占星術&フラワーエッセンス相談 虹の花りえこ です。
2018年の3月から8月までかけて、フラワーエッセンスで家系の癒しについて取り組みました。
でも、それは、気が付いたら、すでに2017年の4月のファミリーコンステレーション(バート・ヘリンガーがまとめた家族を扱うセラピーの一種)の体験から始まっていました。
そんな不思議なシンクロ&癒しの体験を、まとめてみました。
「家系の癒し・フラワーエッセンスとファミリーコンステレーション」
家族関係についてフラワーエッセンスや心理カウンセリングで癒してきた私にとり、フラワーエッセンスメーカー・ヒマラヤンフラワーエンハンサーズのタンマヤ氏のファミリーコンステレーションやフラワーエッセンスのワークショップを受けるのは、必然だった。
自分を癒す道は、らせん階段の様だ。
それは、際限がなく続く階段なのだ。
癒したと思ったら、また、再び、癒しが必要になる。
だが、それは、元居た場所と同じ様に見えて、少しずつ、場所を変えて、確実に癒しの階段を昇っているのだ。
なので、根気よく一歩一歩、上り続けなくてはいけないのだ。
一生かけて。
私は、ファミリーコンステレーションのセッションに参加するたびに、癒したと思っていた心の傷が、まだ沢山あることに気付かされた。
そして、その割れたガラスのような過去の心の傷、、ジグゾーパズルのような心の断片を拾い集めては、より大きな私の魂のジグゾーパズルにつなぎ合わせた。
ファミリーコンステレーションのワークショップで参加した時に気が付いた心の傷をフラワーエッセンスを使い癒すのだ。
私にとって、ファミリーコンステレーションやフラワーエッセンス、それらで気付きと癒しを得る事は、マインドレベルに働きかける心理カウンセリングより、より魂に届くと感じるので大好きなのだ。
2017年、ファミリーコンステレーションでのワークショプで、初めて代理人(問題を相談する人の関係者の代役を務める人)を務めた。
私は相談者の方の父親役を務めた。
もちろん相談者の人とは初対面なので知らないし、どのような家族かも知らない。
ファシリテーターのタンマヤさんの指示に従い、ただ、立って、体からの声に従うことにした。
しばらく経つと、自分でない誰かが私の体を使い私を動かした。
ワークショップ後に相談者の人から、
「とても父に似ていました。癒されました。ありがとうございました。」
とお礼を言われた。
だけど、自分自身は癒される感覚が得られなかった。
今までは、傍観者として見ているだけでも癒されていたのに。
なので、ファミリーコンステレーションに対して、少し失望した。
1945年3月10日
東京大空襲で10万人死亡
私の伯父一家4人も亡くなった
私の祖父母は家と子と孫を失った
ファミリーコンステレーションのワークショップで代理人を務めた約一年後の2018年のこと。
伯父一家の命日、そして祖父母が、子供と孫と家を失った日である東京大空襲のあった3月9~10日の3日前(2018年の3月7日)から、私は家系の癒しのエッセンスのヒマラヤンフラワーエンハンサーズのキノコのエッセンス、アシミレーションを使い始めた。
ヒマラヤンフラワーエンハンサーズの
アシミレーション
家系に関する癒しを肉体的、感情的にもたらすキノコのエッセンス。
それを使った当初、私は、なぜか男性の家族に対して無性に怒りが湧きあがり、そのあとも、やはり理由なく悲しくなり、泣いてばかりいた。
このとめどもない涙は、どこから出てくるのだろう?
涙って、自分の体の体積より出るのか・・・
そんな感覚を持ちながら。
命日の日のこと。
(東京大空襲のあった3月9日~3月10日)
偶然にも、私のファミリーコンステレーションの質問に対してのタンマヤ氏による説明のメールと、そのメールについての説明の電話が、ヒマラヤンフラワーエンハンサーズのフラワーエッセンスの代理店、ネイチャーワールドさんからあった。
(フラワーエッセンスを使っていると、よくある不思議な偶然、シンクロだ)
その説明を読んだ時、私は、一年前のファミリーコンステレーションのセッションで代理人を務めたときに感じた強い怒りと心臓の痛みは、若き父の家族に対しての怒りと悲しみだったのだと、電気ショックをうけたように一瞬で理解した。
一年前のファミリーコンステレーションのセッションは、まだ続いていたのだ!
