クラス分けがやり直し…?そんなの初めて…。 | 始まりはアドラー心理学

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ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

  クラス分けがやり直し…? 

そんなの初めて…。     



【“配慮が足りなかった” 

中学校で「クラス分け」やり直し…

保護者からの指摘で“異例”の対応』


なんてニュースを観て驚きました。

その作業が始業式に間に合わず臨時休校…。

生徒は「休みでラッキー!」と喜んだでしょうね。

でも、一部の子は意外に落胆してたかも?


イジメや不登校のリスクが高い組み合わせならば、

変更も仕方ないかと思います。

ただ、無関係の生徒にとっては悲喜こもごもで

余計なお世話だったかも知れません。

生徒の中では、誰が仲良しで仲が悪いとか、

他人が判断するのは非常に難しいと思います。

互いの思い違いや周囲への配慮もあるし、

自分の本心が解らない場合もあるでしょう。

結局、教師側がPTA側に配慮しただけで、

あとあと何か遺恨が生じるかも知れませんね。


個人的に、対人関係の課題は本人の範疇であり、

他者が介入するのはルール違反と考えます。

正直に言えば、そこまで至れり尽くせりとか、

過保護にも程があるんじゃないでしょうか?

社会では、ランダムの状況で最善を尽くす課題が

それぞれ個人に任されています。

クラス替えで仲の良い友人たちと悉く離れたり、

憧れていた異性と一度も同じクラスにならない、

などの不運は決して珍しくありません

いわば、そんな未知で不確かな状況だからこそ

本人の課題や努力や成長が意味を成して来ます。

そんな不確定さが人生の醍醐味でもあるんです。


これは、自然界の摂理に対する人間の介入であり、

人々から学ぶ愉しみと生きる勇気を奪う侵害行為、

とも解釈できないでしょうか?

逆に言えば、ここまでしなきゃならないほど、

今の社会は危うい状態なのかも知れません。

大袈裟ですが、何か世も末だと落胆してます。