ハンドメイドは愉し。
色々起きます(汗。
今年の夏はまた異常な酷暑で、殆ど車で移動したり室内に居たので、
涼しくなってウォーキング!と思い、ついアスファルトの道を歩き過ぎてどうやら筋肉を痛めたみたいなんですね…。
左膝裏が歩くとズキズキ痛みます。
急に頑張ってしまい、ちゃんとストレッチとシューズ買い替えとけば良かったと反省!
でも昨日は今週末にある母教会の特別集会のチラシ配布に一時間半くらい住宅地を歩きましたが、その時はあまり痛まなかったの。
大事にするより、筋肉付けるようにやはり動いた方がいいのかなって思いました。
ヨガとか太極拳は興味あるわ。
初めてこんな本を購入しましたよ。
私は猫背なの。体幹って大事ですね〜
本当に気持ちいいし、簡単なので続けられそう。
長毛種のティーは体重増えてからすぐに疲れてゴロリンしちゃうのよ。
私と一緒に歩こうね。
感謝です。
あとね、日曜日は礼拝後にお隣りの須賀川市で毎月開催している例のハンドメイドフリマ、路地裏マーケット、通称『Rojima(ロジマ)』に今月も行ってきました。今回は鬱期から回復してきた夫と一緒に…。
今回購入したのは、
なんと花屋さんじゃなくて、個人参加なんだって。これで¥1200くらいだったかな。
北側の玄関に吊るしています。
古い我が家にも良く似合う。
なんと今回、教会のすぐ側のいつも利用してる花屋さんもドライフラワーで出展してて、
会えて嬉しかったな〜
あとね、
ハンドメイドフリマの為に、毎回少しづつお金貯めてますよ。
元々エディトリアルデザイナー出身なので、カッター使いが上手いの。
色々夢はひろがります。
何かを作ることは自分の鬱期の時間の使い方にもいいと、色々気付きがあるみたいで私も大賛成よ。
庭ではいつの間にか、
あれから北側の玄関を使わず、お向かいさんの母娘と意識して会わないようにしてから心落ち着いてきました。
相変わらず奥さんの大きな話し声は朝から響いてるけど、胸は痛みません。
過ごしやすい季節。
次女は二階の自室で夜はチョークアートを描いています。
私も特別集会が終わったら、来週から恒例の教会婦人会が郵送するクリスマスカードを作成する予定。
それぞれの部屋で好きなものを黙々と作る。我が家にようやく穏やかな時間が流れています。
石筵ふれあい牧場に行ってきた!
一日遅れの記事になります。
ふれあい牧場の売りは、
屋外バーベキューや沢山の家畜と触れ合えること!
昨日、土曜日の午後は気分転換に(お向かいととにかく少しでも離れてゆっくりしたかったので…。)夫に運転してもらい、何十年振りだろう?
また、裏磐梯は母成峠方面と市の施設で人気の『石筵(いしむしろ)ふれあい牧場』に行って来ました。
妻がダウンした途端に夫が浮上するって、夫婦って良く出来てますよね??
まぁ、一つ心労が減って良かった。
裏磐梯は紅葉はこれからですね〜
でも風がとっても気持ち良かったです。
入園料は大人¥300です。
市の管理が良く、ゴミ一つ落ちてなかった。
ちなみにこちら、
娘たち小学生の時から変わらないな。
お孫さん乗せて皆さん楽しそうでしたよ。
笑顔の家族見てると、こちらまで幸せになる。(^^)
来て良かった!と思いました。
ふれあい牧場の売りは、
屋外バーベキューや沢山の家畜と触れ合えること!
目が線だ〜
馬は賢くて穏やかな感じね。
餌をあげたい人は、手前のかごに有料でカットした人参を入れるんですが、美味しそうに食べてた。
というか、
みんな餌付けなれしててめちゃ主張してきます!
私達はあげないとわかったら「プイ!」されちゃった。
危ないところだったわ(汗。
睫毛が長くてクルン!とカールしてるの。
お話ししてみたいわ。
懐かしく思いました。
笑ってるように見えますよね?
