「最近の若い人は本を読まない!」と批判する60代が完全にブーメランなワケ | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

 

 

私は還暦超えているのだが、本記事の内容は良いと思う。

他人をとやかく言うよりも、まずは、自分を整えることだろう。

あくまで個人的な習慣化だが、家事をすること、そして、読書、楽器の基礎練習、をしている。

老後の備えだ。

特に、家事については体に染み込ませておきたい、なぜなら、それだけで、1日きちんとしたことになるから。

「最近の若い人は本を読まない!」と批判する60代が完全にブーメランなワケ
7/26(金) 6:32配信 ダイヤモンド・オンライン
 40代にとって、還暦というとまだまだ先のことに思えるかもしれない。だが、魅力ある60歳を迎えられるかどうかは、40代の過ごし方が鍵を握る。40代から始める還暦への準備と心構えを齋藤孝氏が解説する。※本稿は、齋藤孝著『最強の60歳指南書』(祥伝社新書)を一部抜粋・編集したものです。

● 明治時代とは異なる今の60歳に 威厳と風格がないワケ
 干支は「十二支」と「十干」の組み合わせから成り、60年でそのサイクルが一巡します。自分が生まれた「元の干支に還る」のが数えで61年目。満年齢で60歳、これすなわち還暦ということになります。
 還暦を迎えるということは、言わば一回りして新しく生まれ変わるということです。一方で、60歳という年齢の持つ社会的な意味は、その時代によって変わってきます。江戸時代や明治の60歳と、令和の60歳は同じではないということです。
 織田信長が幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」と唄ったとおり、戦国時代では人の一生はおよそ50年くらいという認識だったようです。
 翻って現代は、「人生百年時代」という言葉も聞かれます。厚生労働省によると、日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳(2022年「簡易生命表」より)です。人生をざっくり90年と考えれば、60歳は人生の3分の2を終えたということ。これからまだ3分の1の長い時間が残されているのです。80年としても4分の1あります。
 実際、現代の60歳は総じて見た目が若く、明治時代の威風堂々とした大父のモノクロ写真などと見比べても、同じ還暦とはいえ、趣はだいぶ違います。夏目漱石は享年49ですが、髭を蓄えた泰然たる面持ちの写真を見るにつけ、令和の50代や60代とは比較にならない威厳と風格が伝わってきます。
 令和の中高年世代が、ともすると明治の人より軽く見えてしまうのは、見た目が若いだけでなく、知識と教養が必ずしも明治人に追いついていないからと指摘する声もあります。

● 80年代からあった「活字離れ」 良書を読んだ自信はあるか
 一般に「若い人は本を読まない」といわれますが、じつは今の60代の人が20代だった1980年代頃から、「若者の活字離れ」は既に社会問題として指摘されていました。
 現在60歳前後の方で、「自分は骨太な良書をたくさん読んできた」と言い切れる人がどのくらいいるでしょう。「じつは本なんてあまり読んでこなかった」という方のほうが数としては多い、ということはないでしょうか。
 残り30年という長めのラストスパートへ向けて、「何かおもしろいことをもう1つか2つくらいしてみるか」と、現実的に考えられる現代の60歳。この人生の節目を前向きな気持ちで迎えられるかどうかで、残りの30年の行く末は変わってきます。つまり、40代や50代のうちに、還暦へ向けてどのような準備をしておくかが、この上なく大切になってくるわけです。
 智慧と教養を備えた魅力ある60歳へ向けて、壮年時代からどのような習慣を普段の生活の中で身につけていけばよいのか。
 昌平坂学問所の儒官を務めた儒学者の佐藤一斎は『言志四録』の中で、「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」との言葉を残しました。
 若いときから学べば壮年になって事をなすことがある、壮年になっても学びを続ければ、年を重ねても衰えることがない。老年になっても学びをやめなければ、死んだあとも自分のしてきたことは朽ちずに、次へと引き継がれていく。
 すなわち、人は一生をかけて学び続けるということです。まさに40代から60代のすべての人が傾聴すべき言葉といえるでしょう。

