「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! | 本のブログ

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私が挨拶をする理由は、この記事で月々さんが指摘する「相互監視システムの維持」に近い考え方だ。

最近、同様に、しない人も増えたようだが、ネクタイについて考えてみると、昔々は、相当乱暴な社会で、取引の時に力技で相手をねじ伏せて商品などを持っていってしまう(強盗だね)様なことがあり、そもそも、相手を信用できない状況下で、「(ネクタイで)いつでも自分の首を締めてもても良いです=悪いことはしません」という意思表示のための慣習だということを聞いたことがある(嘘かもしれない)。

だから、挨拶も、相互監視というよりも、「自分は無害です」と表明する自衛手段として考えている。

普段、挨拶している人に、殺されたなんて場合、犯人は相当病んでいるはずだと思う(サイコパス?)けれどもね。

だから、挨拶の風習も、日本人の人間性を考慮した、経験則上から生まれた伝統の一つだと思うんだ(以前、武士(今で言えば権力や暴力かな)にきちんと対応しないと切り捨てられたりしたよね)。

「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! ネットでの批判に「私は挨拶をします」
6/13(木) 18:31配信 集英社オンライン

SNSで「挨拶は必要か不要か」論争が白熱している。とある動画をきっかけにXで大反響を起こしているのだが、この動画に登場している当事者に話を聞くことができた。

20代男性にネット民たちが集中砲火
2022年10月14日にインターネットテレビ局ABEMAの「#アベプラ」で放送された一部分が今になってSNSで話題になっている。この日の「#アベプラ」は、“挨拶強要はアリ? ナシ?”をテーマに議論することになり、“挨拶の強要はナシ”とする20代の男性が、顔出しで番組スタッフからのインタビューに答えていた。
この男性は、「挨拶するかしないかの基準も人によってバラついていると思っていて、挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」とし、職場ですれ違うだけの人や、ドアを開ける際などの、形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がないので、する必要がないと指摘する。
そして「どんどん常識って変わっていくんで、今の若い人たちが挨拶ってしなくてよくない? って思ったら、次の世代を作っていくのは若い人たちなので、そっちが正しいんじゃないかなと思いますね」と自身の考えを述べていた。
この男性の動画が、なぜか今になってとあるユーザーによってポストされると、なんと2700万インプレッションを超えるほどの大バズに。ネット上は主に、男性を叩く声で溢れかえり、〈挨拶すらろくに出来ない奴はチームプレイが出来ないと判断せざるをえない〉〈挨拶できない人はお礼も謝罪もできないし、こういう人は残念ながら仕事もろくにできない人だよね〉〈あいさつしない人って仮に仕事ができるとしてもそれ以前に人として信用できない〉〈「おはようございます」って言うだけのめちゃくちゃ小さいコストで信頼とか人間関係とかのデカいリターンを得られる行為だと思う〉など、男性は時間差で集中砲火を浴びてしまった。
ただそれと同時に、挨拶を不要に感じる人も一定数いる。挨拶そのものが不要というわけではなく、形式だけで何の気持ちもこもっていない挨拶や、朝からやたらと大声を強要される挨拶、メールなどでの「お世話になっております」「お疲れ様です」などの挨拶は不要ではないかという意見だ。
「#アベプラ」に出演した渦中の男性・月々さん(@tkdk_moon)にコンタクトをとると、改めて挨拶についての意見、放送ではカットされてしまった真意を聞くことができた。

 月々さんが考える“挨拶”のメリット
「まず、釈明させてください。あの映像を見て、あたかも私が挨拶不要論者であるかのように誤解する方が多数いらっしゃいますが、私は挨拶をしますし、挨拶はすべきだと考えています。そのうえで、挨拶は必要だと思うものの、強要するものではないと思って、アベプラさんのインタビューに答えました」(月々さん、以下同)
月々さんは、挨拶には2点の大きな意義があると主張する。
「1点目は『相互監視システムの維持』です。田舎に行くとわかりますが、近所のおばちゃんや子どもたちは、ほぼ知らない人にさえ挨拶してきます。そして変な人がいれば、インターホンを鳴らしてまで知らせてくれます。この相互監視システムは田舎の過ごしづらさとして挙げられることがありますが、私はよい面もあると考えています。
というのも、このような環境は、犯罪をしようと考える者にとっては困りものだからです。また、挨拶の返答の声の大きさなどから、相手の体調を把握することもできます。犯罪の発生を予防することや仲間同士で体調を管理し合うことは、健全な社会生活を営む上でものすごく重要なことでしょう」
2点目は、ネット上でも散々声があがっていた「コミュニケーションの円滑化」だ。挨拶は理由なくどんな人にも話しかけられる行為で、会社などでこの積み重ねをすることによって、いざというときにスムーズに協力することができる……と、月々さんも同様の意見をもっている。
このように挨拶には多くのメリットがあるが、それでも「強要するべきものではない」とするのが、月々さんの本来の意見だ。「そもそも道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない」という考えから、この論を展開している。
「道徳とは、『人としての“道”』と、『人としての“徳”』のことです。日本人が守ってきた“道”としては、アベプラさんからの取材でお答えしてカットされた神道がありますが、今回は武士道の観点からご説明します」

挨拶しない人を認める職場に…
「武士道、つまり、日本の男性たちが守ってきた“道”には、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義の7つの徳目があります。今回の挨拶の議題になっているのは“礼”の徳目に当たります。人と人が関わるときは礼儀が大事です。朝一に人と会ったら『おはようございます』。何かしてもらったときは『ありがとう』。間違ったことをしてしまったときは『ごめんなさい』。
ちょっとした定型文かもしれませんが、ときには一定の動作を交えながら相手に気持ちを伝えることは円滑な人間関係を築く上で大事です。しかしながら、礼儀が先行しすぎることはよくないと説くのが武士道です。礼儀はあくまで思いやりの心が形となって表れたものでなければならないのです」
礼儀が先行しすぎている人のよくない例としては、巧みに人をだまして世渡りうまくやっていこうとする者や愛想はよくても内実がともなっていない者などが挙げられるという。
「次は“徳”の説明ですが、“徳”の対義語は“法”です。徳と法は対極にある概念なので、単に法を守ることが徳になるわけではありません。ルールがなくても行なわれる慈善行為こそが徳です。その意味で、挨拶は確かに重要ですが、他人に押し付けるようなものであってはならないと思うわけです」
以上が今回、1年半以上の時を経て大炎上してしまった月々さんの意見だ。最後に1年半前と現在で、気持ちに違いはあるのか聞いた。
「特にないですが、私自身、挨拶を強要する職場と挨拶を強要しない職場を経験した結果、やはり挨拶しない人を排除する職場よりも、挨拶しない人を包摂する職場のほうがみんながいきいきしているなと感じます」
SNSでふいに巻き起こった挨拶論争。何はともあれ、挨拶の大切さを改めて考える機会になったようだ。
取材・文/集英社オンライン編集部