Otopol事件 <昭和13年、ユダヤ人2万人救った関東軍参謀長 東條英機中将>
曾 野 豪 夫
在Caif.の目良浩一氏が、慰安婦像問題に関連してアメリカ人判事から「Tojoは嫌いだ」と言われたとの産経記事(8月29日)を拝見。
昭和 13 年(1938)、関東軍参謀長東條英機中将は、ヨーロッパから のユダヤ人難民2 万人を救った恩人であることを、日本国政府外務 省、防衛省、文科省などは在米日本大使を通じて全米連邦議員、地方議 員、教科書会社、歴史家、マスコミ、一般市民、ユダヤ人社会に周知 徹底するべきだ。
有名な杉原ビザに先立つこと 2 年だった、ことも!
ネットでオトポール事件を検索すると、樋口季一郎-Wikipedia ほか 数本の資料が出てくる。
安江仙弘-Wikipedia も重要人物でる。 それによると、最終決裁者は関東軍参謀長 東條英機中将だった、と 言えると思う。
同13年 1 月 21 日付け関東軍司令部のユダヤ人に 対する公正な扱いを決めた施策要領に基づいていたのだろう。(同13年12月6日には五相会議で「猶太(ユダヤ)人対策要綱」により、ユダヤ人を他国人と同様公正に扱うことを決定した。)
以上は1940 年杉原 Visa の 2 年前の話である。私見では、杉原副領事は 2 年前 の東條中将のことを知っていたこともあって、外務省の訓令違反と知りながら 陸軍大臣の支援を期待してビザ発給に踏み切ったのではないだろうか。
彼が、Otopol 事件の顛末を知らなかったとすれば、情報機関者として失格!
7 月 18 日 カウナス日本領事館前にユダヤ人 200 余名集まる。
19 日ビザ発給適格者2名にビザ発給。
22 日 外務省回答「最終国の入国許可を持たない者にはビザを発給してはならない」。
同日(日本時間)東條中将陸軍大臣に就任。
24 日 不適格者 5 人分通過ビザ発給開始…
最終的に 8 月 23 日までに 2,139 人分、家族を含めて約 6,000 人分のビザを発給した。
「東條が嫌い」と言うアメリカの判事を含むアメリカ人に、この Otopol 事件を大至急伝える必要がある。杉原千畝に関する書籍にもネットにも、東條中将 の就任日のことには何故か触れていない。
以下、内外の有志に提案します:
a. 防衛省、外務省、JTB が保有している Otopol 事件の全資料の早期公開刊行。
b. 在日ジャーナリスト、ヘンリー・ストークス氏やケント・ギルバート氏に
Otopol 事件に関して、至急アメリカのマスコミに執筆して貰う。
c. ストークス氏はネットによると、「樋口季一郎、安江仙弘らと共に、多くの ユダヤ人の人命を救い、ドイツの抗議に『当然な人道上の配慮』と一蹴し た当時の関東軍参謀長であった東條英機の功績は大きいと評している」、と 。今年10 月にアメリカで、大東亜戦争に関連する同氏の英文著書が出版される ので、その中に含まれているかも知れない。
d. 在日イスラエル大使館に英文資料が死蔵されています。本国にも多く保存さ れている。それらの資料を、まず Calif.州内にあるユダヤ人クラブなどの協力を得て公表する必要がある。彼らは日本人より PR が上手です。
e. 「Otopol 東條樋口安江資料館」を設立して、資料の収集と対内外広報を行う。尚、渡邊勝正氏による杉原千畝の書籍の冒頭に、敗戦後帰国した同氏を「退職さ せたのは自分である」と外務省の曽野明(課長(私の叔父))が発言した、と書い てあった。
早速著者に「いつ、どこで、誰に、何を根拠にしての発言だったのか」 と照会の手紙を書いたが、出版社の社長のくせに返事はなかった。何故だろう。叔父は、規律違反した者は当然解雇されるべきだ、との正論を述べたのだった。
鈴木宗男議員は、杉原氏と共に日本のため東條中将をも顕彰するべきだった。 昨年映画「杉原千畝」が上映された。関東軍を悪し様にした反日映画だった。悪か ったのはソ連軍、ドイツ軍だった筈。下らぬ映画を輸出されて困るのは日本人だ。
以上
参考資料 杉原美談の偽史と 日本のユダヤ人救出1/4 - YouTube 落合道夫 https://www.youtube.com/watch?v=oyMWwfajWJk