私の亡き父は異母兄と育ち、中学を卒業してすぐに家を出て働き始めた。
私が生まれた時は、すでに祖父母や親戚の多くは亡くなっていた。
そのうえ、父は自分の家庭状況について話さなかったので、私は父の家族に対しての思いを知らなかった。
だけど、一瞬で分ったのだ。
父は、私に比べ各段に豊かに育って
そして、わがままだった
私は “勉強嫌いだから進学しなかった”、
酒飲みで、
世間や家族に怒りをしょっちゅう表し、
家族を困らせた父を憎んでいた。
私は、豊かに育った父が、自分の意志で進学しなかったと思い込んでいたので、彼を余計に恨み憎んでいた。
父は中学を出て、すぐに勤め始め、工場労働者になった。
父が進学していたら、きっと私の家は、もう少し良い経済状態だっただろう。
そして、父が素直に稼業の祖父の仕事を継いでいたら、手先の器用な彼は、日本刀の職人として、職人名鑑に載っていただろう。
祖父も親戚も載っているように。
なので親戚は都内に住み経済的にも、みな安定していた。
祖父の家、本家の皆は、温泉や赤坂で芸者遊びをしたりして豪遊していた。
(結局、それで破産したので本家は今はないが)
でも、私は、父は子供の頃、家庭で居場所がなかったと、その時、体感したのだ。
父は二番目の妻の子供。
他にも祖父は、お妾さんを麻布に囲っていた。
父は、家では自分の居場所がなかったのだ。
父は、昔の「長男が家を継ぐ」という家系制度にも不満があったのだろう。
末っ子の自分のほうが家を継ぐには適していると、感じていたのだろう。
現に、祖父の代は繁盛していた家業を、家を継いだ本家は潰したように。
そういったいろいろな情報、
そして、私の家族制度や権威への怒りは、父からバトンタッチされたものだ、
と、メールを読んだ瞬間に一瞬で分かったのだ。
そして、父に対して反抗してばかりいた私に対し、貧しい状況の中、私を大学に行くサポートまでしてくれた父に対し、心の中で、深く詫び、そして感謝した。
きっと、本当は、自分も学びたかったけど、学べなかったので、娘には大学進学をさせたかったのだろう。
父は、子どもたちに対して
「資格は大切だから、沢山取るように」
と、しょちゅう言っていた。
きっと、金銭的には苦労知らずの彼が実家を出た後、世の中で、ひしひしと感じたことなのだろう。
ヒマラヤンフラワーエンハンサーズのアシミレーションのフラワーエッセンス(正確にはキノコのエッセンス)を摂り続けた2か月間、次々と、亡くなった親族の悲しみの感情が体感され、私は泣き暮らした。
突然、すでに亡くなっている、会ったこともない親戚の人の悲しみの感覚が降ってきて、悲しみが感じられて、泣き崩れてしまう、そんな事が、何回もあったのだ。
それを通して、私は、今迄、心から死者達を弔ってなかったこと
そして、自分の人生さえ、消化しきっていなかったことに気が付いた。
「ファミリーコンステレーション
隠された愛の調和」
急に、バート・ヘリンガーの“ファミリーコンステレーション・隠された愛の調和”を読まなくてはいけないと感じたので、本を取り寄せて読んだ。
ドイツ人らしい透徹した論理性の中、優しいまなざしのあるバート・ヘリンガーの話は、私の心に優しく沁みとおり、すぐにバート・ヘリンガーのファンになった。
そして、私は、改めて、今まで、過剰に男性に敵対心を持ち自分の女性性を無視していた事や、家系に属することを拒否してきたことを、心から改めようと感じた。
人生や家系は複雑に織り込まれ絡み合ったペルシア絨毯のようだ。
私は家族や家系はロバの背中のじゅうたんのように重荷に感じていたのだ。
だが、ファミリーコンステレーションとフラワーエッセンスの共同作業による家系の癒しを得た後に、私は、家系や家族のパーツになる事に同意した。
パーツというと、不自由な感じに思えるけど、そうではない。
家系というペルシャじゅうたんは、ロバの背中の重荷ではなく、自由の空へ羽ばたく為の空飛ぶじゅうたんのようだと感じるようになったから、同意したのだ。
今では、私の後押しをしてくれる応援団なのだ。
あれほど長年、捨て去りたかった心の重荷だった家族や家系なのに。
ファミリーコンステレーションとフラワーエッセンスは、父親と母親の様に私の両手を引いて、支えてくれた。
人生や家系というペルシャじゅうたんの経糸(たていと)に、私という横糸が、絹糸の様にスムーズに織り込まれることを助けてくれたのだ。
私はファミリーコンステレーション、フラワーエッセンスの見事な連携作業に、とても感謝を感じた。
私は、自分の体験から、この二つが組み合わされることによって、更に家族セラピーが、深みを増す事を信じている。
ファミリーコンステレーション、フラワーエッセンスの二つを使い、素晴らしいタペストリーを織りなすヒマラヤンフラワーエンハンサーズのタンマヤ氏に感謝を述べたい。
※3月10日は東京大空襲のあった日
※2018年の記事を修正しました。
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