「穢れ」と「言霊」の謎:その47
 

  人類史上最大のホロコーストとなる「mRNAワクチン」の接種を日本で推進したのは、在日韓国系自民党と在日朝鮮系公明党である。もちろん、その後ろには悪魔崇拝者ビル・ゲイツがおり、日本を支配するアメリカの「ペンタゴン」を統括する軍産複合体とその親玉ロックフェラー、その本家のロスチャイルドがいる。だが、実行させたのは日本人になりすました在日韓国人と朝鮮人、そして麻生太郎や河野太郎をはじめとする売国奴の日本人である。但し、これらは悪魔に魂を売った者たちで、普通の生活をしている、貧乏な生活を強いられている在日韓国人や朝鮮人は無関係である。ここはハッキリさせておかないといけない。

 

 ワクチンを打って頭の狂った日本人が増えている中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とばかり、「朝鮮人が日本人に毒液を接種させた」とやりかねないからだ。確かに在日韓国系自民党と在日朝鮮系公明党が接種させたので、「朝鮮人が日本人に毒液を接種させた」というのは嘘ではないが、さらに在日韓国系自民党を裏で支配する「統一教会」及び在日朝鮮系公明党と一体の「創価学会」という2つのカルト宗教にこそ問題がある。彼らの「洗脳」は強力だからだ。まぁ、最近の若い創価学会員は次々と離反しているので、洗脳が解けてきているということだ。

 

 

◆創価学会の教典『人間革命』の意味

 

 極東CIA本部が日本人支配のために使ってきた在日の創価学会と公明党、自民党と統一教会は、もはや不要として切られはじめた。調子に乗った自民党最大派閥の清和会=安倍派は裏金問題で粛清され、韓国と仲良くしない領袖の李氏朝鮮王・安倍晋三は亡き者にされたことで、その安倍晋三が神道に代わって統一教会を日本の国教にすると約束したことも反故にされてしまった。怒る韓鶴子総裁は「岸田を呼びつけなさい」と叫ぶものの、散々選挙で世話になったにも関わらず、岸田文雄は無視。アメリカの忠犬ポチになることで統一教会からの攻撃をかわしている。

 

 一方、2012年には死亡もしくは植物人間になっていた「池田大作」こと「成太作:ソン・テチャク」も、もはや用済みとして「死亡」が正式に発表された。遂にこれで、現在の北朝鮮を出自する3つのカルト宗教の創始者が消えたことになる。池田大作の場合は、創価学会の創始者ではないものの、創価学会が本山・日蓮正宗から破門されたことで、本山のない在野の宗教集団でしかなく、その教えは日蓮宗ではない「池田教」に変質したことで、実態は池田大作こと成太作が創業者である。

 

 池田大作は1960年代初頭に「末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)」の組織運営方法や宗教法人としてのビジネスノウハウを吸収し、それを創価学会に適用したことで、一気に巨大集金マシーン・巨大集票マシーンに化け、日本最大の宗教法人に育て上げた。さらに、池田はその著作『人間革命』『新・人間革命』によって、自分を教主とする巨大な宗教を確立するとともに、創価学会インターナショナルの拡大を通じて、世界宗教への道を歩んでいった。実は、ここが重要である。

 

『人間革命』『新・人間革命』

 

 作家・佐藤優氏が言うように、「世界宗教」になるためには「テキスト」が必須である。創価学会の場合は、それが『人間革命』『新・人間革命』であり、いわば『旧約聖書』と『新約聖書』なのである。好きでもないのに、こんなインチキな長編小説は誰も読みたくないだろうが、創価学会ではこれが『聖書』なのである。「人間革命」は、創価学会第2代会長戸田城聖によって唱えられた宗教思想で、その意味は、自分自身の生命や境涯をより良い方向へ変革し、人間として成長・向上を目指すということである。さらに、各個人が「人間革命」を遂げることにより、社会全体の変革さえも可能であると説かれている。

 
日本人は「革命」という言葉を嫌う。「2.26事件」など、実際はそれが国の体制を覆すための「革命」として起こされたことであったとしても、「革命」という言葉は使わない。「言霊」として「革命」という言葉を使うことを許さないのである。これは、ある意味の「言葉のごまかし」でもある。実際はどう表現するかといえば、「変」「事変」「事件」である。「事変」とは「 天変地異や突発的な騒動などの、非常の出来事、変事」のことで、 現代では「警察力では抑えきれず、軍隊の出動を必要とする程に拡大した騒乱」のことで、「事件」よりも規模が大きく、宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる。「地下鉄サリン事件」を海外では「Tokyo Sarin Attack」と表現したり、筆者がその時にいたNYでは「化学兵器テロ」と言っていた。

 日本の歴史を振り返ると、有名なところでは「桜田門外の変」「 満州事変」「支那事変」、中国や朝鮮で発生したものでは「天京事変」「壬午事変」「乙未事変」「北清事変(義和団事変)」「上海事変」などがあり、実際は「戦争」であっても「事変」としたり、「事件」としてしまったりする。そして、「革命」というのは、被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革することだが、日本の場合はたとえ実質は武家が支配していても天皇が「征夷大将軍」を任命し、現在の「内閣」を任命するのは天皇であるため、唯一の支配者は昔も今も「天皇」である。よって天皇制を打破しようとする思想は「左派」による考えとされ、
左派は左道につながることとして許さない。
 


