集団と権威 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

先日、ウオロク(スーパー)で、
幼児が泣き叫んでいる光景を目の当たりにしましたこども女の子
皆さんも覚えがあるはずです。
小さい頃、お菓子やオモチャ買ってもらうために、
「駄々を捏ねる」、「泣き喚く」などの手段を使いませんでしたか??
きっと、多くの人が無駄骨を喰らったはずです。
やはり、力技で通用するほど親は甘くありませんおばさんムカ 
無理を悟った子供は、
次第に言葉で説得する方法を試みるようになります。
それなりの成果はありますが、やはり親の牙城は強硬です。
僕自身、親を物を買わせようとして、
以下のような返り討ちに遭った事があります。

 

自分「○○欲しい、買ってよ赤ちゃん
親「どうして欲しいんだカカー?」。
僕「だって、みんな持ってるから…赤ちゃん」。
親「みんなが死んだら自分も死ぬんかカカー?」
僕「……赤ちゃん」。
ぐうの音も出ませんでした。
結局、力技に移行せざるを得なくなり、
ボロボロに叩きのめされて終了です。
今や、その当時の自分を愚かしく思っています。
本当に必要だから欲しかった訳ではなく、
ただ羨ましかっただけだったのです。
皆が持っているのを自分が持っていない事が
単に悔しかっただけです汗

親の「みんなが死んだら、自分も死ぬ」という理屈は、
少し極端ではあります。
しかし、同じような出来事が過去には多々ありました。
例えば、カミカゼ特攻隊ゼロ戦
思うだけで寒気がしますガクブル
全くクレイジーとしかいえません。
そんな、馬鹿げた諸行を皆が認め、皆で実行したのです爆発

「長い物に巻かれる」という言葉があります。
意味はいうまでもないでしょう。
もっと難しくいえば、付和雷同、
全体主義、ポピュリズムなどというのも同義語です。
人間が集団心理に流されやすいという事は、
皆さんも感じておられるでしょう。
特に日本人は、その傾向が強いようです悲しい
自分を殺して周囲に合わせようとする心理傾向を見ると、
カミカゼのような狂った作戦が許容された理由がよく解ります。

物事の真偽や本質を知るには、
人間一人の知性では限界があります。
それよりは、皆で考えて、皆で判断した方が遥かに有利ですOK
これは、民主主義にも通じますが、
物事は多数決で決めた方が公正かつ公平であり、
概ね間違いも少なくなります団体
しかし、常に集団が正しいという訳ではありません。
世の中では、集団が揃って間違い、
反対に少数派が正しかったりする事もよくありますエヘヘ
テレビのクイズを見れば解るはずですTV
大部分の人が間違った回答をして、正解者は極僅か、
…という場面がよく見られますね。
クイズは後で直ぐに答えが解るので何の支障もありませんが、
これが、人々にとって重要な社会問題だとすれば、
かなりマズい事になります。
間違った多数派意見で物事が決まってしまえば、
その被害は全体に及んでしまう訳ですガーン

基本的に、人間は考える事を面倒くさがります。
特に難しい問題であれば、尚更です。
そんな時、多くの人は自分で考えず他人を当てにします。
そして、最も多数派である意見に便乗し、
それで間違いないと安心するのです安心ほっ
結果、自分で考えない人々の意見が多数派となってしまいます団体
それが、もし間違っていたら、どうなるでしょうか??
これは、実に恐るべき事なのですWARNING

以上から、集団心理には、
思考放棄他者依存が含まれている事が解りました。
もう1つの要素は帰属心です。
これも、やはり他者依存が関わっています。
つまり、「仲間外れにされたくないしゅーん」、「見放されたくない泣」、
「バカにされたくないむっ」などの心理です。
特に日本人は、集団と食い違う事を極端に恐れる傾向があります。
「出る杭は打たれる」という言葉の通り、
変わり者や少数派は集団に叩かれますよね煙煙
まさにイジメの論理です。
それが、後で間違っていたと気付いても、
多くの人は意義を唱えません。
叩かれている者を擁護したら被害が自分にも及ぶからです。
マスコミ報道を見ても解る通り、
ミスや間違いを冒した個人を集団は容赦なく叩きます衝撃衝撃
これは、攻撃する側に回る事で、
自身を集団の脅威から守っているのです。
このような攻撃性は、社会の少数派に対しても向けられます。
ネットのコメント欄を見ると、多数派と正反対の意見に対して
ここぞとバッシングに乗り出す輩が必ずいます。
「バカふふん」、「頭がおかしい静怒」、「変なヤツふ」などと
周囲の目も憚らず激しく罵るのです。
自分が知らない事をいう人間や、
集団と異なる意見をバカにする傾向は、
固定観念に縛られた人間ほど強く見られます。
反対に、固定観念に縛られない人ほど、
自身が知らない事にも素直に耳を傾け、
自分と違う意見でも簡単には否定しません。
両者を比較した場合、後者の方が
より高い思考力と理解力を有している事は間違いないでしょうキラキラ
しかし、多数決を重んじる現代社会では、
前者の意見が優先されてしまうのです。
世間では、真実を訴える少数派が、
嘘に騙された多数派によって潰される光景がよく見られます重り煙
多くの人は、それに気が付かないようです。
何故なら、彼らが他人任せの多数派に属するからです団体

