平成29年6月28日
一般社団法人 日本新聞協会 御中(F03-3591-6149)
(写し 首相官邸放送倫理番組向上機構放送人権委員会)
横浜の教育を考える会 代表 湯澤 甲雄
横浜市南区大岡3-41-10電話045-713-7222
日本新聞協会の創立目的、新聞倫理綱領の時代錯誤の修正(意見)
日本新聞協会は、全国の新聞社・通信社・放送局が倫理の向上を目指す自主的な組織として、連合国軍占領時代の1946年7月23日に憲法の下に在る社団法人として創立されました。
創立の目的を、「言論・表現の自由を擁護するため、取材・報道を規制する法規制に反対しています。自由で責任ある新聞を維持発展させるため、新聞倫理綱領を自ら定め、自らを律しています」としています。
新聞倫理綱領には、「国民の知る権利は、民主主義社会を支える普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメデイアが存在して初めて保障される。新聞はそれに最もふさわしい担い手であり続けたい」とあります。
そこで法律の下に創立され、国民の一員として義務のある貴会に対し、以下の3点から、愚見を述べさせていただきます。
第1点 貴会は創立目的を「(取材・報道を規制する)法規制に反対」する法人であるとしています。しかし法規制に反対することを創立目的・事業とする団体が、法人となることはあり得ません。こんな奇妙な法人は世界中にも在り得ません。戦後一時期「昔陸軍、今総評(官公労同組合)」と言われましたが「昔陸軍、今メディア」となって、戦前の陸軍の横暴に似た行為や取材・報道についてアウトローをやらかすことを目的として創立された団体であることを貴会はこの際改めて認識すべきです。
マッカーサー司令部の容共勢力と日本の共産勢力とが結託して遂行した公職追放令によって、「反動だ!」と名指しされて法務局を辞さなければならなくなる事務当局者が、不本意ながら本件の法人登録を認めたものに相違ありません。因みに昔も今も民法に規定された法人の能力は、「法人は、法令の規定に従い、――権利を有し、義務を負う」のでありまして、法規制に反対する貴会の法人格は創立以来ずーっと民法上無効状態にあります。
貴会は、法令に従った創立の目的に変更して法人格を取り直すべきです。
第2点 貴会は創立目的を「言論・表現の自由を擁護するため、自らを律しています」としています。貴会は貴会自身が「言論・表現の自由を擁護する当事者」あると勘違いして創立目的を定めた誤りを侵しています。「言論・表現の自由等」は、国民が基本的自由を享受できるようにするために、憲法に拠って私人たる個人のために作られた条件の一つでありまして、自由民主主義の原理とする政治を行う政府が、これを国民の奉仕者として保障しているものです。
このために、中立公正な司法制度があり、裁判所制度が設けられています。つまり言論・表現の自由の擁護者は、貴会ではなく憲法や政府であって、貴会は言論・表現の自由の享受者です。貴会は憲法解釈に誤りを侵しています。
貴会は憲法が保障した受益者であり被保障権者であり、不断の努力で言論・表現の自由を保持する義務を負い、濫用を慎む義務を負い、公共の福祉のためにこれを利用する責任・義務を負う者の立場にあります。
従って貴会は創立目的を「言論・表現の自由を不断の努力で保持する義務を果たすために自らを律しつつ、言論・表現をもって自由民主主義を原理とする日本国家の発展に貢献します」と修正されるべきと思料します。
但し、我が国が自由の無い全体主義や共産主義国家であった場合は、現在の創立目的は正しいものとなります。
第3点 新聞倫理綱領の中で「国民の知る権利は、あらゆる権力から独立したメデイアが存在して初めて保障される。新聞はそれに最もふさわしい担い手であり続けたい」とあります。
「国民の知る権利」とは、「民主主義社会における国民主権の基盤として,国民が国政の動きを自由かつ十分に知るための権利」とされています。我が国の場合では、憲法前文1項の規定により自由民主主義を原理とする国家を構成する国民の知る権利のことであります。更に、昭和54年締結された国際人権条約に照らすと「国民」とは、<「固有の尊厳」乃至は「尊い習俗」>並びに<「同等で固い絆で結ばれた心」乃至は「慈しみの心」>という「基本的人権」(Fundamental Human Rights)を歴史的に形成し帯する家族や共同体を構成し、且つ、国籍を有する全ての人々(複数Individuals))であって、国から尊重される人々を国民と称します。このような国民の知る権利に応えるのが貴会の倫理綱領となるべきです。法律に従ったメディアは必要だが、「独立し
たメディア」は不要です。
一方、「基本的自由(Fundamental Freedom)を享受するため条件として創造された「自由と権利」乃至は「人権」(Human Right)を帯する個人が尊重される「個人の権利尊重」の規定は、憲法にも国際人権条約(国際法)にもありません。
以上