「満州事変」

 

 小説としての『人間革命』は、戸田城聖の「人間革命」の思想をテーマとして、創価学会の歴史と戸田城聖の生涯を描いた長編小説であり、創価学会名誉会長(第3代会長)池田大作の代表的著作である。創価学会では教学上重要な文献とされ、「精神の正史」と位置付けられている。『人間革命』は1965年に聖教新聞で連載を開始し、続編である『新・人間革命』は2018年に同紙で完結した。少々ややこしいが、戸田城聖が1951年に同紙創刊号で連載を開始し、1954年に完結した同名の小説が『人間革命』で、これは後に『小説 人間革命』と改題されている。要は池田大作が戸田城聖の『人間革命』を乗っ取ったのである。まさに「革命」である(笑)。

 小説としての『人間革命』は、創価学会第2代会長・戸田城聖の創価教育学会再建から戸田の死去までの経過と、主人公・山本伸一(=池田大作)の創価学会への入信(1947年)から第3代会長就任までを描いている全12巻の小説で、『新・人間革命』は、山本伸一の創価学会第3代会長就任直後から宗門であった日蓮正宗との決別までを描いている全30巻31冊の大河小説である。これをユダヤで置き換えると、『人間革命』は古代イスラエル王国の建国とダビデ王の話、もしくはイエス・キリスト誕生からエルサレム入城までを描いたもので、『新・人間革命』は、ユダヤ教徒だったイエスの新しい教えの布教と迫害を描いたものとなる(笑)。

 

 本来なら救世主イエス・キリストのように「十字架の磔刑〜3日後の復活」を経て、「神」とされるというストーリーが必要だが、なにせ本が完成したときには、表向き池田大作は生きていたことになっていたので、十字架の磔刑なんて滅相もない、ということだったのだろうが、要は池田大作は「生仏」で「現人神」に祭り上げるための作品なのである。『聖書』より分厚いこの2種類の「小説」(あくまでも小説であり史実ではない)を描いたことで、池田大作のストーリーは「神話」になってしまうのである。ここが最も重要である。

 

 

 1977年1月の講演「仏教史観を語る」で、池田大作は自らの『人間革命』を日蓮の遺文を集めた御書(創価学会が刊行している「新編 日蓮大聖人御書全集」または「日蓮大聖人御書全集 新版」をさす)に匹敵する書物として位置付けている。つまり、「池田大作=日蓮」としたことで、本山・日蓮正宗の上に自分を位置づけたのである。文鮮明は自分を「真の父」であり「救世主」であるとし、自分たちが本来奉じていたはずの存在をいついか超えた存在に祭り上げさせた。これは朝鮮系の宗教家の特徴である。

 

 これは直接は関係ないが、「2.26事件」を起こした将校たち、旧日本陸軍の幹部たちの多くは「日蓮宗」である。日蓮は自分の教え以外は、どんな仏法でも邪教とした。旧日本陸軍は「1億総玉砕」などとたわけたことを言って、日本人を「国家神道」というカルト宗教とともに心中させようとしていた。創価学会をはじめ、日蓮宗系にカルト信者が多いのは「自分中心」の日蓮という人間の悪しき思想が血肉化しているからである。

 

 

◆「地下鉄サリン事件」が目指した「革命」

 

 麻原彰晃の場合は鍼灸院から始まり、インチキ健康食品を売って捕まったり、阿含宗に入ってみたかと思うとヨーガ教室をはじめたりしていた。最初は真面目で大人しい人物だったが、1986年5月から6月にかけてヒマラヤに行き、たった1ヶ月で「最終解脱した」と空海みたいなことを言ってみたりと、もう何屋なんだか全然分からないし、名前も変えている。この団体の名称や自分の名前を次々とロンダリングするのも朝鮮系の特徴である。

 

 雑誌『トワイライトゾーン』や『月刊ムー』に頻繁に登場したり自身で愛読し始めた頃から予言、超能力となり、しまいには2006年までに浄化の手段である核戦争が起こり、選りすぐったレベルの高い遺伝子だけが残るといった優生思想に陥り、弟子数人に対して今の国家を転覆させる」「将来はフリーメイソンと戦うことになる」などと語ったり、理想郷シャンバラを確立するために「神になる修行をした」などインタビューで答えている。もはや頭の中は「月刊ムー」の巻頭特集を並べたような状態である(笑)。

 

 完全に頭の中が破綻しているのが分かるが、問題はこうした麻原とオウム真理教を「テロ実行部隊」として利用したい人間たちがいたことである。それこそが文鮮明であり池田大作(成太作)である。その辺りについては、過去の記事”「統一教会」と「オウム真理教」をつなぐ闇"をお読みいただきたい。

 

 

 