こうでなくちゃ。
週末、前記事に書いた『ユラックス熱海』のアイスアリーナで浅田真央ちゃんのアイスショーがあったみたいです。
東日本大震災から東北を度々訪れてくださって、支援されています。
彼女の第二の人生、希望がとても楽しみですね。
皆さん今週もよろしくお願いします。
いのちのことば
良く聖書のみ言葉を用いて、一般対象者向けではあろうと思うんですが、
聖書にはこう書いてあります。
だから、
「こうありましょう。」
「あなたはどうですか?」
と、自分にではなく相手に問うような記事をあげていらっしゃるブログも良く見かけたりします。
自己啓発系のカウンセラーなどは、
「それに過剰反応するのは、自分の中にその問題があるからだ。」
とか、
自己責任や罪に全てを転嫁するような印象を与えかねないものが多く見られるのは、何年も闘病中の方や、不安神経症(私も)などを持つ、自分ではどうすることも出来ない人にとっては、結構苦しいものです。
経験談を聞くと、精神科の医師に「弱っている時は、病気と信仰は一体ではないと思った方が良い」
と言われたクリスチャンの姉妹がすごく楽になったとか…私もそう感じますよ。
勿論、柱は信仰ですが、目に見える回復のためには薬や休養は欠かせません。
だから、今はあえて見てはいませんが。
新約聖書の中の『ルカの福音書』を記述した使徒ルカは医者でした。
なので、神の独り子であるイエスが受肉して「人となった感情」も豊かに表されています。
ここで主に伝道対象となったのは、「異邦人」と呼ばれる神を知らない、律法や神学を極めたユダヤ人などから蔑まれていた地域の人々でした。
今週の礼拝説教からマルコの福音書に入りましたが、牧師の余談で、
「神様を信じているから私は大丈夫、だから洗礼は受けません。」
と言われた方にふと、こう思ったと…。
このマルコの第1章の箇所から、
「イエス様でさえヨルダン川で、ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになったのに、それは傲慢なのではないか?」と思ったとか…。
それを聞いて、「私も受洗まではそうだったな」、と恥ずかしく思い起こしていました。
専業主婦だし、献金や奉仕など色々頭に心配があったのも事実あります。
でも、私は求道5年目の初夏、ペンテコステに驚くことに夫と同時受洗をしました。
私一人では不安だったところを、突然夫が共に担ってくれるようになったのです。
神様は全てをご存知なのだと思いました。
そして次女もそれから4年後、自ら受洗しました。
今、その夫は病気と仕事の為にしばらく礼拝を離れていますが、私が祈祷会や礼拝の恵みを伝えて細やかながら家族繋がっています。
近年では同い年の牧師と言葉の上で喧嘩してしまったり、メンタルが落ちて辛くて行きたくない時も沢山ありました。
でも礼拝や祈祷会に行って重荷を主の十字架に掛け、兄弟・姉妹と声を合わせて祈り、賛美するとき、
自身の努力ではなく、聖霊に導かれ、満たされなければ真の安らぎはないのだわ。
とわかります。
9:そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
10:そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。
11:すると天から声があった、
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
マルコの福音書1:10〜11
受洗してもその後荒野(サタンの試みに遭われた、世を指す)に向かうことがありますと…。
私も失敗したり人を傷つけたり、色々でした。
荒野はかつてイエス様も歩んだ道であり、今は一人ではない。
倣う方がいつも側にいる。
神様はこのみ言葉のように、どんな条件であっても一方的に神様の方から「愛して」「御心にかなう者」と言って下さるんですよ?と。
受洗した後々、試みは因果応報、陥れるためや仕返しではなく訓練であり、意味があることを聖書は教えてくれるでしょう。
また、こんな喩えも話しました。
今は固定電話の使用は殆ど少なくなり、携帯から話すので「どこにいるの?」と聞きますよね。
でも、
いつも側にいて下さり容量がパンクなどすることなく、一番良いときに確実に本人に祈りを届けて下さる聖霊を信じなさいと。
祈りは届く。
たとえ、疲れて言葉が出ない時も、愛する兄弟・姉妹が執りなしの祈りを全世界で捧げてくれているから。
と、教会で昔話されましたよ。
囁くような、呻く(うめく)ような祈りも聴いているんだそうですから。
大祭司であるイエス様が「あなたの信仰が無くならないように」と祈って下さっている箇所にも励まされます。
(ルカ22:32)
礼拝の最後に、牧師が
「あなたは聖書をどう読みますか?」と問いかけがありました。
み言葉が、
命ある物として生かされているか?
ただの知識としてか?
心の中に、モヤモヤとしたものがあり、「何故生きるんだろう?」とか、「教会ってどんなところなんだろう?」とか思い始めた時には、既に聖霊が働き始めているとか…。
罪の恐れ、不安があるときにチラシ(トラクト)一枚がその解決と働きを伝えて下さいますように。主の平安が共にありますように。
と、祈りながら毎月郵送奉仕、配布をしています。
再来週はかつて私達夫婦が受洗のきっかけとなった『秋の特別集会』があります。
一般対象者向けの優しい聖書のお話しと、愛餐会と呼ばれる簡単な無料昼食会がありますよ。
「教会ってどんなことするの?」とか、食事しながら何でも聞いてください。
きっと難しい本を読むよりスッキリしますから。
「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」
(ルカ19:10)
主の平安。
おやすみなさい。
食事、味がするようになりました。
皆さんコメントとお祈り感謝します。
(知恵を持って、ホームセンターでの防音・監視対策家族で考え始めています。)




























