が見えてきたら


阿対橋を渡り進むと、柳生の里の入り口です。


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『 阿対(あたや)の石仏 』


流行病に霊験ある阿弥陀如来と


子授けに信の篤い地蔵菩薩の二体からなり、


鎌倉から室町期にかけての磨崖仏だそうです。


↓ ↓ ↓


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※ お豆腐を供えると子宝に恵まれるそうです。



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↑ ↑ ↑


最初、この標識の右方向


東海自然歩道に則り、


家老屋敷方面へ向かいますが


・・・・・


・・・・・



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途中で、当初予定していた


古城山(314m)の尾根つたいに進む


コースと違うことに気付き


合流路を探すが・・・。


↓ ↓ ↓


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結局、進入路が判らず


元の標識の地点まで引き返すが


ここでも40分ぐらいのロスとなりました。


↓ ↓ ↓

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こちらのコース利用される方は少なく


ほとんどの方は東海自然歩道を進まれるそうです。


(あえて険しい道を進みます。)



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途中、一箇所


やっぱりどちらに進めば良いのか?


判断し難いポイントがありましたので


くれぐれもご注意ください。



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イノシシでしょうか?


地面を掘った跡がありました。


・・・・・


・・・・・


(違ったら、ゴメンナサイ。)


↓ ↓ ↓



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・・・・・


・・・・・


『 ややっ、前方に何か? 』


↓ ↓ ↓



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『 剣塚 』



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『 剣塚 』 の前は


休憩できる小屋があり


ここで昼食を取ることにしました。


(AM11:35頃、到着です。)


↓ ↓ ↓



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お決まりのカップメン&コンビニのおにぎり。


(美味しかったです。。。)


・・・・・


・・・・・


25分ぐらいの休憩で再スタート!!



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↑ ↑ ↑


山道を抜け出して判りましたが


現在はこちら側から


剣塚までで行き止まりとなっているようです。


完全に通行止めとなってる訳ではないですが


もし行かれる方は注意して進みましょう!!


(引き返す勇気が大切です。)



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ちょうど、奈良交通バスの柳生停留所に出て来ます。


では、今宵はこれまで。。。


(続きは明日以降となりますので。)


ちなみに、先程の剣塚を


一眼レフカメラで撮影してみました。


↓ ↓ ↓



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あまり変わらないかもしれませんが、


一応、このBlogで使用している画像はすべて


Photo By Nika となっております。


では、まだ早いですが、おやすみなさい!!

ただ、ひたすらに④ ...

先程の続き。。。



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↑ ↑ ↑


『 ゆるぎ石 』 ・・・だそうです。


後醍醐天皇が鎌倉幕府の攻撃を受けた際、


武器として反撃するために


この場所に運ばれたそうですが


使用されることなく、そのまま残ったそうです。


重心が中央にあり、人の力で動くことから


“ ゆるぎ石 ” と言われてるそうです。



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ここ見晴らしがいいのですが


めっちゃ “ 腰引け ” ポイントでもありました。


(ちょっぴり、高所恐怖症です。 笑)


これ以上、前へは行けんって!?



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↑ ↑ ↑


『 後醍醐天皇行在所跡 』


やっぱり、消失してしまって・・・。



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・・・・・


めっちゃ面白かったので


約50分ぐらいですが


予想外の滞在時間となりました。


お寺の方は秋が一番いいと仰ってましたので


またいつか、来てみたいですね。


・・・・・


・・・・・


いよいよ、柳生の里を目指します。


では。

ただ、ひたすらに③ ...

こんにちは。


ちょっとお出かけしてました。


実は、昨日、自宅の最寄り駅から


ICOCA(イコカ)を利用して


JRに乗ったのですが、


下車しました笠置駅には


ICOCA対応の改札が設置されておらず、


駅員さんに説明して証明書をもらい


昨日の帰りは別の交通機関を利用したので


今朝、再び、最寄りのJR駅に立ち寄り


精算してもらいに行ってたのでした。


※ ICOCA(イコカ)は


  JR西日本の非接触型ICカード技術を


  利用したプリペイドカードであります。



では、今朝の続き。。。


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入り口で拝観料300円を払い入山し、


ここ笠置山寺は歴史が古く


特に、先の記事で紹介しましたが


太平記の舞台であることで有名で


元弘元年(1331年)鎌倉幕府倒幕計画に失敗した


後醍醐天皇は笠置山寺にて挙兵し、


この時、幕府側の七万五千の軍勢に対し


後醍醐天皇の兵は僅か三千あまりで


圧倒的に不利な状況であったが


1ヶ月あまり篭城して地の利を活かし善戦するも


幕府側の放火により総崩れとなり陥落、


この兵火により笠置山寺は


全山消失して、しばらくの間、荒廃することとなるが


明治9年に復興に尽くし、今日の姿となったそうです。


( Wikipedia & 笠置山寺で頂いた冊子より )



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↑ 本来は下の写真のように


磨崖仏が存在していたのですが


先に記述しましたように


元弘元年の戦火などにより


消失してしまい・・・・・


とても残念なことであります。



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笠置山はこの後の写真を


見ていただいたらお解かりかと思いますが、


全山花崗岩で形成されており


山中には巨大な岩石が重なり合って存在し


実際に行ってみて思いましたが


探検してるみたいで、めっちゃ面白かったです!!


・・・かなり、お奨めですね。


(桜、モミジの名所でも有名だそうです。)



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↑ ↑ ↑


『 虚空蔵磨崖仏 』


弘法大師がこの岩に登り


一夜にして彫刻したという


伝承があるそうです。


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・・・・・


・・・・・


まだ、まだ、笠置山寺


散策は続きますので。


つづく。