前々回、「時と場合、ケースバイケースで臨機応変に物事を捉え、
与えられた状況で最善を尽くす事が、我々の課題」と語りました。
どうやら、我々は、この『臨機応変』というのが苦手みたいです。
自らに降りかかる様々な状況に対して、
いつも同じ方法で対応しようとして、
失敗ばかりしています
当然、我々には、
外からくる条件や与えられた状況を変える事は出来ません。
変えられるのは、自らの
認知(物事の捉え方)と行動のみです。
仏教には諸行無常という考え方があります。
「全ての物事は、絶えず変化しており、
同じ状態は続かない」という意味です。
あらゆる世の中の状況も、人々の気分も認知も行動も、
全てが変わり続けています。
よって、この変化に対して、
自分自身も臨機応変に変わり続けなければならない訳です。
しかし、人間は変化を嫌います。
同じ状態、同じ認知、同じ価値観にしがみつき、
同じ行動を繰り返そうとします。
結果、どうなるか
それは、誰もが知っているでしょう。
待っているのは苦しみです
仏教には、諸法無我という言葉もあります。
それは、「この世界に在るものは、全て繋がっている」という意味です。
あらゆるの物事、全ての人間たちは、互いに影響を与え合いながら、
全体でバランスを取りながら一体化しています。
そう、バランスです
物事には、全て適度なバランスがあると述べましたが、
この個々のバランスと全体のバランスが
互いに影響を与え合っているのです。
全体のバランスを取るために、
個人は自らのバランスを取る役割を担っています。
個人が取ったバランスは他人にも繋がり、
全体のバランスが個人にも繋がっている訳です。
果たして、個人が果たすべきバランスとは何でしょうか?
それは、自らに関わる事全てに当たります。
大きく分けると、健康、対人関係の2つでしょう。
健康は、さらに、肉体と意識に分かれます。
肉体には、食事、運動、休息などの項目があり、
意識にあるのは、感情、認知、欲望などです。
さらに、これらは細分化され、際限なく広がっていきます。
つまり、僕らには課題が山ほどあるのです。
これら、全てが、我々の役割であり、存在する意味であり、
生きる目的であり、生まれてきた理由ともいえます。
バランス良く生きるためには、意固地な拘りを捨てねばなりません。
メンツよりも利益を大切にすべきなのです。
その利益とは、金銭的欲得の事ではなく、
自らの頭脳と精神を成長に導くための糧を指します。
人間にとって、自らの成長は大きな歓びとなります
より成長すればするほど、幸福感も一層と強まる訳ですね
次回は、人体のバランスについて考えてみたいと思います。