東京の雑木林(矢口純著) | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書は福武書店1991年刊行のもの。

大正10年生まれの著者が、子供の頃の武蔵野(西荻窪、善福寺池など)を思い出して描かれた第一部、まさに「東京の雑木林」は、子供のころ(昭和40年代か)荻窪にいた私には、ただ懐かしくも、その当時にも、ほぼ失われた雑木林の描写に羨望した。

この著者を知ったのは、幸田文氏の対話集でその語り口が素敵だったから、読書とは、様々な機会に、新しい繋がりが生まれるものなのだ、と、最近、少しだけ理解した。

しかしながら、どうしても、本を出版するという作業から考えれば、時間軸は過去に向かいがちになってしまうのは、現代、そして、未来を志向する、今どきの人には向いていないかもしれない。

それでも、たくさんの本に向かい合って、自分にはない語り口に出会うと、なんというか、安堵するのだ。

本書でも、先程出た、幸田文氏のことに触れているのだが、現代から見ると堅苦しいと思われる、明治という時代の、生活や家族関係の中にも、とても気になる、素敵なことがあるのだということに、気づいたりできる。

不自由だからこそ、自由があるわけで、対象軸のない、宙に浮いたような「自由」を、正義だと高らかに宣言しているような、現代社会は、本当に大丈夫なのかと訝しんでしまう。