欲望のバランス4.【依存症からの脱出】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回は、酒や煙草など、依存性の強い欲求を抑える事に触れました。
実際、僕は日本酒が大好きで週5日は呑んでいます日本酒
何というか、呑むと幸せな気持ちになるんです。
甘さと旨味、鼻から抜ける香りとアルコールの刺激が堪りません。
それでも、一日の量は200㍉Lに抑え、
週2日の休肝日を設けているので、
全く問題はないはずです(多分)。

僕には、酒が呑みたい欲望に相反する他の強い目的があります。
それは、健康維持です。
健康が崩れると、日々の活動に支障が出て、
精神的にもネガティブになり、
生きる歓びが損なわれてしまいます。
僕は「日々を幸せに過ごしたいビックリマーク」という欲求が強いので、
それを崩すような行動を慎む事は、それほど難しくありません。

以前、ビリヤードにハマった事がありましたビリヤード
それは、もう依存症といっていいレベルですあせる
酷い頃は、仕事後に毎日2時間、休日は5時間ほどやっていて、
夢にまで出てくる始末でしたショック

ハマった理由は、球が入った時の強い快楽にあります音譜
その快楽は、上手くなればなるほど強くなっていきますアップ
ある程度の実力が付くと、もはや後戻りは出来ません。
僕の周囲にいたプレイヤーたちも、みな同じです。
何万円もする自前のキューを用意し、大会に出場し、
より上を目指し、ビリヤード場に入り浸る日々を過ごしていました。
このような人々は、俗に『ビリヤードジャンキー』と呼ばれています。
僕もその一人でした。

大会の上位に入るようなプレイヤーは、
もはや、ビリヤードがライフワークと化した人たちです。
人生の中心がビリヤードで、
この外側に仕事と生活があるような日々を送っています。
でも、本人が幸せならば構わないでしょう。
誰にも文句をいわれる筋合いなんてありませんね。
それでも、僕はビリヤードを辞めました。
何故なら、幸せではなくなったからです。

より上手くプレイし、快楽を味わうためには、
練習を重ねなければなりません。
その結果、体調を崩してしまい、仕事と生活のみならず、
プレイにも支障が出てしまうようになりました汗
球を外せば外すほど、快楽は遠退きます。
それが続くと楽しいどこれか、逆に苦しくなってしまうのですガーン

この頃の僕は、あたかも洗脳されたような状態でした。
上手くいった時の快楽と失敗した時の苦痛に挟まれた状態は、
まさに飴と鞭です。
最終的には、苦痛に耐えられなくなり、
僕はビリヤードに挫折しました。 
今や、自前のキューを握る事は一切ありません。
もはや、完全に足を洗った状態にあります。

この挫折は、僕にとって貴重なものとなりました。
欲望をコントロールする必要性を
身をもって思い知る事が出来たからです。 

ビリヤードに罪はありません。 
悪いのは僕の考え方にありました。
最大の要因は、成功に対しての過度な期待にあります。
上手くプレイする事に拘り過ぎ、
ミスや失敗を自ら許す事が出来なかったのです。 
第一、ビリヤードは、簡単な競技ではありません。
僕のような一般プレイヤーならば、ミスばかりするのも当然であり、
それを悔しがる必要は全くないのです。
勝手にガッカリしてストレスを重ね、
自ら自分を苦しめるなど、実に馬鹿げていますムカムカ

ビリヤードに苦しんだ僕は、依存の怖さを知りました。
一旦、激しく依存してしまうと、
上手くバランスを取り、支障なく楽しめるレベルに戻るのは、
ほぼ無理みたいです。
この場合、一切を断ち、足を洗うしか、
他に解決手段はないのかも知れません。

実は、つい最近、久しぶりにビリヤードをやってみました。
もはや、素人に毛が生えた程度の実力でしたが、
それでも意外に楽しめた事に、自分でも驚いています。
上手くプレイするより、単純に楽しむ事を重視したからだと思います。
成功や失敗など意識せず、
行為そのものを楽しむ事が大切なんですね。
これは、人生のあらゆる場面でもいえそうです。ひらめき電球

次回は、依存の予防について考えてみたいと思います。