バランスと調和3.【二項対立の愚】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

動物たちは、細かい事など気にせず、
おおらかに生きていますハムスターくま羊豚
大自然の法則に従って生きる彼らにとって、
『善悪』とか『損得』など、面倒くさい概念は必要はありません。
動物たちにとって、あらゆる物事は『有りのまま』であり、
あれこれと区別する必要はないのです。
一方、人間という生き物は、とかく物事を区別したがります。
「これは正解で、それは間違いえー」、
「あれは偽物で、これが本物ニヤリ」、などと細かく区別するのは、
大脳皮質が発達した人間ならではの習性といえるでしょう。

我々は、善と悪、正と誤、白と黒、上と下、優と劣など、
物事を両極端な2つに分類します。
このように正反対の2つを対立させ、
前者を肯定して、後者を否定する概念を『二項対立』といいます。
別な言葉で、『二原論』や『二極化』、
『二律背反』などというものがありますが、
全て同じような意味です(過去記事を参照ください)。

社会で定められた様々な二項対立には、
人間の大脳辺縁系に具わった2つの感覚が大きく関わっています。
それは、他ならぬ『』と『不快』です。
この二つも、ある意味、二項対立といえます。
もしかすると、我々が物事を両極端な二つに分けるのは、
至って自然の流れなのかも知れません。

我々は、快に感じるものが好きで、不快なものを嫌います。
言い替えれば、好きなものは『善』、『正』であり、
嫌いなものは『悪』や『誤』になります。
快と不快の感覚は、もちろん動物にもありますが、
彼らは物事を善悪や正誤に分ける事が出来ません。
我々は豊かな大脳皮質(知性)を持っているので、
物事に隠された様々な情報を見つけ出せ、
これを分析したり、整理したりして、
それらの特質や違いを知る事も出来ます。
本来ならば『快』、『不快』でしかない物事に意味を持たせ、
これを巧く利用する事が出来るのです。
ただ、この『意味付け』に、必ずしも根拠がある訳ではありません。
元は意味のないものに意味を持たせるのですから、
それが的外れだったり、
何の役にも立たなかったりする事がしばしばあります。

我々には、単なる憶測や思い込みで物事を勝手に判断し、
無意味に分類したり、レッテルを貼ったりする習性があるようです。
それによって他人を不当に傷付けたり、
自分自身を窮地に立たせたりする事も、しばしばあります。
これらは、大脳皮質という精密端末の、
いわば誤作動といえるかも知れませんあせる

僕らは、とかくレッテル貼りが好きです。
あなたも「あの人は良い人照れ」、
「あいつは悪いやつプンプン」などと勝手に分類してませんかはてなマーク
当然、その分類に明確な根拠はありません。
何故なら、他人に対する見方や捉え方は人それぞれです。
自分が『悪い人』だと思っている人にも良い部分は必ずある訳で、
他人から見れば逆に『良い人』かも知れませんよね。
そもそも、誰もが良い要素と悪い要素を併せ持っており、
それを明確に分析し、
公平に判断する能力を我々は持ち合わせていません。
単に個人が持つ良い要素と悪い要素を数値化して、
「この人は善人度70%、あの人は悪人度90%」
などと定義するのは可能ですが、
それが正確な判断である根拠は提示出来ないでしょう。
このような妄想紛いの数値が一般化すれば、
不当に『悪人』のレッテルを貼られる人が続出していまいますあせる

実際に我々は、特定要素だけで個人を数値化して、
人々を分類するような馬鹿らしい価値観をいくつも作っています。
年齢や試験の点数、売上実績など、全て明確な根拠などありません。
このような、一つの要素だけを比較して人間に序列を付ける風習に
多く人々が違和感を抱いていないようです。

話が少し擦れましたが、
『善悪』や『優劣』は、『認知』や『基準』によって変わってきます。
我々の社会では、学歴を基準にして『優劣』を決めていますが、
『身体能力』を基準にすれば、
社会の上層部はアスリートだらけになりますね。

スポーツだって同じです。
ルールが変われば勝敗や順位は全く違うものになります。
長野冬季五輪で活躍した日本のスキージャンプ陣は、
その後のルール変更によって全く勝てなくなりましたむかっむかっ
W杯で断トツの実績を上げていた女子モーグルの上村愛子選手が、
五輪で結果を残せなかったのもルール変更によります。
このように、基準が変わるだけで、
物事の評価は全く違うものになります。
ならば、物事に優劣を付ける意味って、何でしょうか?
結局、勝手な基準を定めて、
都合良く人間を上下に振り分けてるだけです。

以上のように理不尽で不平等な基準を生み出す元凶が、
つまり『二項対立』なのです。
このように『いい加減』な社会に対して、
我々は違和感を抱くべきだと思います。
そう、大切なのは加減です。
次回は、『加減』についてお話します。