ひろゆきが論破された能登「集団移住論争」、石川県の人口ゼロ集落を全て回った研究者の本音は? | 本のブログ

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少し前にブログに書いたけれども、この地震は、将来の日本の姿(特に地方の)を少し早回しで私達の眼の前に見せてくれているものだと、私は思っている。

インフラの崩壊、医療や商業施設の撤退、自治体からの補助の低下などなど・・・地方の末端の地域では、すでに現実化しているところもあるだろうし、今は、住人の努力でなんとかしていることだろう。

 

しかし、将来はどうだろう?

日本という国は全体として老いていくのだ。

だから、今件は、(日本の)将来を図る、とても良いシミュレーションになることだろう。

もし、ここで、先の東日本大震災の「絆」のような、感情論で終始したら、警戒したほうが良い(何にか?は敢えて書かない)。

ひろゆきが論破された能登「集団移住論争」、石川県の人口ゼロ集落を全て回った研究者の本音は?
2/12(月) 5:06配信 ダイヤモンド・オンライン

 能登半島地震をきっかけに「集団移住」に関する論争が起きている。元新潟県知事と2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が対談したところ、「論破王が論破された」とネットがざわつく事態に。しかし、集団移住は待ったなしの課題であり、場外乱闘を繰り広げている場合ではない。「無住集落」の専門家と、石川県珠洲市の高齢被災者に話を聞いた。(ジャーナリスト 高橋 徹)

● 集団移住は待ったなしの課題 「論破した・された」ではない
 能登半島地震を契機に、「集団移住論争」が湧き起こっている。発端は1月8日、立憲民主党の米山隆一衆院議員がX(旧ツイッター)に「維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います」などと投稿したことだった。
 新潟県では、2004年に発生した中越地震をきっかけに集団移住をした集落がある。新潟県知事の経験を踏まえた米山議員の投稿だが、それに反論したのが、2ちゃんねる創設者で、論破王とも呼ばれるひろゆき(西村博之)氏だ。
 「人が死んで埋まっているときにやるべきじゃないよねっていう普通の話を僕はしてるんですよ」
 1月13日、ABEMA Primeという番組で米山議員と対談した際の発言である。「結局、平時だと注目浴びないから、じゃあ炎上した方が、わりと注目浴びるよねっていう、なんか“炎上芸人”的な動きの結果がいま(この議論をすること)なのか」と続けた。
 “炎上芸人”という挑発的な発言に米山議員は、「そういう悪意はやめようよ、本当に。意味ないから」と返した。それでも重箱の隅をつつくような発言で食い下がるひろゆきさんを「ほとんど本質的じゃない」と、切って捨てた。
 米山議員に対するひろゆき氏の発言には、視聴者から批判的な声が相次いだ。
 「ひろゆきはマウント取りに躍起になるんじゃなくて、本筋のところで議論を深めて欲しい。こんな大事なトピックだからこそ、小競り合いに終始するのではなく誠実な態度で対峙(たいじ)しなくてはいけないんじゃないかなぁ」
「ひろゆきさんの言ってることは感情論と屁理屈だけ。言葉尻をとらえて人を貶めることしか考えてないように感じてしまう。米山さんの言ってることが圧倒的に正しいと思うのだが」
「ひろゆきってこんなんだっけ?行政が出来ることって視点では米山の言ってることは十分理解出来るものなのに、ディベートで勝つことしか考えてないから議論を深めることの邪魔にしかなってない」
 「論破王が論破された」とインターネットがざわついた。しかし、集団移住は待ったなしの課題である。「論破した・された」ではなく、被災地の明日をどうするのか、考えなければならないはずだ。
 「無住集落」という言葉がある。統一的な定義はないが、おおまかにいえば人口がゼロになった集落である。似たような用語に「消滅集落」とか「無居住集落」といったものもある。

