今年こそ戦後レジームの意味を再認識しよう 山岡 鉄秀 H29/2月 | 日本世論の会 本部

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私は海外の大学で学生に日本語を教えたことがあるが、日本語が多様で豊かな言語であることは間違いない。直截な表現を好まず、情緒的である。しかしそれ故に、言葉を曖昧なままにしてしまう傾向があり、苛烈な国際社会に対応できないことも多い。そんな「曖昧さ」に私が苛立ちを覚える言葉のひとつに、「戦後レジーム」がある。「戦後レジーム」とは何か?それははっきり言って「敗戦レジーム」のことだ。

 

戦後七十年、日本人は敗戦の痛手から奇跡的に復興し、繁栄を極めたと思っていても、実のところ「敗戦レジーム」に甘んじて大人しく生きて来たのだ。日本から一歩も出なければ気付かないかもしれない。しかし、海外から戻ってみるとそれを痛感する。日本人は、およそ国内でしか通用しない議論の中で埋没している。それは、敗戦レジームの枠外では思考できない頭になっているからだ。

一見理想主義を掲げた日本国憲法は敗戦レジームのフレームワークだ。占領軍に押し付けられた憲法だからけしからんと怒る人は多いが、もともと英文で書かれており、その英文に込められたマッカーサーの日本人に対する傲慢と侮蔑を感じ取れる人が何人いるだろうか。日本を徹底的に弱体化し、武装解除したままに固定するのが占領当初の目的だったことがひしひしと伝わってくる。そのマッカーサー自身、朝鮮戦争が避けられなくなると、方針転換を余儀なくされる。日本の再武装を促し、共産主義への防波堤とする必要に迫られたからだ。ところが、命ぜられるままに警察予備隊を発足させながらも、精神的な方向転換を拒んだのは日本人自身だ。

一九五二年、サンフランシスコ講和条約の発効と共に日本は独立を回復する。条約には、日本が集団的自衛権を含む自衛権を回復することが明記されている。独立することはすなわち自衛権を回復することであり、自衛権は自動的に個別も集団も含む。同じ年に締結された日米安保条約には、集団的自衛権の行使として日米安保条約を結ぶことが明記されている。日本はとっくの昔に集団的自衛権を行使しているのだ。

この時点で、日本国憲法、少なくとも、憲法九条の役割は終わった。それにも拘わらず、日本人は武装解除条項である九条を「平和をもたらす呪文」と思い込み、自ら矛盾を解消する機会を放棄した。自衛隊が自衛権行使のための戦力なのは明らかなのに、九条を改正しないがゆえに、自ら自衛隊を「警察以上軍隊以下」という意味不明な枠に押し込め、国防を不完全なものにしている。六十年以上前から集団的自衛権を行使しているくせに、今になって憲法違反だと言って騒いで恥じない。この祖国防衛の意思さえ持てない脆弱な民族の姿こそ、マッカーサーが当初目指した弱小日本の在り方だ。日本人は自ら進んでそれを体現して見せた。外国人には到底理解できない精神構造である。

今、既知の世界構造が音を立てて崩れ去り、自主的に判断して行動しなくては生き残れない時代が訪れた。もう一度言おう。戦後レジームとは他ならぬ敗戦レジームだ。敗戦レジームから脱却できなけ ればさらなる敗戦を迎えるのは当たり前だ。今年こそ、日本語の曖昧さを排してそのことを理解しなければ、日本は歴史からの退場を命ぜられるだろう。それについて皆さまと語り合える機会があれば、望外の幸せである。 以上