平成29年8月11日
内閣総理 大臣 安倍 晋三 殿
衆議院 議長 大島 理森 殿
参議院 議長 伊達 忠一 殿
最高裁判所長官 寺田 逸郎 殿
日本世論の会神奈川支部 監事 湯澤 甲雄
横浜市南区大岡3-41-10電話045-713-7222
元銀行員 86歳
憲法学界の憲法解釈の通説は憲法違反(意見)
我が国の憲法は前文1項において、「自由民主主義を原理とする政治を国是とし、この原理に反する一切の法律を排除する」と立憲しています。そしてその中核的概念として第11条に「国民の基本的人権を永久に保障する」と定めました。
その中核的概念の具体的中身が定まったのが、なんと昭和54年締結した国際人権条約(社会権規約・自由権規約)であります。その原文を意訳すると日本国民の基本的人権とは、「国によって認定された<家族並びに共同体を構成する全て
の人々が歴史的に形成した習俗並びに、多神教としての神道や日本仏教(古代仏教、キリスト教、儒教、神道の習合)等の習俗宗教、神道を祭祀する天皇と国民が一体を成す習俗、先祖崇拝の習俗、伝統、道徳、文化、法律、領土、領海を含む固有の尊厳>及び慈しみの心」であります。他国には、上記日本国民の基本的人権と全く同じような国民の基本的人権があります。国際連合とは内政を重視するナショナリズム国家群の集合体であって、他国の基本的人権を侵さない約
束の下に成立しています。日本の基本的人権を右翼とする批判は的外れです。
本稿は既報とやや重複しますが、国会の決議を経ていない日本学術会議法学会或いは憲法学界の憲法解釈の通説が、主に教育行政にどのように反映されているかについて、拡大鏡で眺めたものです。
三権の長には、憲法解釈の通説が自由民主主義政治制度を全体主義政治制度に転覆させる革命思想であることをお確かめいただき、挙ってこれを退治していただきたいと願う次第です。
憲法学界の問題となる通説とは、先ず上記基本的人権の具体的内容を抹殺し、「思想・良心の自由」「信教の自由」「表現の自由」等の「個人の自由と権利」という憲法上保障された個人の義務条文をして、基本的人権であると権利条文化
して憲法解釈することです。これによって「個人の権利尊重」の概念を捏造しました。こんな通説は日本独自のものであり、他国には絶対にありません。
文部科学省は、憲法第26条「教育は法律の定めるところにより行われる」規定に反してこの虚偽の通説を採用し、教育基本法第1条「自由民主主義国家の国民の育成という教育目的」を抹殺して、同法第3条「国民一人一人が主体的に学ぶ生涯学習の理念」に入れ換えて、新設された教育基本法第17条「教育振興基本計画」(平成25年6月14日閣議決定)に基づく教育行政が全国的に行われるようになりました。同時に「義務教育諸学校教科用図書検定基準第1章総則」
からも「教育基本法に定める教育の目的、方針など並びに学校教育法に定めるその学校の目的及び教育の目標に基づき」という字句が抹消されました。これにより、文部行政は自由民主主義を原理とする法治の世界から、全体主義を原理とす
る法律に拠らない異次元の世界の教育行政に変質しました。地方教育行政の運
営の責任は、地教行法により地方の教育長が負うとされました。国防、教育、租税は、国が責任を負うのが普通の国の行政ですが、国が責任を負うのは予算のみで、文部科学省によって国家解体が仕掛けられていることが心配になります。
次に捏造された「個人の権利尊重」の影響について考えてみたいと思います。先ず「個人の権利」とは、「個人が力を使って、他人を排除して、自分の支配する領域を広げて、そこから利益を得る」ことです。「このような行為を行う個人の権利を国は、尊重する」ことを意味します。そこには人間的な思いやり等が介在する余地が無く、無機質の世界です。同じ思いの人が大勢いる社会を考えると、志の無い小人共が集まり、ギスギスした対立と小さな闘いばかりがあって、弱者がいじめられる世界が広がります。これを学校等の職域でこの現象を見ると、誰しもが自分の権利は尊重され且他人の権利も尊重されると思い込んでいるので、いじめを知っても個人の権利を尊重してお互いにやり過ごし、いじめられた人は孤独に耐えねばならず、無作為が支配する職域になります。これが個人情報保護法によって守られるということであれば、いじめの発生原因探しは至難をき
わめます。いじめが発生する環境が行政的に作られていて、責任を取らされる立場にある教師に神経を病む人が多い理由です。また個人の権利は、人間の頭数だけ無数の異なる権利があるのだから、政府が「個人の権利尊重」することは絶対に不可能にして、これが可能とする主張は正
に虚偽です。あるいは民主主義政治を悪用するポピュリズムです。
以上