~40年~リッチー・ブラックモア | 紫の吟遊詩人~月の影にて~

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徒然なるままに今思う事を綴っていきます。




4月14日は“楽聖”リッチー・ブラックモアの誕生日。

今年は仕事だったので、通勤中はRAINBOWを聴いていた。

40年前から聴いているが、全く飽きないし未だに新しい発見をすることがある。

前回のジョン・゙ロードと同じFM番組でRAINBOWを、リッチーを知った。初めて聴いたRAINBOWは…

All Night Long

メロディアスなのにめちゃくちゃパワフルでハード…何回鳥肌立ったかわからない。

HM/HRにハマったばかりの頃、俺は長い曲とライヴヴァージョンが何故か苦手だった。(苦笑)

そういう意味においてもAll Night Longは理想的だった。

長い曲とライヴヴァージョンの苦手意識を払拭してくれたのもリッチーだった。

Gates Of Babylon

Stargazer

A Light In The Black

“様式美”ハードロックの究極形であるこれらの曲の劇的な展開…カッコ良い!と思った瞬間虜になっていた。

Kill The King

Highway Star

ライヴのオープニングにうってつけのこの2曲…コージー、リッチー、ロニーの3人による壮絶なバトルが展開される前者とドライブ感満点の後者。

目からウロコが何十枚落ちたことか。

動くリッチーを観たのは1985年頃。中学の同級生が、当時1本1万円ちょっとしていたライヴビデオ(1982年のサンアントニオ公演)を購入したから観に来たら?と誘われて同級生宅へ。

ブラウン管の中で動くリッチーを観て俺は身体が硬直していた。
同級生が「もっと前に来て観ろよ」と言ってくれたが畏れ多くて近寄れなかった。
リッチーの一挙手一投足を目に焼き付けるのに必死だった。

その6年後、武道館の最前列で初めて生のリッチーを観ていた。1991年DP来日追加公演。(2日目の武道館も観ていた)
なんとも言えないオーラを纏ったリッチーが目の前にいる…夢?いや現実?…終始フワフワしていた。ステージを降りる前、リッチーは水鉄砲で観客を相手に遊んでいた。一瞬目が合った。とても…とても穏やかな瞳だった。

その後、ブラックモアズ・ナイトで2回観ている。いずれも素晴らしいライヴだった。

リッチーというギタリストはタガが外れたようなスゴすぎるソロを弾く反面、思わず身を委ねたくなるような甘美なそして泣けるソロも弾く。

生で聴いたShadow Of The Moon。

リッチーはスタジオヴァージョンにはないギターソロをアドリブで弾いたのだが、これが本当に素晴らしかった。神がかっているとしか言いようがない。気が付いたら俺はボロボロ泣いていた。

アンコールではまさかまさかのStreet Of Dreams。

Bent Out Of Shape…捨て曲ナシ、非の打ち所のないメロディアスHRの究極点。

カセットテープで購入してボロボロのラジカセで1日3周した日もあった。

東京へ出向いてライヴを観るようになってから、当時まだ非合法モノだったミュンヘンや1984年の武道館公演…何回買い直して観たことか。

気が付いたらDP結成以前のセッションマン時代の音源まで追い掛けていた。

「もっと聴きたい、もっと知りたい」

リッチーに限ったことではないが、俺は好きなアーティストのキャリアの出発点まで遡りたい!という気持ちが強い。古臭かろうがなんだろうが関係ない。アーティストの原点を知ればもっと楽しく深く聴けると信じている。

クールな表情とは裏腹のリッチーのぶっ飛んだエピソードも好きだ。

1974年のカリフォルニア・ジャムにおけるTVカメラ叩き壊し→マーシャル爆破(1980年でのモンスターズ・オブ・ロック…RAINBOWでのコージー最後…結局リッチーとも最後になってしまった、あのライヴでもマーシャルを燃やしている)を初めて観た時は開いた口が塞がらなかった。

気に入らなかった地元のプロモーターを素っ裸にした上にホールの天井から吊るしたままライヴを演った、というエピソードは最高。

そして「ポール・マッカートニーは高慢だ。誰もリンダ・マッカートニーの話なんて聞きたくない。The Beatlesの話が聞きたいんだ。」
と、天下のポール・マッカートニーに喧嘩を売る鋼のメンタルに「流石だなぁ」と感心した。

なんだかんだいって1番凄いのは、直感で「こういう音楽性でやる」と決めるとそれにピッタリのヴォーカリストを見付ける慧眼。

イアン・ギラン、グレン・ヒューズ、デヴィッド・カヴァデール…勿論ロニー・ジェイムズ・ディオ、グラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナー。ドゥギーやロニー・ロメロにしてもそう。

だからこそ…DPのロックンロール殿堂入りにはリッチーを呼んで欲しかった。ジョン・ロードの追悼ライヴにも。意図的に声を掛けなかったというのはいくらギラン(というよりマネージャー達)によるこれまでの仕返しのつもりなんだろうが、あまりにも大人げないと思った。

デヴィッド・カヴァデールは殿堂入りのスピーチで開口1番

「リッチーとジョンがいなければ、私達(ギランも含む)は誰1人ここに立ってはいない。」

と話し、この殿堂入りが如何に歪んでいるかを暗にアピールした。嬉しかったし、心から感謝している。

デヴィッドは、リッチーがブラックモアズ・ナイトに専念している時、メディアがHRをやって欲しいという空気を察知して
「これまでにリッチーが我々に与えてくれたものを考えてみてくれよ!もう彼がやりたい事を思う存分やっても良いじゃないか」とフォローしてくれた。本当に有り難かった。

反面、リッチーの「第一線を退く前にDPとライヴを演りたい」という切なる願いさえも黙殺してしまった、今のDPマネージャー達は必ずしっぺ返しを喰らう事になる。

俺にとってリッチーは人生の師匠だ。
俺にとって音楽は生き甲斐だ、と言い切る力を与えてくれたことに心から感謝している。

リッチー・ブラックモア。

イギリスが生んだ偉大なる音楽のマエストロの1人。