 池田大作は「日本国民の三分の一が創価学会員になれば、布教は完成する」という論法で説法を繰り返し、在日朝鮮人と都市部で苦しい生活にあえぐ大衆の心をつかむ為『民衆が国主である』と「天皇不要論」を掲げてきた反・皇室の人物で、『人間革命』には「仏法から見て、天皇や、天皇制の問題は、特に規定すべきことはない。代々つづいて来た日本の天皇家としての存在を、破壊する必要もないし、だからといって、特別に扱う必要もない」「今日、天皇の存在は、日本民族の幸、不幸にとって、それほど重大な要因ではないと書いている。いかにも反・大和民族らしい発言をしているが、それは文鮮明も同様で、「日本はイブ国」「天皇陛下を土下座させる」などと蔑むこと言っていた。

 麻原彰晃は日本を震撼させた「地下鉄サリン事件」を起こしたが、その目的は完遂されなかった。テロの目的は
「国家を転覆させて、日本を乗っ取る」、そして「東京、日本を制圧。皇居を自分たちの神殿にする」というものだった。そう、「革命」である。現代史の中で、左派の人間でもやらないことを平然と行ったのだ。それも小火器・重火器・攻撃用ヘリまで手に入れて。こうした武器を手配したのが、統一教会の武器商社「統一産業」で、彼らはウクライナで崩壊後の旧ソ連の武器の密売を行っていた。

 

 しかし、麻原彰晃はドラッグ・セックスが大好きの狂人である。こんな壮大な国家転覆テロを思いつくことはできても、詳細な計画を作れるはずがない。麻原は「ポアだ」「ハルマゲドンだ」しか言わないのだ。つまり、実際の計画を考え出したのは、オウム真理教の幹部たちだったのである。科学者の冷徹さを備えた村井秀夫、ビジネスマンの合理性や貪欲さを備えた早川紀代秀の二人の幹部が麻原の荒唐無稽な妄想を具現化した張本人であり、かれらこそ統一教会の人間だったのである。しかし、村井は在日の暴力団員に総本部前で刺殺されてしまった。真相は闇の中である。

 

 

 もし、オウム真理教による国家転覆テロが成功していたら、この国はどうなっていたか。日本の根幹となっている宗教は神道であり仏教である。創価学会は仏教を掌握し、統一教会が神道に変わる。たとえ麻原が日本国の王になろうが、実質的に支配するのは統一教会と創価学会である。それは、長年に渡って自民党の裏を「統一教会」が支え、表を「創価学会」が支える両輪でのアメリカによる「ステルス支配」を支える構造と同じである。但し、天皇陛下という国の長がいるか否か。そこが最も重要なのである。悪魔崇拝者にとって、最も邪魔なのは「天皇陛下」という神の代理人であるからだ。
 

 朝鮮系カルト教団の悪魔崇拝者たちの間には、基本的な信念体系よりも「血分け」のような「儀式」に重点が置かれるのが特徴だ。なんで「血分け」を行ったのかといえば、「サタンの血」を広げるためである。イエス・キリストは「最後の晩餐」の際、ワインを「自分の血」、パンを「自分の肉」として、弟子たちと食した。そして、「多くの人のために流される契約の血」として、自分の死を弟子たちに教えた。

 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」(「マタイによる福音書」第26章26-29節)


 

 「私の血はワインでできている」と公言したのは亡くなったタレントの川島なお美だが(笑)、川島姓は半島系の方が好んで使う姓である。なんてことはどうでもいい。ポイントは、文鮮明や麻原彰晃が行った「血分け」は、このイエス・キリストの「契約の血」が起源であるが、それをセックスに変えてしまったり、高級ワインにして販売してしまっていたことが「反キリスト」の象徴なのである。

 

 姦淫を繰り返す悪魔崇拝者たちの「穢れた血」を多くの人間たちに分けることで「穢れ」を次から次へと伝搬させ、神の怒りを与えられる人間を増やすこと、それが目的なのである。その意味では、創価学会員はまだ洗脳を解けば元に戻れる可能性はある。だが、統一教会やオウム真理教をはじめとするカルト宗教の信者で「血分け」をされた人間には救いはない。それは「獣の刻印」を押されたことと同義で、サタンの虜となった”しるし”となるからだ。「mRNAワクチン」接種者だけではないのだ。

 

 オウムが終末に登場する「獣」と「ハルマゲドン」の「雛形」だった意味はここにある。西欧のサタン崇拝者、悪魔主義者、悪魔崇拝者、ルシファー崇拝者、 悪魔教会員の場合、そのほとんどは利己主義であり、悪魔主義はあらゆる形態のものも、命は食い尽くすために存在し、自己中心は美徳であると主張する。自分のことを「救世主」だなどと言う人間は「奢り高ぶった者」である。彼らは神の奥義に近づいたと慢心し、そこから「カッバーラ」の「死の樹」を下降していく。その先を「地獄」と呼び、暗闇の中で永遠を経験することになる。だから「真っ暗闇の地下で獄につながれる=地獄」となのである。

 

<つづく>