● 能登半島地震で「無住集落」の 増加が加速する可能性
 「豪雪地帯を抱える北陸は、以前から無住集落の多い地域。今回の能登半島地震で無住集落の増加が加速するのは間違いないでしょう」
 そう指摘するのは、金沢大学人間社会研究域地域創造学系の林直樹准教授だ。無住集落の研究を続けている。
 林准教授は国勢調査の人口がゼロになった集落を「無住集落」と独自に定義し、調査・研究を進めている。国勢調査の人口は「常住人口」、つまり常にそこに住んでいる人の数である。石川県の無住集落(ダム水没などを除く)は、15年は33カ所だったのが20年には44カ所と急増している。
 過疎地域から都市部への移動は止まらない。積雪への対応や子どもも含めた家族全員の暮らしを考えると、ショッピングセンターや病院が近く、交通アクセスのいい場所のほうが住みやすいと考えるのは当然といえる。一方、農地や山林の担い手不足も深刻で、無住化を促す要因になっている。
 石川県内の全ての無住集落を回り、調査した林准教授は言う。
 「石川県を対象とした調査では、『大字(おおあざ)』を一つの集落と見なしています。『大字』というのは、江戸時代の村の単位を指すことが多く、市販の地図でも境界線が確認できます。地方によっては、『大字』がものすごく大きいところもある。石川県の『大字』は、たまたま、認識する集落と近かった。石川県は江戸時代のまとまりが残っているので、研究しやすいエリアです。無住集落の全国的なデータはありませんが、増加傾向は全国一緒だと思います」
 一口に無住集落といっても、いろいろな形態がある。朽ち果てた住居が転々と残っていて、生い茂る草木に飲み込まれそうな集落。人の営みの痕跡が消え原野に返ろうとする集落。その一方で牧草地として生き残っている場所もある。また、春から秋にかけて、住民が通いでやって来て田畑を耕している所もある。無住にも個性があるのだ。
 集団移住は、いわば「事業として無住集落をつくる」こと。林准教授はこう指摘する。
 「まず、強制移住は論外。まったくもって駄目な話です。一方、皆で話し合った結果、市街地などに移住した方がいいよね、というのならあり得ると思う。しっかり議論してから決断するといったプロセスが大事」
 また、故郷を守るか・捨てるかといった、二者択一の議論は不毛だという。
 「無住化を選択するとしても、『こんな無住の形もある、あんな無住の形もある、住まずに守るという形だってある。だから、どうですか?』という感じにしないと。『無住とは故郷を見捨てて…』みたいな議論で進むのはよくない。当事者にとって二択しかないというのはつらい。複数の選択肢を示した上で、建設的に議論をすべきではないでしょうか」

● 石川県珠洲市の高齢化率は50%超 「議論を避けて通ることはできない」
 日本海に突き出た能登半島。その最北端に位置するのが石川県珠洲市である。海岸線に半農半漁の集落が点々と続く。1954年(市制施行時)の珠洲市は人口3万8000人を数えたが、2023年は1万2000人を割った。高齢化率は50%を超えている。
 元日の昼下がり、マグニチュード7.6、最大震度7を観測する地震が過疎高齢の半島を襲った。崖は崩落、海辺の風景は一変した。道路は亀裂が入り寸断し、多くの集落が孤立状態となった。住民およそ100人の珠洲市高屋町もその一つだ。
 発災から10日余りを車で寝泊まりした男性(80代)は現在、高屋町からおよそ160キロメートル離れた加賀市内のホテルで避難生活を送っている。
 「子どもの頃、高屋には100戸ほどありました。今は45戸か50戸くらい。能登は限界集落だらけですよ。それで、地震でみんな避難所行ったり、子どものところ行ったりで、バラバラになってしまった。もう高屋には住めないかもしれない」
 集団移住についてどう考えますか?と聞いてみると、「そんな話があるんけ?」と逆に質問された。集団移住を巡り、ネット上がざわついている話をすると、
 「へぇー、そうなんや。みんな帰りたいと思っとるとは思うけど…。海沿いの集落はもしかしたら消滅するかもなぁ。珠洲市の人口も、半分になってしまうかもしれん」
 そして「『ひろゆき』って誰?有名な人?」と聞かれた。「論破した、論破された」という論争は、避難生活を送っている人にとっては“遠い花火”のように映るだろう。
 林准教授に「今、集団移住の話をするのは不謹慎だと思いますか?」と尋ねてみた。
 「確かに、いまだ安否不明者もいるし、車内で生活している人もいる。不謹慎というよりも、まずもって話が届かないと思う。水は?電気は?仮設住宅は?と、それどころではないだろう」
 「でも、腰を据えて『さあどうしようか』という瞬間が近々来るはず。そのくらいで話し合うのがベターではないでしょうか。集団移住を選択するにしろ、しないにしろ、住民の合意が大切であり議論を避けて通ることはできません」
 政治は、過疎とどう向き合ってきたのだろうか。建設的な議論が高まる場をつくること、それこそが政治の役割であるはずだ。
高橋 徹