デジタル・ファシズム(堤未果著) | 本のブログ

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普通の人は読まないだろうと思う本を記す。
あとは、Linuxと中古PCなどの話題。

本書はNHK出版新書2021年刊行のもの。

 

デジタル社会は一見便利に見えるが失うものもあるということ。

それは、デジタルデバイスを通してあなたが提供するプライバシーデータだということ。

 

本書刊行から、3年ほどしか経っていないのだが、ご存知の通り、昨年は一般の人にも目に見える形でAIの利用が顕在化した。

本書でも、AIによるオンライン教育について触れているのだが、最近のAIの完成度を考えると、人が関わる部分は、本当はどこなのか、判断は難しくなってきている。

 

私は、親の介護をしているから、という変な理由から、スマホの利用はあまり多くない、巷で、散見される、スマホ歩きしている人など、どうしたらそういう社会性になれるのか訝しんでいる。

もとより、パソコン通信から入ったので、インターネットのセキュリティの脅威については、ある程度の認識はしているつもりだし、実際、随分昔に引っかかったことはある(実害は、まぁ、OSの再インストールと、多少のデータの喪失程度だったが)。

パソコンでは、通信機能の制限は、使用者の意志である程度決められることなのだが、スマホの場合は、いわゆるセキュリティに関して、パソコンと同じか、それ以上に、クリティカルな(銀行、クレジット情報などを内包している)状況なのに、使用者側の意識が相当低い人も居ると思われる。

例えば、便利だからと言って、LINEを軽率にインストールするのはどうだろう、過去にも、個人情報が何回も流出しているアプリなのに、それでも、その利便性でインストールしている・・・と、(セキュリティの脆弱性を)認識しているユーザーはどれほどいるのだろう。

そして、アプリの利便性に囚われて、自身の主体性を、知らぬ間に、どこかに置き忘れてしまい、無意識のうちにスマホに支配されてしまうことは、ないのか?

よく考えたほうが良い。

スマホを利用できているのではなく、アプリがよくできているのではないか、もしそうならば、自分はスマホに使われているのではないか・・・と、たまにそんなことを思ってもよさそうだ。

いわゆる、営利企業とは、本質的にどういうものか、きちんと認識したほうが良い。