● 習慣をフォーマット化して 「めんどくさい」をなくす
 生活習慣とは、言い換えれば自分用の生活フォーマットをつくり、そこへ日々の思考や行動を落とし込むということです。「暮らしのフォーマット化」こそが習慣です。朝起きてご飯を食べ、歯を磨いて電車で通勤するという一連の行為は、その人の習慣でありフォーマットです。
 フォーマットを武道の「型」に置き換えてもいいでしょう。私は空手をしていたことがありますが、空手では最初に「型」を徹底的に教わります。空手の正確な動作を身につけるのに「型」の習得は不可欠です。これをしっかりと覚えることで、初めて実戦でも突きや蹴りなどを正しいフォームで打ち込むことができます。
 心と身体を習慣という名の「型」に落とし込み、日々鍛錬することで、実戦という人生を充実したものにできるということです。
 習慣がフォーマット化されていれば「面倒くさいな」「今日はやめとくか」といった発想が浮かばなくなります。なぜなら日常に「型」として取り込まれているため、頭で考えなくてもそれが既に快適なルーティンとなっているからです。
 現代経営学の生みの親であるP・ドラッカーは、「ルーティン化とは熟練していなくて判断力のない人でも天才を必要とする仕事を処理できるようにすることである」と言っています。その域にまで習慣を身に染み込ませることがまず1つ、そして自身の限界を勝手に決めつけないということが2つ目です。「どうせ年なのだから」という発想は今日を境にどこかへ捨て去りましょう。
 50歳ともなれば「最近、物忘れが激しくてねえ」などと、冗談とも本気ともつかぬフレーズがつい口を衝いて出てしまうものです。
 しかし、人の記憶の低下は必ずしも加齢と比例するものではなく、物忘れと年齢の間には相関がないという専門家もいます。毎年開催されている英国発祥のメモリースポーツの国際大会である「世界記憶力選手権」では、例年多くの40代から50代の方が、若い世代を抑えて入賞者に名を連ねています。
 実際、昭和世代の人たちは、暗記という行為を日々の暮らしの中で今以上に行なっていました。昔は携帯電話などなかったですし、学校の友だちの電話番号もほとんど暗記したものです。
 市内局番の下4桁を、無意識のうちに友だちの顔や性格などと結びつけ、これをセットで記憶するという作業を、小学生くらいの頃から皆が自然にしていたのです。
 「今はもう、年だからできないよ」というのは誤りで、できないのはやらないからです。暗記することが当時ほど当たり前のことではなくなり、やろうとする習慣と意欲が失せたから覚えられないのです。
 覚えることの原理をあらためて知り、効果的に記憶を定着させる行為を習慣化すれば、情報は必ず脳に長期記憶として残るものなのです。

● 40歳からの生活習慣は 20年後の自分へのプレゼント
 先日、あるテレビ番組で、家事上手な一般の方が出演されていて、その方はどんなに面倒でも目の前の家事を翌日に回さないと言っていました。その理由というのが、「今やって済ませておくことは、明日の自分へのプレゼントだと思っている」というのです。「なるほど!」と、膝を打つ思いでした。
 これをそのまま置き換えれば、40歳からの生活習慣は、20年後の未来の自分へ向けた最大級のプレゼントということになるわけです。
 詩人のジョン・ドライデンは、「はじめは人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる」と言いました。これから始める習慣の積み重ねが、60歳の自分をつくるのです。
 筋トレの好きな方が「筋肉は嘘をつかない」と言うように、「習慣」も嘘をつきません。個人差はあれど、結果は必ず形となって表れます。
 「思い立ったが吉日」。この記事を読んでいる今日が、とりかかるのに良き日です。まずは一歩を踏み出してください。
 渋沢栄一は、「智・情・意」(知恵、情愛、意思)の3つを均等に保って成長した人を「完(まつた)き人」と呼び、目指すべき常識人として提唱しました。
 この記事を手にされた方が「完き60歳」に限りなく近づくために、これから紹介する習慣を1つでも多く取り入れ、実践し、その成果の喜びを心身で感じとっていただけたなら、筆を執った者としてこれ以上の喜びはありません。