政治文化論(中村菊男著) | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書の原版は昭和51年に東洋経済新報社より刊行された、それを編集し刊行したものが、昭和60年初版の講談社学術文庫版だ。

古い本を読んで役に立つのかと言えば、それは、読む人の立ち位置によるだろう、専門的な学者ならば、本書は過去の通過点になるだろうし、逆に、一般人ならば、その中に、何か現代にも通じるものがないかと探ったりするだろう。

本書の中にはこんな下りがある。

…政治文化の伝統との関連のうえに、政治現象の実体を探ろうとする試みであり、人間心理の表層部はたえず変化するが、その深層部は容易に変わらないという仮説に立つものである。

西部邁が、伝統を重視することに影響を受けてしまったのかも知れないが、もしかすると、現在も、その日本人の感覚は変わっていないのかもしれない。

特に、海外の事例や、学説を持ってきて、日本で実現してないのはおかしい、みたいな記事をよく見かけるのだが、そういう伝統は、例えば、明治維新後など、海外の学問は評価せずに正しいものと受け入れていたことを思い起こされる、確かに、当時は海外(西洋)の学問・知識に優れていたものは多かった、しかし、それらは、それが発生した国・社会で培われたもので、それを、単純に、日本の社会・風土に移植できるのかどうかは、慎重な検討が必要だと思われる。

世間がそういう、きちんと自国での評価がされていない「よその制度」を、表面的な合理性やその結果を見て、短絡的に奨励する傾向は、今も昔も、変わっていないのではなかろうか?

だから、ある時は、高度経済成長だとして、嬉々とし、ある時は、長期停滞だと言って、いらだつ、そこには、世間(世論)が、きちんとした方針を打ち出すための「素養」が希薄な気がするのだ。

そんなわけで、海外の思想の流行を単純に追いかけて、国内に紹介するのではなく、専門家として、慎重にその内容を精査して、批判的な立場も含めて、日本の風土にあった理論を構築する本著者の姿勢に強く惹かれるところがあったのだ。