大海を見る蛙、井戸の狭さを知る~アイデンティティ、価値感などについて | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

当テーマでは「考える」事について考えています吹き出し考える

人間は習慣の動物です。
習慣とは、今まで何度も同じ反応や行動を繰り返す事で身に付いた
精神のクセに当たります。
身に付いたクセは実に強固で、我々の意思とは関係なく、
いつどんな時でも、自動的に何度も延々と再現され続けます。
この辺りは動物というより、機械に近いかも知れませんね歯車歯車
習慣とクセは、物事に対しての捉え方や考え方、

好き嫌いや趣味嗜好、表情や言葉使い方など、
あらゆる人間の心理的肉体的活動に及びます。
これらが一定のパターンとして独自性を伴って固定化されたものが、
いわゆる個性というものです。

 

以上、様々な要素で構成される個人ならではの心理・行動的傾向を
アドラー心理学では、ライフスタイルと呼んで説明しています。
他にアイデンティティという言葉もありますが、
ほぼ意味合いは同じです。
アイデンティティとは、「自分はこういう人間である」
…という自覚によって作られた

個人ならではの型や流儀に当たります。
それは、自分だけの、自分が生きるためだけに作った
意識の居場所ともいえるでしょう。
この空間は、100%自身の認知や観念によって作られています夢
それは、自身の脳が所持する情報と情報が結び付く事で生まれた
意識のネットワーク(思考回路)と呼ぶべきものです。
我々にとって、この空間(アイデンティティ)から脱け出す事は
極めて困難といわざるを得ません。
その状況は、井の中の蛙に近いものがありますカエル☆
残念ながら、多くの現代人が、この状態にあるのですあせる

アイデンティティが織り成す空間(ネットワーク)の容積には、
明らかに個人差があります。
より多くの知識を持ち、より様々な情報を受け容れる人ほど、
大きな型を有している訳です。
空間を拡げるためには、有りとあらゆる様々な情報を、
ジャンルや分野に問わず受け容れる必要があります。
それが、自身の流儀や価値観から外れるものであっても、
真摯に、寛容に取り入れねばなりません。
簡単にいえば、オープンマインドですね。
自由で柔軟な頭で、あらゆる世界の多様性を
区別なく受け容れる姿勢が求められるのです開場OPEN

認知心理学で確証バイアスという言葉があります。
バイアスとは、脳が無意識に導き出す判断ミスや勘違いを差し、
誰もが持っている心理的イレギュラーといえるものです。
僕の愛読書であるデイヴィッド・マクレイニーの著作
「ユーアーノットスマート~思考トラップ」に
確証バイアスを簡単に説明する文章がありますmagazine
「人の意見は、何年間も自分の見方を裏付ける情報に注目し、
あらかじめ持っていた考えに反する情報を無視してきた結果である」。
これぞ、まさに蛙が井の中から出られない証明となります。

人間は知っている話が大好きで
知らない話を聞くとストレスを感じます。
知っている情報であれば、脳に同じようなソースが既にあるので、
考えずに簡単に受け容れる事が出来ますが、
反対に未知の情報だと頭を使わねばならず、疲れてしまうからです。
そのため、知らない分野や自身とは違う価値観に関する情報は
あからさまに避けるようになります本      逃げる
また、これらを他人から提示された場合は、
安易に「無価値」、「不必要」と決め付け、
無為に聞き流すか、むべもなく否定しますヤレヤレ・・・no
これは、まさに学習の放棄であり、
同時にコミュニケーションの放棄に他なりません。
自分の考えに凝り固まって、他人の話に聞く耳を持たなくなると
そこで人間の成長が止まってしまいます進入禁止
同時に、自身と同じ考えの人間としか信頼関係を築けなくなるので、
人生の対人関係も希薄なものになるでしょう。
それは、自身にとっても周囲にとっても、実に残念な事です悲しい

それでも、自身の考えに固執する人間は後を絶ちません。
人間にとって、知ってる情報、慣れ親しんだ知識を得る事は
大きな快楽となりますきゃぁ~
何故なら、それによって、自身のスタイル(価値観、流儀)に対する
正当性や優位性が深まるからです。
皆、「自分が正しい」、「これでいいのだ」と思いたい訳ですイェイ!
結果、脳内には同じような情報のネットワークが形成され、
それが個人の価値観や基準として固定されます。
こうなると簡単には覆せません。
それが、個人にとって強く拘りがある物だったり、
長い期間と数々の努力が伴った物であれば、
意地でも固執しようとするでしょう。
個人が築き上げたアイデンティティは、
まさに自身の分身に他なりませんエヘン!エヘン!
これを改めたり、変えたりするのは、
自らの存在を否定する事と同じなのです。
自身のスタイルに固執する傾向は、高学歴な人、

もしくは特定分野の専門家などに多く見られます。
お年寄りや職人が頑固なのも、同様です。

狭いアイデンティティに填まる生き方では、
それほど幸せな人生を送れないと思います。
一定の知識や価値観に偏ってしまうと、
なかなか物事の真偽や本質が見抜けません。
これでは、まさに籠の鳥(井の中の蛙)と一緒です鳥籠
せっかく広い世界に生まれてきたのですから、
いつまでも自身のアイデンティティに閉じ隠ったままでは、
あまりに勿体ないといわざるを得ません。

もし、長く培ってきた自身の観念や価値観が、
実は大間違いだったとしたら…はてなマーク
その可能性は大いに有り得ます。
反対に、この世界のどこかに、もっと素晴らしい価値観や、
自分を幸せにしてくれる真実が、たくさん潜んでいるかも知れません。
まずは、受け容れる勇気と変わる覚悟が必要となりますがんばる
準備が出来たら出掛けましょう歩く
狭い井戸を脱け出せば、そこには広大な海があります海
さあ、新たな人生の始まりですカチンコy’s