<精神の解放2>【二項対立という妄想】 | 始まりはアドラー心理学

始まりはアドラー心理学

より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

前回は、現代人の多くが、

パラノイア状態になっている現状について述べました。
(パラノイア:自分自身を特定の型に填めて、身動き出来ない状態、
何でも型に填めて物事を捉え、それを他人にも強要する)

アドラー心理学では、自分の感情や目的、
そして行動を決めているのは自分自身しかいないとされていますが、
それだけで全てが解決出来る訳ではないと思います。

 

そもそも、人間は、自分が持ってる経験

(知識、情報)の範囲でしか物事を認知出来ず、
これを頼りに行動するしかありません。
その限られた条件の中で日々を過ごせば、
認知と行動が習慣化され、同じ事の繰り返しになります。
これを打破するためには、新しい知識や経験が必要です。
しかし、パラノイアになると新しいモノが受け容れられなくなります。
自分のアイデンティティ(特定の型)と異なるものに
拒否反応を起こしてしまうのです。
これが、現代人の置かれた現状となります汗

現代人がパラノイアになってしまったのは、
現代の社会を動かしてる特定の基準を
無条件に受け容れているからです。
これこそが『二項対立(二律背反)』。
物事を正反対の二つに分けて、対立させる価値観の事です。
例えば、『西洋と東洋』、『自国と外国』、『味方と敵』、
『民主主義と封建主義』、『資本主義と共産主義』、
はたまた、『善(正義)と悪』、『優と劣』、『常識と非常識』、
『上と下』、『真実と嘘』、『美と醜』、『勝者と敗者』
など、様々あります。
この二つに分けた前者を肯定し、
後者を否定するのが、現在の社会です。
この中で特に大きな基準となってるのは、『勝者と敗者』『優と劣』で、
これによって僕らは『上と下』に分けられます。
この、『上と下』での比較によって、
人々の暮らしや対人関係が『明と暗』に分かれているのです。

物事を二つに分ける事そのものに問題がある訳ではありません。
人が目的を持ち、何かを成そうとするためには、
解りやすい基準があった方が便利です。
また、一つの基準を共有する事で、社会運営は円滑になり、
集団の安全も維持出来ます。

以上のように、二項対立にも良い部分はあるのですが、
これを差し引いてもカバー出来ない害悪があります。
それは、差別と格差です。

現代の経済社会は、競争によって優劣を決め、
人々を勝者と敗者に二分します。
でも、これ自体に問題はありません。
互いに切磋琢磨する事で、全体の発展が促されるからです。

問題は格差にあります。
人間を一つの基準で比べたら、大きな差が出て当然です。
自由競争には、ボクシングボクシングのような階級分けも、
ゴルフゴルフのようなハンデもありません。
無差別級で全ての人間が争えば、もはや勝負にならないでしょう。
結局、『強い者が弱い者から一方的に奪い取る』という構図となり、
これでは、自然界の食物連鎖と何ら変わりませんガーン

以上のように二項対立は、
僕らの暮らしと対人関係に大きな強制力をを加えています。
この辺りについては、アドラー心理学カテゴリー、

【全ての人間は平等で対等】』でも触れましたが、
今一度、復習してみましょう。

上下や優劣で人間が二分されると、
人は自分と他人を比べるようになります。
自分が上だと思うと優越感に浸り、
下だと思うと劣等感を抱きます。
それは、世間の評価基準に依存しているからです。
有りのままの自分を認められず、
他人との比較や世間的な評価がないと
自分の価値を確認出来ないのです。

世の中で、優遇され、称賛され、経済的に豊かに成れるのは、
優秀な者や上の立場にいる者です。
特に、上の者には権力があり、下の者を従え、
思い通りに操る事が出来ます。
それは、人間にとって大きな快楽です。
逆に、下の立場にいる者にとって、
上からの支配と抑圧は、苦痛と屈辱でしかありませんねもやもや

支配する快楽と、支配される苦痛の板挟みになった人間たちは、
上下という二項対立の基準に依存するようになります。
結果、人は優秀に成ろうと、上に行こうと、
努力せざるを得なくなるのですあせる

では、どんな人が優秀で、上に行けるのでしょうか?
ズバリ、高学歴の人、仕事が出来る人です。
いずれも、学歴という価値と生産性という価値に当たり、
最終的には経済的価値に行き着きます。
そう、お金です札束

経済的に豊かになればなるほど、充たせる欲望は増えていきます。
お金さえあれば、欲しいものは何でも買え、

どこでも行きたいところに行けますよね。
しかも、地位と財力の力で他人を思い通りに支配出来れば、
あたかも、王者のような気分になれるでしょうまじかるクラウン

逆に『劣ってる』と見なされたり、下の立場になったりすると、
世の中から冷遇され、上の人間に支配されてしまいます。
そうなれば、経済的にも、精神的にも充たされず、
不遇な日々を過ごす破目になってしまうでしょう。

以上のように、僕らの境遇は、
二項対立による『飴と鞭』によって『明暗』に分けられています。
上に行けば、地位と財力と優越感を得られ、
下に敷かれれば、従属と貧困と屈辱に甘んじるしかありません。
だから、必死に空気を読み、常識に従い、
パラノイアとなって自らを抑圧し続けます。
そして、これを他人にも強要して、
従わない者に落伍者のレッテルを貼って抑圧するのですドンッ

ここまで読んだ方ならば、
現行の社会システムと価値観に違和感を抱くでしょう。
何故、競争せねばならないのかはてなマーク
戦わねばならないのかはてなマーク
同じ人間なのに、何で平等に扱われないのか!?
そう思えれば、人間にとって、
本当に大切なものが見えてくるはずです。

二項対立の価値観を持つ人間は、
対人関係で大いに苦しむ事になります。
優越感と劣等感に挟まれ、他人から支配され、また他人を支配し、
何とも不自由な人生を送る破目になるでしょう。
ここから脱出するために必要なのが

『全ての人間は平等で対等』という視点です。
詳しくは、アドラー心理学カテゴリーを参照ください。

次回は、僕らがパラノイアとなった2つ目の要因について語ります。
多くの現代人にとって、耳の痛い内容になるかも知れません。