依存の対象は、権威ある個人にも向けられます。
考えない人々は、専門家、知識人、
博士などの知的権威のある人物に依存します。
彼らがいう事は、全て真実であり、正論だと、
何の疑う余地もなく信じ込むのです。
権威は、基本的に自分よりも優れていると思われる人物ならば、
誰に対しても抱きます。
親、教師、先輩、上司、テレビに出てる有名人など、対象は様々です。
また、そんな人たちも、同様に集団や権威に流されている事に、
変わりはありませんもやもや

我々が集団や権威に依存するのは何故でしょうか??
直接的な原因は教育とマスコミです学校アンテナ
つまり、親や教師を含む大人たち、学校が提示するカリキュラム、
そして新聞やテレビです新聞TV
人間は、何も知らない真っさらな状態で生まれてきますあかちゃん
物事を知るためには、

周囲の先輩たち(大人)に依存せねばなりません。
結果、子供は親や周囲の人々と同じ価値観を持つようになります。
これらは、先に生まれた権威ある者から、
後に生まれてきた者たちに伝承されたものです。
自身が考えて学んだものは僅かしかありません。
大部分は、習い、教わり、真似するなどして、

手軽に信じて鵜呑みにしたものばかりです。
ただ、いわれた通りに振る舞う全てが丸く収まるならば、
そんなに楽な事はありませんにっこり楽ちん
考える力がなくても、物事の本質が解らなくても、
正しく上手く行動し、間違いない日々を過ごせさえすれば、
誰も苦言をいう必要はないでしょう。
しかし、我々が教わった物事の中に嘘やデマカセが混じっていたら??
もし、本来ならば知らせるべき多くの情報が、
我々に提示されずに隠されたままだとしたら??
それは、十分に有り得る事です。
実際、政治家は嘘ばかりつきます国会議事堂(荒れ)うそ
陰で悪事を働いていた議員や役人が、
バレて糾弾されるような事件は、掃いて捨てるほどあります。
これらは、あくまで氷山の一角に過ぎません。
今海外では、首相や大統領クラスを初め、政府や国家機関の要人、
大企業のCEOや大手金融機関の役人などが

続々と更迭(辞職、辞任)、または逮捕されています手錠
日本でも日産のカルロス・ゴーン氏が逮捕されましたね。
また、現首相も様々な疑惑に晒されて糾弾されていますが、
これらが犯罪と認定されたら、間違いなく逮捕されるでしょうパトカー
個人的には、限りなく黒に近い、といった印象です。
世論を見ても、賛否はほぼ五分のように見えます。
今後の展開が実に楽しみですわくわく♪わくわく

この世界の秩序と、それに伴う社会システムが、
権威と集団によって維持されているというのは、

間違いなく事実でしょう。
秩序に反する物(者)は、同様に権威と集団によって排除されますイナズマ
正しいか、間違いかは関係ありません。
全ては、考える力のない大多数の人々が、
何も解らないまま決める事です団体
現実を見れば、世の中で成功するのは、
多数派を味方に付けた人間である事は確かでしょう。
つまり、この世界は、多数派を納得させる技法を操る者たちの
思い通りに動いている訳です。
それが、善人か、悪人かは問いません。
もし、悪人が多数派を有すれば、
少数派である善人は当然ながら排除されます衝撃
多数派には、これらを知る由もありません。
運良く知る事が出来た少数派は、
「常識外れむっ」、「嘘つきむっ」といわれ、多数派に潰されるだけです。

 

集団=正しい、偉い人のいう事=真実、という認識は、

今すぐに改めるべきだと思います。

この世界が嘘で溢れているという現実を前にすれば、

何事も簡単には信用出来ない事が理解出来るはずです。

不明な点、または自身にとって重要な案件については、

自分で調べて自分で考える事を強く推奨します。

より良く、より快適に、より安心して暮らすためにも…ペン